老
「悪いな。見ての通り、ばあちゃん…ボケちゃってさ。何聞きたかったかは知らねーけど、答えてくれるかはわからんぞ。」
楓と喜助を家に上げ、二人にお茶を出しながら柾が縁側に座る朱鷺の背中に視線を投げる。楓達にお茶を出そうとしたのをやや強引に柾に止められ、少し寂しそうだ。
「お茶くらい任せたっても良かったんちゃう?」
喜助が朱鷺に聞こえないようこそっと尋ねるが、柾は口をへの字にして首を振る。
「出来る時もあるけど、あんま信用できねぇからなー。茶葉を水にプカプカ浮かべてるとかならまだ可愛いもんだけど、火点けたこと忘れて危うく家ごと燃えるとこだったし。危なっかしくて任せらんねぇ。」
「いつからこんな風になってるの?」
楓が最後に朱鷺と会った時は普通に会話をしていた。そしてそれはそこまで遠い記憶ではない。
「物忘れとかはあったっちゃあったんだけどさ。前に畑で作業してた時にばあちゃん腰やって、しばらく家籠もってたんだよ。お見舞いとか来られても起きられない姿が恥ずかしいからって避けたりさ。治ってからもまた痛めるかもって畑に出なくなって外にもあんま出なくなったら一気だな。」
言われてみれば、ここしばらく里で朱鷺を見かけることは殆ど無かった。
楓たちの知らないところで柾は苦労していたらしい。気付けなかったのを申し訳なく思う。
「体動かしたり人と会話すんのって脳みそ使ってたんだなーって感じ。」
他人事のように話す柾だが、表情はいつになく暗い。
「ほんでもまだその辺徘徊したりとかせんのやろ?俺のじっちゃん、自分ちに居るのに家帰る言うて出てこうとしたり夜中いきなり叫んだり賑やかしかったに?」
朱鷺はまだ良い方なのだと安心させようと喜助が自分の知る例を話すが、柾は一段と表情を曇らせてしまった。朱鷺もいずれそうなるかもしれないと思ったようだ。
「朱鷺さん、少しお話しても良い?」
穏やかに外を眺める朱鷺の隣に腰掛け、楓が尋ねる。
「いいよ、蘇芳が帰ってくるまで暇じゃろう?」
「…うん。朱鷺さん、朱鷺さんは、私たちで対抗できない…みたいな存在を知ってる?妖とは違う、私たちの知らないもの。」
朱鷺はしばらく黙って庭を見つめる。その目は今ここではなく、もっと遠い場所を見ているようだった。
「知らないものは、怖いね。」
ぽつりと、朱鷺が言った。
「見えないものは、なお怖い。」
「見えないもの……?」
「朧山に入ってはいけないと言われていたよ。子供だけでは特にね。あの頃は今みたいに道も整っていなかった。木はもっと深くて、昼でも薄暗かった。霧の深い日は、隣に立つ人の顔も見えなくなる。」
朱鷺はゆっくりと語り始めた。
「誰かが山で声を聞いた。誰もいないはずなのに、名を呼ばれた。手招きされた。戻ってきた者もいれば、戻らなかった者もいた。」
流風の言っていた、対抗出来ない存在。それに近い何かを、朱鷺は知っているのかもしれない。そう思った。
「狐が人になったと言っても信じてもらえぬ。火の玉が宙で踊っていても噓を吐くなと叱られてねぇ。構ってほしくて噓を吐くなんて言われたものさ。」
「………。」
朱鷺が言っているのは妖の事だ。そう気付いた楓が口を閉ざす。少し離れた場所から柾が溜息が聞こえてきた。




