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肉欲


 ほぅとついた吐息が妙に艶かしい。

 獣じみた腕で口元を拭い、再び俺を見るその瞳は狂気を宿している。

 

 上手くいかなかった? 冗談だろ?

 困惑が焦りを産み、焦りが恐怖を助長する。


 (不味い! 不味いっ! 不味いっっ!)


 頭の中が恐怖に痺れて何も考えられなくなりそうだった。

 弾かれたように足をばたつかせる。

 全身にありったけの力を込めてもがく。

 異形の姿になっても、変わらず華奢な体躯のどこにそんな力があるんだ。

 俺は身動き一つできずに、再び迫ってくるプリシラの顔をなす術なく眺める。


 (喰われるっ!)


 耳元に獣じみた息遣いが聞こえる。

 これから襲うだろう激痛に俺は身体を硬ばらせた。

 でも、伝わってきたのは違う感覚だった。

 背筋がゾワリとするような、ねっとりとした感触が喰い破られた肩の傷を這う。

 その感触は首筋を這うように耳に達してーー。


「テッド……」


 その声を聞いた。

 思わず目を見開いた。

 甘い響きすら含んだプリシラの声。

 唐突に、プリシラは身を起こした。


「あぁぁ、テッド、テッドテッドテッドぉ!!」


 何が起きたのか、すぐには分からなかった。

 熱に浮かされたように俺の名を呼びながら、身悶えるように身体を揺らすプリシラに視線が釘付けになる。

 困惑と恐怖の入り混じった視線の先で、ようやく何が起きたのかが、いやーー何が起きようとしているのかがわかった。


 黒とも茶とも言えない獣毛に覆われたプリシラの体がびくりと身体を震わせる。

 その身体が一瞬膨れ上がったかと思うと、みるみるうちに白い肌に戻っていく。

 その凶悪な両腕を除いて。


 相変わらず両肩を掴んで押し倒されたままの俺の目の前で、プリシラの身体が元に戻っていく。

 もともと焼け焦げていた衣服はとうに無くなってしまっていて、プリシラの白い肌が露わになる。細い脚、華奢な腰、それにささやかな膨らみも。


 (上手く……いったのか?)


 そう思った。

 けれどーー。


「テッド、テッドが欲しい! 欲しい欲しい欲しい!!」


 再び俺を見たプリシラの目には未だ狂気が宿っていた。


 プリシラの顔がまた近づく。

 鼻を鳴らして俺の匂いを嗅ぎ、そしてまたあのねっとりとした感触が首筋を襲う。

 さっきはそれが何かわからなかった。けど今はわかる。

 プリシラの舌が、俺の肌を這っている。


「やめろっ! プリシーーんぐっ!」


 なんだかよく分からない、頭が混乱して上手く理解できない。けどこんなのはダメだ。そう思って声を上げようとした。けどそれも遮られた。


 (なんだよ……なんだよこれっ!)


 唇に触れる柔らかな感触。

 目の前いっぱいにプリシラの顔がある。

 キスをしてる。

 激しく、奪い取ろうとするような口付け。

 プリシラの舌が口の中に入ってきて、蹂躙される。

 頭が真っ白になる。


 (なんだ、何だこれ。何がどうなった?)


 どうして良いかも分からないまま、されるがままになった俺から、ようやくプリシラの顔が離れて行く。

 口元から滴って糸を引く唾液が、酷く淫靡(いんび)に見えた。


 遅れ馳せに、肩を掴むプリシラの腕から力が抜けている事に気づく。

 これなら腕が動く。

 動かそうとすれば悲鳴をあげる両腕に力を込めて、プリシラに手を伸ばそうとした。

 けれど、それも途中で遮られた。

 床から起き上がりかけた半身がまた床に叩きつけられる。

 今度は胸だ。胸に置かれたプリシラの左腕が体重をかけて俺を起きられないようにしていた。


 (何をしてる? 何がしたいんだ?)


 混乱した頭で必死に考える。

 そうしているうちに、プリシラは腕に体重をかけたままズリズリと後ずさっていく。

 そして、俺はギョッとして身をよじった。


「欲しい、欲しいのテッド。あなたをちょうだい」


 恍惚とした表情でうわ言のように繰り返しながら、プリシラの右手が俺の下半身を這う。指が太ももを這い、ベルトに手をかける。

 俺だってガキじゃない。その意味ぐらいはわかる。


「やめろプリシラ! 何やってんだ!」


「私のモノになって、テッド。全部、全部欲しいの。あなたの全部。何もかも!」


 必死の叫びもプリシラに届かない。

 熱に浮かされたように上気した顔が、妖艶に俺を見下ろしている。


「いい加減にっ!」


 さっきよりも力が弱まってる。

 これなら振りほどける。そう考えて、俺は勢いよく身体を起こした。

 それは上手くいった。だけどーー。


「私のモノに、お願い。それがダメなら……死んでっ!」


 それは速かった。目にも留まらぬほど。

 防ぐ間も無く、プリシラの異形化した両手が俺の首を絞めた。

 途端に息がつまる。

 意識が遠のく。

 どうにか振りほどこうと、プリシラの腕を掴んだ。それでも、ビクともしない。

 万策尽きたか、とそう思ったその時だった。

 不意に首を絞める力が弱まった。


「……いや……違う。……私……」


 霞んだ視界の先に映るのは狼狽したように見えるプリシラの姿。

 それからーー。


「いやぁぁぁぁぁっ! 私……何を……? 嫌……私テッドをっ! 違うっ違うっ違うっ!」


 突然の悲鳴。

 でも確かに、それはプリシラの声。

 俺の知っているプリシラの。

 飛びのくように俺から離れたプリシラの目には狂気は見えない。


 (戻った? いや、でもーー)


 プリシラは壁際で頭を抱えて苦しんでいるように見えた。

 どうにか立ち上がり、おそろおそるプリシラに呼びかけた。


「プリシラ……?」


「来ないでテッド! 私…私っ!!」


 叫ぶような拒絶。

 どうにも様子が変だ。

 だがどうしたらいい?

 迷っている間に、プリシラにまた異変が起きる。

 プリシラの力無く立つその裸体が、黒い霧に包まれていく。

 また異形化し始めているんだ。

 ここまでしてようやく戻ったのに。


 (無駄なのか、やっぱり何をしても……)


 疲れ切った体と心が、何もかも諦めてしまいそうになる。

 何をしてるんだ、俺は。プリシラを救うと言いながら、その実プリシラを追い詰めて苦しめているだけじゃないのかと。


「テッド……、テッドォォォっ!」


 朦朧とし始めた意識の中で、俺はまたプリシラの叫び声を聞いた。

 

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