境
「居らんな、えーっと…あ、蘇芳。」
「そうだねぇ。」
「あ、こっからは行ったらアカン。戻ろ。」
柾の家をゆったりと出、朱鷺の速度に合わせて家の周りを歩く喜助。
喜助は、朱鷺が待っている蘇芳を本気で探しに行こうなどとは思っていない。
「あっち行こか。あの木のとこまでな?」
「はいはい。」
共に歩きながら思い出すのは、もう無くなった故郷に居た祖父だ。
朱鷺と同じようにぼけてしまい、夜な夜な動き回って家を出たりするのはいつしか日常茶飯事になっていた。
まだ症状がそこまで重くなかった時、世話をしていた母がこうして祖父を連れ出し、子供に言い聞かせるように「ここから先は行ってはいけない」と境界を刷り込んでいた。
朱鷺にこのやり方が通用するかはわからない。それでも、覇気のない柾を見て身体が動いてしまった。
喜助は祖父を最期まで看取れなかった。その前に故郷が妖の襲撃に遭ったからだ。
だんだん知っているはずの存在が違うものになっていく不安、自分では止められないもどかしさ。
胡座を搔いて俯く柾は、故郷を失ったため見ることはなくなった自分の姿のように思えた。
「おや?珍しい組み合わせですね。」
声を掛けられ、そちらを向くと、里の医者_砂慈と目が合った。
「先生…。ちょい散歩や。柾のヤツが参っとったからな。」
「そうしてご家族以外の協力者の存在はとてもありがたいですね。…こんにちは、朱鷺さん。」
「?こんにちは。えぇ…と、どちら様?」
「ただの通りすがりですよ。」
朱鷺の一言に彼女の状態を悟り、砂慈はそれ以上踏み込もうとはしなかった。
「ここしばらく、暑い日が続きましたからね。身体が弱るとこういう日も増えるのでしょう。」
「先生は知っとったん?ばあちゃんの状態。」
「えぇ、週に一度は診させていただいていますから。」
医者が診たところで完治したりするものではないのは喜助も理解している。回復を望んでいるというより、他に起こり得る不調の芽を摘んでおきたいのだと砂慈は話した。
「本人の人柄なのかもしれませんが、ご家族が不安の無いように接しているのもあるのでしょうね。朱鷺さんの場合は本当に穏やかで、時折子供のような笑顔すら見せてくれます。」
砂慈の視線の先の朱鷺は、喜助の指定した通りの場所から出ずに目で蘇芳の姿を探している。
「こうなると、だんだん子供に戻るっていうもんな。」
はっきりは覚えていないが、祖父の介護をする母がそんなような事を言っていた気がする。
「喜助くんはご存知ですか?人は加齢と共に男性の声は高くなり、女性は低くなります。」
唐突な豆知識に首を傾げながら喜助は自らの記憶にある中高年を思い浮かべる。
「確かに、おっちゃんぽいおばちゃんとか居るよな。その反対も。それが何?」
「若い頃はあれだけ男だ女だと引かれていた線を歳を追うごとにそれを消していく。大人だ子供だと分けていた線も。…僕は医者として長く人を見ていて思うんです。人間は本懐として境界線を越え、一つの存在へ近付こうとしているのではないか、と。」
(アカン、苦手な分野…)
言われている言葉の半分も頭に入ってこない。砂慈に申し訳なく思いつつ、この場を切り上げるきっかけを目で探す。
「喜助ー。」
(!珍しく良い時に…!)
「あ、今行くわ!」
自分を呼ぶ柾の声に、これを逃す機は無いと返事をする。
「先生、すまんけどもう行くわ。ばあちゃん、帰るで!」
「はいはい?」
「お気を付けて。」
止めもせず自分達を見送る砂慈に内心ホッとしながら朱鷺を連れ柾の元へと戻る。
「砂慈先生、何て?」
「え?何か小難しい話。…もうええんか?」
「……んー、まぁな。深呼吸出来た。ありがとな。」
「ふん」
柾自身が迎えに来たことで思ったより時間は稼げなかった。それでも先程より少し翳りが薄れ、自分に向けて笑う柾。その視線を受け、逃れるようにふいと目を逸らした。




