決
楓と喜助が帰って行くのを見送った流風が、大きく息を吸い、そして静かに吐き出した。
「良かったのか。」
古木の枝から声が落ちてくる。
「逢霧草がこちらで問題なく咲くというのは、もはや確定も同然だろう。」
「……あぁ。」
返事は短かった。
「そう、かもしれない。」
歯切れの悪い言葉に、白鴉は僅かに黒いつぶらな目を細める。
「境界が消えているとならば、あちらの住人が出てくるのも時間の問題だ。妖ならまだしも、奴らと人間の共存など成り立たん。」
「わかっているよ。」
流風は枝の上を見上げた。
「僕も現実から目を逸らしているわけじゃない。」
沈黙。
葉が風に揺れる音が大きく聞こえるようだった。
「頭では…わかっているのだよ。」
ぽつりと流風が呟いた。
「線は引き直さなければならない。それが正しい。」
その言葉は、誰かに言い聞かせるようでもあった。
「……彼女には少し酷かもしれないが。」
その時、見下ろす瞳の色が変わった。金色の瞳が流風を見下ろす。
眼差しは、いつもの白鴉と違う静けさが宿している。
「__では何故、迷いを見せている。」
風が止む。
「人の子への憐れみか?」
流風は首を横に振った。
「それもあります。」
否定はしない。
「それよりも……見ていたいのです。」
その声はかすかに震えていた。
「今、僕が見ているものを。」
見上げ、金色の瞳を真っ直ぐ見返す。
「貴方が昔語ってくれた理想の断片を。」
沈黙が落ちた。遠くで鳥が鳴く。
「…そうだったとして。」
返ってきた声は静かだった。
「私の見ている世界の、ほんの小さな断片だ。」
「………。」
流風は唇を噛む。言い返せなかった。言葉が生まれてこない。
それが偽物ではないことを、目の前の存在は認めている。
人と妖が言葉を交わし、恐れながらも歩み寄り、
理解しようとする。そんな光景が確かに存在することを。
だが同時に、それだけではないことも知っている。 自分など比較にならないほど広い世界を見てきた。
だからこそ、その結論は揺らがない。
「……そう、ですね。」
流風は視線を落とした。
楓。喜助。和磨。藻助。杏。阿蘭。吽蓮。
ほんの少し前まで交わることのなかったもの達が、今は確かに繋がっている。
一時の夢かもしれない。それでも、もう少しだけ見ていたかった。
この先に何があるのか、本当に理想へ近付いていけるのかを見届けてみたかった。
「白鴉。」
静かに時間が流れた後、流風が呼ぶ。返ってきた声は、聞き慣れたものだった。
「どうした。」
流風は小さく笑う。
「目先の幸せに気を取られていてはいけないね。」
「再三言っているだろう。」
呆れたような返答に流風は肩を竦めた。
「僕はあの御方と同じ場所に行かなかった。」
膝を抱える。
「だから、こうして見るものを選べる。いる場所を選べる。」
小さく風が吹く。
「全てを見てしまうあの御方の気持ちは、きっと僕には理解しきれない。」
白鴉は何も言わず、ただ静かに聞いている。
「そうだとして…」
やがて白鴉が口を開いた。
「決めた事があるのだろう?」
流風は目を閉じた。
閉じた瞼の裏側に楓たちの顔が浮かぶ。見ていたいと願う景色だ。
だが、それだけを見ていてはならない。
「……あぁ。」
ゆっくりと目を開き、小さく頷いた。
「進む以外道はないらしい。…だが彼女達にはまだ知られない方が良い。知られれば、きっと止めようとする。」
白鴉は何も言わない。
「だからその時が来たら__」




