結のこと
澄子の寝室に置いてくれた自分のベッドに腰をかけて、結はこの部屋の主の話を黙って聞いた。
「私があなたのことを話すのは、おかしなことですけど聞いてくださいね」
澄子が鈴を転がしたような涼やかな声で話を始めた。
「結が生まれたのは今から十七年前。ただあなたのご両親はいません。あなたが生まれてすぐに、この世を去りました。なぜ亡くなったのか。私の耳に入っているのは命を奪われた、つまり殺されたということだけです。なぜそんな痛ましい目に遭ったのか理由はわかりません。ですが結、あなたは守られたのです。ここまで育ててくれた人々の思いと力で、今のあなたは存在しています。ただそれは、表向きの話ですけれど」
「両親は殺された?ここまで育ててくれた人々?表向きの話?」
澄子の言葉を復唱するように結は呟いた。
両親が殺された悲しみも、自分を育ててくれた人々への感謝も湧かなかった。おそらく記憶がないので実感がないのだ。
「結が今ここにいるのは、羽那があなたを連れて来たからです。あなたを育ててくれた人々は……あなたはその人々を振り切って逃げようとしていたそうよ。あなたが逃げたいと思った理由はわかりません。羽那はそんなあなたを保護したのです」
「あの、羽那さんは逃げようとした私と初対面だったんですよね。当然、澄子さんも初めて私と会ったということですよね。なのになぜ、私の両親のことや私を育てたという人々のことを、澄子さんは知っているのですか」
結は澄子の話に矛盾があるように感じたのだ。
「そうね。私の話はかなり無理のある話に思うわね。じゃあ正直に言うわね。羽那に連れて来られたあなたが、ここで意識を失う前に話してくれたの。結は、物心がついた頃には町内会のような人々の間で大事に育てられていたそうね」
「そのように、私が澄子さんに話したんですか?」
「ええ。あなたはずっと走っていたのか、ここに来てからも呼吸をハアハアさせて話していたわ。結がその人たちに育てられたのは、結の両親があなたとその人たちを守るために殺されたからだと教えられていたとね」
「なぜ私は、私を大事に育ててくれた人々から逃げていたのでしょう」
「……それは、知らない方がいいでしょう」
澄子はまっすぐに結を見つめた。
結も澄子を見つめ返す。
やはり澄子の話は信じることが出来ない。しかし、ここは平和だと思った。なぜだろう。澄子と羽那はとても温かい人だと感じていた。どうしてそう思えるのか。結の頭が心が危険を感じないからだろうか。
だとしたら、自分が生まれたばかりの赤子から17歳の今まで育ててくれた人々の元から逃げたというのが事実なら、何がその行動を駆り立てたのだろう。もしかしたら、その時、頭と心が危険を感じたのだろうか。
いろいろと考えを巡らす結に
「大丈夫ですか」
声をかけた澄子は、今度はドアの方に顔を向けて
「羽那、お茶を」
と、よく通る声で伝えた。




