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逆襲のミリアル~新宿御苑のビストロ スープ編~

 この旅行の直前だった。ミリアルにまたしても見合いの話が舞い込んだのは。

 彼女は父が持ってきた見合い写真ならぬ見合い水晶球に映し出されたエルフの男性を見て興味がなさそうに嘆息する。


「血統も、魔力量も、さらに人格も素晴らしいとお墨付きだよ? 加えて言うなら物凄いハンサムだったろう? さあ、これで決まりだね!」


 ふざけないで? そもそも――その顔が一番駄目じゃないのよ、と彼女はため息とともに心の中で毒づく。見合い相手の彼の名誉の為に擁護しておくが、決して不細工だというわけではない。ただ彼女は苦手だったのだ、その整えられすぎた顔が。能面のように薄っぺらな表情が。

 一度話しても思った。面白くないのだ。自分の想像の範囲外の話を決して出来ない。やれ森の今後の話だの、いい泉がありますだの、結婚すればこの森が貴方の物にだの、貢物として魔力の籠った何かよくわからない壺を差し上げますだの――。

 そう、男の中身がまったく見えなかったのだ。私を愛している根拠を示すことも、自分が何を目指しているのかもその男は示さなかった。そんな男はこちらから願い下げである。

やりたいことをやっている――自分が我儘だという自覚はある。だが、それが私だと思うし、相手もそうであって欲しいと思うのだ。やりたいことを押し付けれる――もしくは刷り込まれた者に自分は興味を持てない。これは良い悪いの話ではない。立ち位置の問題だ。

 

「お断りします。送られた土産は豚にでも食わせておいて?」


「こらミリアル!」


 にべもなくそう言い捨てて彼女は逃げるように異世界の門を叩いた。しかし――今回は断るのに苦労するかもしれないと思っていた。なぜなら見合い相手が自分の氏族より上位なのだ。ミリアルの所属するグラノラ氏は二番目の順位であり、今までの見合い相手は下位氏族か同じ氏族内の申し出だったため断りやすかった。しかし、今回は勝手が違う。最も上位のフルット氏が相手である。果たして――自分の希望が通るだろうか? いつになく弱気で門を叩いたのはこれから相対する相手に勝ちたい気持ちと、将来への不安がないまぜになった結果だった。そして彼女は――。


 彼女は――勝ったと思った。目の前に座る男が満足そうな笑顔ですべての料理を完食し、お礼を言った時までは。しかしそのあと彼は言った。『同じくらいの満足を返す』と。その言葉のせいで彼女は正体を現す機会を逸してしまった。勝利宣言は露と消え、今彼女は困惑と、悔しさと、満腹感で寝付けないまま、屋敷に戻り夜を過ごした。


 ――ふざけないで!


 そう、あれを超える料理など早々提供できるわけがない。有体に行ってしまえば、最高級の材料をふんだんに使い、調理も完璧を期していたはずだ。異世界の料理を食した経験は少ないが、あれは贅の限りを尽くした代物だったはずだ。そう、この間のお見合い相手が私に用意したご馳走のように――。


「お待たせしました」


 彼女の前に藤間伸介が現れたのは午前十時。


「店が開くのはもう少しありますけど、移動もありますから」


 彼はそう言うと彼女を伴いタクシーで一路幡ヶ谷から新宿御苑へと向かった。

 移動の間彼女は思った。絶対に――負けてなんてやるもんですか――と。どんなおもてなしをされようが、自分が施したもののほうが上だと信じて疑わなかった。

 程なくしてタクシーは目的地に着き、扉があく。


「どうぞ、飯前に、少しデートをしましょう」


「え?」


 デート、という言葉に瞬間胸が高鳴る彼女は、しかしすぐにそれを打ち消そうと首を振った。


「ば、馬鹿なことを言わないで下さる!?」


「あ、いえそんな硬くならずに……単に物のたとえですから。すいません」


 物凄く下手に出て彼は謝る。


「御苑はこの時期紅葉が美しいんですよ。飯前に少しだけ運動しましょう。そのほうが、美味しい。あ、もちろん入場料は私持ちです」


 そう言う彼の後を渋々彼女はついていく。


「――広い、庭園ですね」


「でしょう?」


 彼女は思ったよりも――その整備された巨大な庭に驚いていた。森だけならエルフの里よりも随分と小さい。しかし、その中はほぼ、原生林のままだ。手間暇を掛け、花や、樹を選定し人の見られる物に作り替えていく意思をここから感じていた。

 意志の――森か。

 入口から少し歩くと大きく開けた空間に出る。そしてそこには大量の――赤が彼女を出迎えた。


「――綺麗」


 思わず彼女はそう口にした。しかしそれを満足そうに眺めていた男の顔を見て、すぐに顔を逸らした。


「……紅葉など、珍しくもありません。沢山……見ました」


「はは、そうですか」


 彼は彼女の強がりを咎めるでもなく、ただ笑いかけるのみだった。


「このまま少し歩いたらあちらの出口から出ましょう。そのまま、お店が近いので」


 彼はそう言って少し歩いてすぐに別の門を潜り外へ出た。


「ここは、君の名はでも出たことのあるレストランで――、あ、わからないか」


 彼は歩きながら近くの建物の説明をしたが、通じないことを思い出したようで頭を掻く。


「今度、BDをお貸ししますので、どうぞ」


「は、はあ」


 そんなこんなで信号を渡ると、彼は路地の一角で足を止めた。


「ここです」


「え……」


 地下に続く一本の階段。趣など何処かに置いてきたようなただの雑居ビルのB1F、そこに彼の目的地はあった。

 彼女は訝しみながら彼の後をついて階段を下りる。


「いらっしゃいませ」


 小さな扉を開けると眼鏡の白い服の女性に彼女は声を掛けられる。


「予約した藤間です」


「はい、いつもありがとうございます。ではカウンターにどうぞ」


 店は狭い。多くても十五人も入れば満席になりそうな空間はカウンターを除き既に埋まっている。


「すいません。カウンター以外空いて無かったもので」


「……構わないわ」


 この時点で彼女はもう勝ったと思っていた。店構え、サービスの質、店内、すべてにおいて勝っているのは昨日の店だと。昨日は大言壮語を吐いたがしょせんこの程度の(下調べした中では)平均的で一般的な店に連れてくるぐらいが関の山だったのだと安堵する。椅子に座り、彼女は左手に座る彼に質問した。


「ここは――」


「フランス料理店――ビストロっていうんですけど、まあそういう外国料理を出す店ですね。昨日は和食、この日本の料理を出す店でしたから、味わいも全然違います」


 フランス料理と聞いても彼女にはピンとこない。まあ、味わってみればすぐにぼろを出すだろう。


「どうぞ、メニューです」

 

 そう言って運ばれてきたメニュー表を見て彼女は固まる。文字は訳されて読めたが、注文の仕方が分からなかったからだ。それを見た伸介がすぐに救いの手を差し伸べる。


「スープは冷製と温かいものが選べます。冷たい方が野菜のスープで、温かい方は、今日はツブ貝のスープだそうです」


「じゃ、じゃあ野菜を――」


「それじゃ僕は温かい方で――それで、次が前菜ですね。いくつか種類があるので選んでください。えーとプティサザエ、これも貝ですね。それとまあパプリカっていう野菜とクリームチーズのプリン。次がテリーヌと言って……」


「わからないから、選んでくださる?」


「それもそうですね。じゃあ僕が選びます。苦手なもの、ないですね?」


「ええ……」


 彼女はすっかり昨日の食事で苦手を意識しなくなっていた。彼はメインまで含め彼女の料理を注文する。

 

「デザートは、まあその時次第で頼みましょう」


 そう言って彼は楽しそうに厨房内を覗き、笑みをこぼした。


「――何が、面白いの?」


「綺麗だと、思いませんか?」


 そう言って彼は目線で彼女に厨房内を示す。何のことか、と彼女は訝しみながらもきびきびと動く料理人の姿を見つめる。


 ――無駄がない。


 一切の無駄がない。動きに淀みがなく、厨房内では調理に並行し盛り付けが行われている。この料理人が一方ならぬ腕前を有していることが彼女にもすぐわかった。


「好きなんです」


 不意の一言に彼女の顔は一瞬にして耳まで真っ赤になった。


「カウンターから見る、この風景が」


「――」


「料理がただ運ばれてくるよりも、完成までの努力や、動きを見てる方が楽しいです。それが一流なら、なおさらです」


 暫し彼女もその調理風景に見入った。確かに――美しいのだ風貌はただのどこにでもいそうな初老の男性だ。しかし、この厨房内で見せる彼の動きはただ者とは思えなかった。並行して注文された品々を淀みなく一人で仕上げていく。熟練の――手捌きだった。


「――店構えは一流だとはとても思えないわ」


「はは、逆にそれはシェフが喜びそうな言葉ですね」


 ――? どうして喜ぶのだろう? 彼女は彼の言葉の意味が分からなかった。


「お待たせしました」


 疑問に思ったのと同時に彼らの料理が運ばれてきた。白い皿に小さなガラスの器に入ったスープが置かれ、前菜が一緒に盛り付けられている。そして付け合わせのパンも運ばれてきていた。

 

「僕のは豚頬、鶏もも、鶏レバーとソフトサラミのテリーヌ。そちらは逆に肉じゃないのにしました。同じテリーヌですが、スモークサーモン、アボカド、モッツァレラチーズのテリーヌです」


 テリーヌ、と呼ばれる切り身の断面のような代物を彼女は眺める。


「ナイフとフォークで切り分けて食べて下さい。使い方は――」


「わ、わかるわ! さあ、いただきましょう」


 彼女はまずスープに手を伸ばす。銀のスプーンで緑色のそれを掬い――口に運ぶ。

 

 ――苦っ。


 一瞬苦みが、しかし次いで鮮烈な野菜の旨味が口内を抜け喉を滑り落ちる。


「嘘――」


 美味しい。苦い、けれど美味しい。彼女の中になかった味覚がまた一つ、この時開いた。


「気に入ったのでしたら、パンを付けるともっとおいしいですよ」


 もっと、これが――?


 彼女は恐る恐る付け合わせのパンに手を伸ばす。そしてそれを一部切り取り、野菜のスープに浸して、口に運ぶ。


 じゅわ。


 瞬間、スポンジから絞られた汁がしたたり落ちるように彼女の舌にまとわりつく。苦みが旨味を伴い、パンという受け皿と共に喉に落ちていく。


「あふぅ――……じゅる、ううん――」


 美味しい。そして、次が食べたくなる味――。気が付けばもうスープの器は空になっていた。愛おしそうに彼女はスープの器を見つめる。もう――終わっちゃったの? と。


「あの、食べますか、僕のも?」


 そう言って彼は自分のスープ皿を彼女に差し出していた。


「え、で、でも――」


「あ、まだ口付けてないですから。お先に一口だけでもと。要らないなら今から食べますから――」


「ちょ、頂戴!」


 彼女ははしたなくそう宣言した。彼女は今、彼との勝負のことを、料理を口にした段階から忘れてしまっていた。

そう、この時すでに、彼女は負けていたのである。勝ちたければ誘いに乗るべきではなかったのだ。しかしそれに彼女が気づくのは、満腹感に満たされた――もう少し先のことである。

次に前菜 次にメイン 最後にデザート、後日譚。予定通りに行くかは謎です。


ちなみに今回の店はデートと女子会には最適です。というか男性諸氏はどこか新宿でおしゃれなランチに誘うならここなら絶対外れません。初見なら絶対またこようねって話がはずみます。しかし振られても責任は負いません。(負えません)

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