結の瞳
「キャスン」
背後から呼び止められ、結の足が止まった。
この声は、ジュリエンだ。
マントとフードで姿が見えないはずなのに、なぜ自分の存在を知られたのだろう。結は焦りで全身が固まったようになった。
シャリーン
──結、足を止めてはいけません。そのまま進みなさい。
澄子に言われて結は走り出した。が、
「待って、キャスン。そのままでいいから聞いて」
ジュリエンに言われて、結は思わず足を止めた。
「お願いだから、ここに来ないで。寺院の宝物を取ろうなどと思わないで。私はね、あなたが可愛くて仕方ないの。あなたに痛い思いをさせたり苦しい思いをさせたくないの」
「私だって…私だってここまで育ててくれたジュリエンとは戦いたくないわ。でも、ここの寺院に納められているのは他から盗んだ宝珠でしょう。それにジュリエンは関わっていなくても、私の両親はあなたたちに殺された。それを許すことは出来ません!」
結は思わずジュリエンに向かって思いの丈を伝えた。
「キャスン…」
ジュリエンが言葉に詰まっていると
「おい、おまえ誰と話しているんだ」
彼女の後ろから体格のいい男が声をかけてきた。
「独り言よ」
ジュリエンは、男から見えないように片手でシッシと結を追い払う仕草をした。
結は足音を立てないように、その場を去った。
「ジュリエン、おまえ最近変だぞ。何か隠してるんじゃないか」
男の目がジュリエンの先の方を見る。
「今、何か見えたぞ。おい、やっぱり何か隠しているだろう」
男はジュリエンの横を通り過ぎ、その先へ向かった。そして走り出す。
刹那、彼女は人さし指を伸ばした。シュルルと風を切るように素早い動きで男の首に巻き付く。締め上げられた男の首がブチッと千切れて落ちた。男の頭と体はぐにゃりと崩れ、嫌な臭いを発しながら溶けて地面に吸収されていった。
「お願い。キャスン、もうここに来ないで」
ジュリエンは心の中で叫びながら、その場から動かず立ちつくした。
その時、彼女の両腕が両側から、がしっと掴まれた。
「おまえ、仲間を殺ったな」
ジュリエンの右腕を押さえたガランという男が声を押し殺して言った。
「何を考えているんだ。最近のおまえの動きがおかしかったから後をつけてきたんだ。どういう事なのか向こうで話を聞こうか」
彼女の左腕をしっかり押さえ込みながらヘーリンという男も言い、ジュリエンは引きずられるようにデインの中心部にある寺院に連れて行かれた。
必死に走り結界の外に出た結は
「結さま、お疲れさまです」
と、労いの言葉をかけてくれた羽那に抱きついた。
そして
「ジュリエンは殺されてしまうかも……嫌な予感がする」
聞き取れないぐらい小さな声で呟いた。
「とにかく家に帰りましょう」
羽那は素早く妖獣の姿になり、結を乗せるとふわっと飛び上がった。
あっという間に澄子の家に到着して、結はリビングのソファーに腰を下ろし頭を抱えるように体を丸めた。
「結さま、何があったのですか」
羽那が、甘い紅茶を淹れたマグカップをローテーブルに置きながら尋ねた。
しばらくの間、結は体を丸めたまま黙っていた。
澄子も羽那も、結が口を開くまで静かに待った。
やがて結は顔を上げて、胸元の巾着袋を両手で握りしめた。
「私をこの歳までずっと育ててくれたジュリエンは、私がデインから逃げ出した時に捕まえるふりをして私の背中を思いっきり押して結界の外へ追い出してくれました。そして最近、デインに侵入した私を二回も助けてくれました」
「魔物にも母性や愛情があるということですか」
羽那が聞いた。
「ジュリエンの本心はわかりません。でも私は彼女の言葉や態度に温かさを感じています。それは澄子さんや羽那さんの傍にいる時に感じる温かさと同じなんです」
シャリーン
──確かに、ジュリエンという魔物は結に情を持っているように思います。あなたの身を案じているのを私も感じます。私もジュリエンとは敵対したくありません。その理由は、結に取って育ての親ということもありますが、何よりとてもスキルの高い魔物であると判断したからです。ですが結が心配している通り、今ジュリエンの身に危険が迫っているように感じます。けれど結、ジュリエンは大丈夫です。あなたが思うより彼女は強靱で強い力を持った魔物です。
「ジュリエンは無事でいられるでしょうか……」
結が俯く。
「結さま、取りあえず紅茶を召し上がってひと息ついてください」
羽那の言葉に結は頷き、甘い紅茶を啜った。
シャリーン
──結、ジュリエンは今後あなたの近くに来て助けることは出来ないでしょう。それに私たちは、やる事が一つ増えました。結の両親の仇を討つこと、羽那の故郷の宝珠を奪還すること、そして、ジュリエンを救出することです。
「澄子さん……。私、その三つを絶対やり遂げます」
結の瞳が普段とは違う輝きを放った。
そして腹の底から湧き上がるマグマのようなものが結の全身を駆け巡った。




