結とキャスン
羽那が妖獣の姿で風を切って飛ぶ中、結は目を覚ました。
「結さま、振り落とされないようにしっかり掴まってください」
羽那が言う。
そして
「速度を上げます」
ガアアアー
声を上げると、結の体に感じる風が強くなった。
結は羽那にしっかり掴まり、全身に当たる向かい風に耐えた。
澄子の家に帰ってくると
シャリーン
──結、ソファーでもベッドでもいいから、すぐに休みなさい。いいですね。
澄子が強く言った。
「はい」
結は、胸元の袋から出した澄子を食卓の薄青いサテン生地の小さな座布団にそっと置くと、リビングに行きソファーで横になった。
そこからだとダイニングテーブル上の澄子が見えるのだ。
羽那もキッチンからリビングやダイニングを行ったり来たりする、その姿が見えるソファーで休みたかった。
今の結は、ひとりになりたくなかったのだ。
今日、ジュリエンと再会した。ふくよかで優しい顔。その顔を見た途端、結の中で無意識に封印していたデイン地区での暮らしの様子が一気に思い出された。
結は、ほとんど自分が育てられた家から外に出ることがなく、今思えば息苦しさを感じる日々ではあったが、その時はそれほど気にならなかった。ずっとジュリエンが傍にいて、読み書きを習ったり礼儀や言葉づかいを教えてもらっていた。何事も彼女に相談していたし頼っていた。
それは今、結が頼って甘えている澄子と羽那と同じだった。
「私はあそこでは、キャスン…って呼ばれていた。今日あの時、ジュリエンは私を助けてくれた」
結は頭の中で思いを巡らせた。
それでもジュリエンは魔物なのか…。父と母を殺し自分を誘拐した仲間なのか……。
シャリーン
──結、あなたが今思った通り、あなたを育てたあの者も魔物です。そしてあなたの両親を殺したのも、あれの仲間なのですよ。
澄子が話しかける。
「澄子さん、手に取っていいですか」
シャリーン
──構いません。
結は立ち上がりダイニングテーブルの上の澄子を手にした。そしてソファーに戻ると、横になり両手で澄子を包むように持ち胸に当てた。象牙のような手触りの胡桃大の玉が結の手の中で微かに熱を帯びる。
「暖かい…」
シャリーン
──結、確かにあの魔物はあなたを助けました。しかし忠告してきました。次はあなたを殺すとね。その言葉に偽りはないでしょう。
「はい」
シャリーン
──結、私は自分で動くことが出来ません。そのため、あなたを頼ってしまう。結は今、心が揺れていますね。あなたはキャスンと呼ばれていたのですね。
「はい。私もジュリエンに呼ばれるまで、その名前を思い出せないでいました。そして今日、自分の呼び名以外にもう一つあることを思い出したんです。私がデイン地区から逃げ出して羽那さんに助けてもらったあの時、私の知る顔知らない顔いろいろな者に追いかけられました。その時に私を捕まえようと手を伸ばして……捕まえるふりをして私の背中を思いっきり押して外に出してくれたのはジュリエンだったんです」
シャリーン
──魔物にも情というものが存在するのでしょうか。そして結も、あなたの乳母だったあの魔物を慕う気持ちを持ち続けているのかも知れませんね。しかし私は、デインの魔物に対して私の子孫でもある結の両親の仇を、そして羽那の故郷の宝珠の奪還を果たしたいのです。先程も言いましたが、私は自分で動くことが出来ません。私の思いをあなたに託すしかないのです。あなたなら、それを果たせるでしょう。それでも、そのような私の思いを結、あなたに強制することは出来ませんね。ただ、これだけは覚えておいてください。私たちが魔物退治を始めた頃、スキルの無い魔物たちが人間を喰らっていましたね。あれは結を探しながら、どさくさに紛れて人さらいをしたと言うことでしょう。あの者たちはデイン地区の外をうろついているのです。つまり、この家の結界を出たら結にも危険が及ぶと言うことです。
「はい」
結は両手で包むように胸に当てている澄子を、更にぎゅっと握りしめた。
真夜中、結はベッドの中でなかなか寝つけずにいた。
昼間デイン地区から戻ってずっと横になっていたせいかも知れない。澄子と羽那、そしてジュリエンのことが頭の中でぐるぐる回っているのも眠れない理由なのだ。
ジュリエン以外の魔物は全て倒し両親の仇を討ちたい。羽那の故郷の宝珠を取り返してあげたい。しかし、ジュリエンだけは敵として戦いたくない。
私は、どうすればいいのだろう。
その時、彼女の胸元の巾着袋の中がほわっと温かくなった。
母の腕の中にいるような感覚になり、次第に瞼が閉じていった。
シャリーン
──私の可愛い子、ゆっくり休みなさい。おやすみ、結。




