ナイトメアビフォアクイシンボウ その2 ~新宿・代々木・また新宿~
「初めまして、馬です」
「見たらわかるわ! っていうか……それ被り物か?」
「違いますよう。自前です」
そう言って馬面の何かは自分の首を持ち上げる動作をする。勿論首は取れない。
「まあ、正確には、夢魔――ナイトメアと呼ばれる種族――というか悪魔、ですね」
聞いたことはある。確か夢を食う悪魔――だったか? 悪夢に巣食う馬のような生き物だと聞いたことはあるが……。
「私、グルメでしてね」
馬は聞いてもいないことを語りだす。
「食事の夢が好きなのです。人は最も好きな食べ物の夢をよく見ます。そしてそれは間違いなく美味しい。ですから私はこうしてグルメな同士の夢にお邪魔するのです」
こいつの説明を聞いて俺はようやくこれが自分の夢の中だということを思い出した。
「だから――もうない店に来れたのか」
「ええ、大変おいしゅうございました」
岸朝子みたいなことを馬はのたまう。
「俺は――現実に食べたかったな。腹が減るだけだ」
「はは、それこそ叶わぬ夢ですな。私が現実で食せないのと同様に」
「お前――実体がないのか?」
「はい。基本的に夢の中を移動するのみですね。異世界に来た時に貴方に憑りつかせて頂きました。最初にどなたに憑くか悩んでいたのですが、ドリスコルさんが貴方が適任だ、と」
「……あの糞エルフっ……」
毎回大事なことを説明しないにも程がある。
「にしても夢魔ってことは魔族だろう? またどこかの紹介か?」
前に来た吸血鬼は人間に対して中立になった和睦のおまけで旅行に来ていた。今回はどうしてやってきたのだろうか?
「ん――……個人的なコネクション、とでも申しますか」
この馬、さっきまでやたらハキハキ答えていたのにそこだけ歯切れが悪い。
「まあ兎も角、魔族ですが私良い魔族ですのでご心配なく!」
「スラ〇ンみたいなこと言ってんじゃねえ。てか俺に不利益無いんだろうな? お前が食事するたびに俺が味を忘れる、みたいなのはごめんだぞ?」
「え、まずいですか?」
馬は真顔ならぬ馬顔で俺をじっと見つめ返す。
「当たり前だ! 俺の記憶だぞ? 誰にもやらんわ!」
「ハハハ! 大丈夫ですよ。私に出来るのは夢の追体験というか、その美味しさを記憶することだけです。味を奪ったりなどしませんよ」
「……なら、いいけどさ」
よくよく考えたらよくはない。頭の中に常に一人飼っているようなものだ。つまり、こいつの民泊先は、俺の頭の中、ということに他ならない。施設が綺麗なままで喜んでいる場合ではないのだ。しかし、金を貰っている以上これも商売だ。その分の不利益は享受すべきだろう。貰ってしまった分は返す。それが商売の基本だ。
「案外物分かりが宜しいのですねえ。エロ本の隠し場所を全部悟られるかもしれませんのに」
「……知りたいのか?」
「いえ、PCの『仕事用』と書かれたフォルダの中に仕舞ってある以外には存じ上げません」
知ってんじゃねえか! ていうかそれで大体全てだよ!
「というわけでして、暫くお邪魔致します」
馬は礼儀正しく頭を下げる。こいつの真意がいまいち掴めないが、食いたいというなら食えばいい。俺も――もう一度この店で食べたかったのだ。それが期せずして叶ったことに感謝していた。
「いやあ、美味いですねえ!」
今日の夢は新宿だった。今はない店――インドのカレー屋だ。
今ですら結構なインド系カレー屋はメジャーだが、そのはしりが新宿アルタの裏にあったこのインドカレーの店だと思っている。店名はまんま(国名)屋だ。なんの捻りもないが、分かりやすい。味は――そう、今でこそ珍しくないだろう。この程度のレベルの店はちょくちょく存在すると思う。ただ、当時は斬新だったろう。ナンカレーの店はあまりなかった。というか競合他社があまりなかったからこそこの店は存在していた気がする。
俺が好きだったのはトウガラシのしっかりぶち込まれた……何カレーだったかなあ? とにかく辛味と、ピーマン、マトン、ニンジン、玉ねぎの各種野菜をサラッとしたスープみたいなカレーごとナンに乗ってけて食べるのが好きだった。辛い、兎に角辛くして注文しているのだから当然だ。だが、その辛味と共にシャキッとした玉ねぎ、食感を残したピーマン、そしてゴロッとした肉をナンに包み口に入れるのは――病みつきになる味だったのは確かだ。これに近い物をインドカレーの店でいくつか捜したが、近いものはなかった。もう一度食べたいから、今回はこの夢を見たのだ。
「お前、何でも美味いんじゃないのか?」
「思い出は色あせない味なのですよ」
こいつ、はぐらかすのうまいなあ、と思う。まあ俺も食えるのだからWIN―WINだろう。
こんな調子で俺は今まで惜しまれながらも閉まってしまった店を食い歩いた。代々木でよく食べた予備校並びの中華店でパーコー麺も食べた。名物のパリパリのから揚げが乗ったラーメンを数年ぶりに口にした。目の前で揚げた大ぶりの肉を惜しげもなくスープに投入する。麺のつるっ、とパリッが合わさり喉を落ちていく。ああ、これだよこれ!
あれは、まさに夢の――というか夢だよな。
夢というのは便利だ。腹が膨れない。次の夢に行けばまたすぐ色んなものが食える。ただ、問題が一つだけあった。
起きると、腹が空き過ぎているのだ。
当然だ。思い出の味を食つなぐのはまさに至福の時だ。我を忘れて食べる。そして、現実には少しも腹は膨れていない。味だけが舌に残り、胃だけがやたらと刺激され続けるのだ。まさにそれは――拷問だった。
「美味しいですねえ! すごいですねえ! うまーいですねえ!」
隣の馬、というか夢魔は新宿ルミネ1の地下、仕切りで区切られた狭い店内で丸椅子に座り今タイ料理を食べている。ルミネはここ数年で様変わりした。2年縛りで店子が入れ替わるのだ。長年ここに居続けたこのタイ料理店も数年前に居なくなって、食べる機会を失っていた。
「伸介様は辛いのがお好きなのですか?」
「――ん、まあまあ、かな。傾向としては好きだけど、必ずそうしたいわけじゃないし」
言うこととは正反対に俺はエビの入ったトムヤムフォーを啜る。ツルッというフォーの食感とそれに乗ってやって来るピリリとした辛味、そしてエビの風味とパクチーの香りが一緒に喉と鼻を抜ける。そして隣のガパオライスをガッとレンゲで口に運び、勢いで生春巻きを口に入れる。そう、全部混ぜこぜににして一気に飲み下す。
そう、いうなればこれは日本でいう『ラーメンチャーハン餃子セット』なのだ。ラーメンを啜り、汁が口に残るうちにチャーハンを口に運び、米の感触の残るうちに餃子を齧りあふれ出る肉汁を受け止める。それと同じ流儀で食さねば、というわけではないが、これが日本人の正しいがっつき方だと俺は思っている。こら、そこおっさん臭いとか言わない。
そうやって食ってしみじみ思う。――うまい。
「こんなにおいしいお店なのに無くなってしまうとは、生存競争が激しいのですねぇ」
「あー、ここから無くなってから横浜とかに移転したらしいとは聞いたんだけどな。遠いから行けねえなあと思って」
そう言って俺はこの店の名前をふとスマホで検索してみた。
――あ?
「ああああああ! 新宿に、復活してるぅぅぅ!?」
何たるミステイクだろうか。なんと数年前から新宿東口に移転して再開しているではないか!
「今すぐ起こせ! 俺は本物を食いに行く!」
「えええ~? 私まだ全部食べてませんのに。夢では満足できませんか?」
「出来ねえよ! やっぱり俺は、本物がいい!」
――ふふ。
その時、馬が怪しげに笑った。
「素直に行かせると、お思いですか?」
「あ?」
「悪魔の私が、本当に貴方の夢から簡単に出ていくと――お思いですか? これほど美味しい夢の持ち主は今まで出会ったことがありません」
馬の顔が――悪魔のそれに変わる。
まさか――おい、冗談、だろ?
「――ですから」
ごくり。
「出てゆきます」
え?
馬の顔はもういつもの間抜けな馬面に変わっていた。
「もっと沢山の店を調べて頂きたいものです。私、次来るのが楽しみになりました」
「お、おう……」
焦らせるなよ。び、ビビってねえぞ? 心臓バクバクしてるけどこれは持病の癪だからね?
その後、馬は大人しく俺を開放し、何事もなく――というか帰るときも透明だったから帰ったのかすらよくわからぬまま姿を消した。一体、何だったんだあいつは……?
「ま、そんなことよりタイ料理だ」
俺は復活したと知ったタイ料理店に空いた腹を抱えて自転車を猛スピードで走らせたのだった。
※
「いやあ、美味しい仕事でした」
夢魔は依頼主にそう報告していた。
「ありがとう。色々分かったわ、あの男の味の趣味が」
静かな森の端でベールをつけた女がそう答える。周りには誰の気配もなく、ベールの女性以外の姿はない。姿はないが、確かにそこに夢魔はいた。夢魔は異世界で見た知識を先ほどすべて、この依頼主に映して見せた。それは味も――匂いも、全てを再現し彼女の夢に映し出された。
「叔父の紹介とはいえ、まさか悪魔が来るとは思わなったけど」
「私、良い悪魔ですから」
馬のくせに夢魔は「うっしっし」と笑う。夢魔は悪魔には珍しく、どこにも与していない、野良の悪魔だった。野良、というのも変だが、野良以外の説明のしようがない。彼は三十年来の友人のシルクハットのエルフのことを思う。変な男だと思う。しかしそれは自分も同じだと思い、さらに可笑しくなる。
「では、よい旅を――」
そう言い残して夢魔は宵闇に消えた。残された女は、ベールを外し、月を見上げた。
「ふふん、やられっ放しは性分じゃないわ」
ミリアル=グラノラ=アリアーテは月に誓う。必ずあの男の舌を満足させてみせると。
そのうちまた馬には帰って来てもらうとして一旦これで終わりです。
次はエルフの逆襲? の予定。




