本格退治、始まる
「それでは、澄子さま、結さま、お気をつけて」
初老の女性に戻った羽那が言った。
「いってきます」
澄子を胸に、黒マントで存在を隠した結はデイン地区に侵入した。
昨日、ここに棲む二体を消滅させたが、特に何の騒ぎも起きていないようだ。
結は、ゆっくりと入り口近くの住宅や店舗などを歩き回った。
もちろん、マントを体に巻きつけるように羽織っているので、すれ違っても誰も結の存在に気づくものはいなかった。今日は、羽那から渡された粗塩の入った袋も携帯している。
シャリーン
──結、この地区の外寄りから中の方に向かって魔物を倒しましょう。ただし、魔物を倒すには昨日のように人の姿を剥いで本当の姿になったところを攻撃しないと消滅させることは出来ません。
「はい。わかりました」
結は頭の中で返事をした。
魔物が本当の姿を現すように仕向けるにはどうしたらいいのだろうか。結なりに考えてみた。
やはり自分の住まいなら、リラックスしたくて服を脱いで楽な格好になりたいはずだ。ということは仮の姿である人間の形を脱ぎ捨て、あのブヨブヨした実の姿になっているかも知れない。
結は在宅していると思われる住宅、それも少人数で暮らしていそうな小さな建物に忍び込んだ。
入り口のドアを開けると、すぐにクローゼットのような物置部屋があった。こういった間取りにすることで敢えて家の奥の方が見えないようにしているのだろう。
かつて結が育った家も同じような造りだった。
クローゼットを通り抜け次の間のドアを少し開けて、その先を窺う。
いた。
そこには人の形を足元まで捲り下ろし、リラックスしている魔物がいた。
結は、そっとドアを開けその部屋に入った。そして異形の者に近づく。
ん?相手は何かを感じたようだったが姿は見えない。
結は素早くマントから両手をかざす。
突然現れた手首から先に、魔物が怯む間もなかった。
シャリーン
シャリーン
涼やかな音が響いた。
ただその音は結に聞こえただけで、異形の者はその瞬間に小さく薄くなり黒い炎に包まれた。
そして炎が消えると、ナマコのような魔物は跡形もなく消えた。
シャリーン
──結、まず一体を退治しました。今日はあと十体ほど倒しましょう。一度に何体も相手にするのは、まだ難しいでしょうから単身住まいを狙います。あなたが、この小さな家を狙ったのは正解でしたね。
「はい。ありがとうございます」
澄子が自分の考えを認めてくれたのが嬉しかった。
結は澄子の指示に従い、また小さな住宅に侵入した。
クローゼットを通り過ぎ、その奥の間を覗いた。
そこには人の姿を脱ぎ捨てた状態で、人間の腕に集中している魔物がいた。その形態は手足が無く、脳天にあたる部分が大きく割れ人の腕にかぶりついてバリバリと咀嚼して飲み込んでいた。
それを見た結は、また胃の奥から上がってくるものがあったが、ぐっと堪えた。
そしてマントから両手を出して、食べることに集中している魔物に向かってかざした。
シャリーン
シャリーン
涼やかな音と共に結の両手首から光が現れる。
すると魔物は小さく透明になって黒い炎に包まれ消え去った。
残ったのは、おそらく女性のものと思われる指先だった。
結は、それを見ないようにして素早くその家を出た。
それから次々と小さな家に侵入した。
どこの家も、在宅している魔物は本来の姿と思われるイボイボのナマコに見える格好でくつろいでいた。そのため、素早く退治が出来た。
シャリーン
──結、あと一体退治したら帰りましょう。
「はい」
結が次の家を探していると、今さっき倒した魔物の家を訪ねてドアを叩く者の姿があった。返事がないことを不思議に思ったのか、人の姿のまま玄関のドアを開けて中に入っていった。
「澄子さん、どうしましょう。今入っていった者が、魔物の脱ぎ捨てた人形の脱け殻だけがあるのをを見たら不審に思いますよね」
シャリーン
──結、あそこに戻りましょう。
「はい」
結は最後に退治した魔物の家に行き、そっと玄関ドアを開けた。クローゼットを通り過ぎ奥の間へ向かう。
部屋の入り口のドアは完全に開いており、この家を訪ねた魔物が人間の格好をしたままこちらに背を向けて立ちつくしているのが見えた。その足元には結たちが退治した魔物の仮の姿の抜け殻が落ちている。
立ちつくした肩と背中が小刻みに震えているのが見て取れた。
この者はここで何かが起こったのを感じて…おそらく怒っている。
「澄子さん、どうしましょう」
結が頭の中で早口に聞いた。
シャリーン
──結、今日はこのまま退散しましょう。そっとこの家を出るのです。
澄子の下した判断を聞いたが、しかし突然、結はフードを外した。
シャリーン
──結、何をするのです。フードを被りなさい。
「澄子さん、私が相手の仮の姿を剥がします」
結は頭の中で澄子に伝えると、近くにあった花瓶を魔物に向けて投げつけた。
振り向いた魔物は、首から上だけが浮いて見える結を睨みながら、メリメリと音を立てて頭のてっぺんが十字に切れ、下に向かって捲れていった。その中のイボイボした軟体物体は、怒りなのか驚異なのか赤黒く腫れあがって見えた。
それが結の顔に向かって飛びかかった刹那、結はマントから両手を出して自分の顔の辺りでかざす。
シャリーン
シャリーン
澄子の涼やかな音が響き渡り、結の両手首の革製の腕輪が光を放った。赤黒い塊は結の顔面すれすれのところで小さく透けていき黒い炎に包まれ、やがて消滅した。
シャリーン
──結、大丈夫ですか。
澄子が珍しく焦りを感じさせるような早口で聞いた。
「はい。大丈夫です」
逆に結はゆっくりしっかり返事をした。
シャリーン
──とにかくフードをしっかり被って、この家を出ましょう。
「はい」
結が外に出る。
シャリーン
──結、羽那が用意した塩を、私の指示するところに撒いてください。
「はい」
結は澄子の指示のもと粗塩を撒いていく。
すると、撒いた塩の周辺の家が消えていった。
「えっ、どうなっているんですか」
シャリーン
──説明は後で。とにかく塩を撒きましょう。
澄子に言われて、結は指示されたところに粗塩を撒き続けた。
シャリーン
──そこまででいいでしょう。羽那、いらっしゃい。
するとマントを纏った羽那が結の目の前に歩いて来た。
「羽那さん、結界の中に入れたのですか?」
結の質問に
「今、結さまが粗塩を撒いて結界の範囲が縮まったのです。ここはもう、結界の外側です」
羽那が答えた。
そうなんだ…と結が考えていると
シャリーン
──羽那、帰りましょう。
「承知しました」
羽那は妖獣の姿になり結が足に乗ると
ガアアアーー
雄叫びを上げて空へ飛び立った。




