羽那の領域
結が目覚めると
「おはようございます。ゆっくりとお休みになれましたか?」
羽那が綺麗に洗濯された作務衣を手に、寝室へやって来た。
「おはようございます。ありがとうございます」
きちんとたたまれた作務衣を受け取りながら結がお礼を伝えた。
「結さま、私に気を遣わないでください。洗濯も私の仕事なのですから」
羽那が優しい笑顔を向ける。
それは、かつてキャスンと呼ばれていた自分に、ジュリエンが見せた表情と同じだなと結は思った。
「朝食をダイニングに準備してまいります」
羽那は一礼して寝室を出ていった。
結が着替え終わると
シャリーン
──おはよう、結。
「おはようございます」
シャリーン
──結、今日はここでゆっくりしましょう。久しぶりに羽那と庭で花でも愛でなさい。
「澄子さん、気を遣っていただきすみません」
結は、澄子の言葉に甘えることにした。
いつものようにダイニングテーブルの定位置に置かれたサテンの座布団の上に生成り色の玉をそっと鎮座させると、窓から降り注ぐ朝の陽射しを浴びて澄子は自らも光を放った。
「ここには、窓の外とテーブル上と太陽が二つあるみたいです」
甘く香り高い紅茶を啜りながら結が、本当に綺麗ですと澄子に言った。
澄子は結の言葉に気を良くしたのか、更に輝いて見せた。
羽那が作った美味しい朝食を食べた後、結は庭の草取りをしようと食卓の椅子から立ち上がった。
シャリーン
──結、私も庭に連れて行って。
「澄子さんは、この座布団の上でゆっくりされたらどうですか」
シャリーン
──私も久しぶりに自分の家の庭を感じたいわ。
「それじゃ一緒に」
結は座布団から澄子を手に取り、胸元の巾着袋に収めた。
「羽那さーん、雑草を入れるビニール袋をもらえますか」
結はキッチンに入ろうとした。が、その入り口は扉が閉まっていた。
「キッチンにドアって珍しい。それに…」
ドアノブを回したが動かなかった。ロックされているようだ。
結はドアをノックした。
コンコン
「羽那さーん」
カチッ。
ロックを解除した音が聞こえ、ドアが開いた。
が、羽那がこちらに出てくると、ドアをすぐ閉めた。
「お待たせしました。ビニール袋と手袋でございます」
「ありがとうございます」
結が受け取った。
「私もこちらの用事が済みましたら、庭の手入れをいたします」
と言って、羽那はキッチンのドアの前に立ったまま動かなかった。結の目の前でドアを開けたくないようだ。
「あの…羽那さん、私はキッチンに入ってはいけないのでしょうか」
結が思いきって聞いてみた。
「申し訳ありません。結さま、ここは私の領域ということでご理解ください」
羽那が深く頭を下げたので、結は慌てて言った。
「羽那さん、頭を上げてください。私こそ好奇心から羽那さんのキッチンに入りたいなんて勝手なことを言いました。ごめんなさい」
「いえ、結さまに非はございません。ただ、ここにはあまり見られたくないものがあったりするのです。ですので、用事や必要なものがある時にはお声がけください」
「わかりました。庭の手入れをしてきます」
結はビニール袋を手袋を手に玄関の方へ向かった。
「私もすぐにまいります」
結の背中に羽那が伝えた。
庭に出ると、忙しい合間を縫って羽那が手入れをしてくれているようで、あまり雑草が生えていなかった。
結はしゃがんで、ポツポツと顔を出している雑草の芽を真上に引っ張りながら抜いていった。
「澄子さん、私は雑草取りを終えたらキッチンで手伝いをしたかったんです。いつも羽那さんは私をデインまで運んでくれて、ここに戻るとすぐにお風呂の準備をしてくれて、食事の用意をしてくれて常に働きっぱなしなので、今日は私が少しでも手伝おうと考えていました」
シャリーン
──結、羽那は自分のやりたいように家事をこなしています。そして、キッチンは家事をするだけでなく羽那の寝室にもなっているのです。彼女はね、あの大きな姿で休むのです。初老の女性は仮の姿で、妖獣が今の本来の彼女なのです。なので、キッチンは彼女にとっては、プライベートな空間なのですよ。でもね、彼女は事情あがって妖獣の姿になっているのであって、本来はその姿でも初老の女性の姿でもないのです。
「それは、奪われた羽那さんの宝珠と関係ありますか」
シャリーン
──ええ。宝珠にかけられ覆われたデインの呪いを、奪還したうえで解かなくてはなりません。彼女をはじめ、彼女の祖先はずっと長い間、私に尽くしてくれました。なので結、あなたの両親の仇を討つと同時に羽那の宝珠を取り戻したいのです。
「羽那さんの宝珠にかけられた呪いを解くと、羽那さんはどうなるのですか?」
シャリーン
──どうなるのでしょうね。私にはわかりません。でも確実に羽那は安寧な気持ちになるでしょう。
「私は羽那さんのために宝珠を奪還し、手渡したいです」
シャリーン
──そうですね。
結は結界に守られた敷地の中で、澄子と話をしながら草取りを続けた。
その外で身を隠しながら、結を見つめる者がいた。
私のキャスン……。
そして踵を返し、往来する人々の中に紛れて消えた。




