対峙する兄妹
たちこめる濃密な呪いの気配。
暗がりの奥から響く唸り声。
夜目が効くのが恨めしい。
松明の灯りの届かない薄暗がりの中でも、苦しむプリシラのその姿が見えてしまうから。
俺はまたここに立っている。
鎖で縛られたプリシラの囚われる監房の、その前に。
ひどく異形化の進行した、ほとんど原形をとどめていない彼女のその痛ましい姿に、思わず膝が笑いそうになる。
けど、もう逃げない。
出来ることがあるのなら、やらずに居ることはできないから。
深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
腹は決まってる。
意を決して、俺は側に立つ教授に目配せをした。
「一つ聞かせろよ。俺たちがプリシラのことで必死になるのは家族だからだ。でもお前は違う、なんでお前はそこまでプリシラにこだわるんだ?」
そう問いかける。別に他意はなかった。教授は俺の知る限りでとびきりのイカれ女だ。何たって、金を積んでまでこんな街の総督の椅子を買う女だ。そいつがイカれてないってんなら一体誰がイカれてるっていうんだ。
だから、そんな奴が考えることを本気で知りたかったわけじゃない。
ただ、少し気になった。そんな程度だ。
あるいは、これから立ち向かわなきゃいけない現実に対してのささやかな逃避だったかもしれない。
「ふむ、そうだな。プリシラを完全な状態にすることが、私の真の目的に近づく大きな一歩となるからだ。と、今はそう言っておくとするよ」
教授はフムと少し考えた後、珍しく神妙な顔でそう答えた。
真の目的……ね。
結局はぐらかすあたり、実際のところどうだか知れたもんじゃない。
けれど、ハッキリと自分の目的のためだと言い切ったところは、教授らしいと思う。
おかしなもので、それはごく自然なことに思えたし、そこに嘘はない気がした。
「ははっ、俺たちの間にあるのは利害の一致……だったな。まぁ、アンタらしいよ。下手に同情や義侠心で、なんて言われたらとてもじゃないが信じられなかった」
そう言ってわざとらしく肩を竦めた俺に、教授は不敵な笑みで応える。
「約束を覚えているな? もし俺に何かあったら……」
「君の家族のことは私の責任で請け負う。悪いようにはしないとも。だがーー、死んでくれるなよテッド君。君もプリシラも私にはまだ必要だ」
まだ、ね。
相変わらずの人でなしっぷりに、俺は口端を吊り上げる。
不思議と不安はない。
これから始める試みが、成功する確率がどのぐらいなのか、それも確かなことは言えないってのに。
我ながら酔狂な話だ。まったく笑っちまう。
不安げに見つめる弟妹達に視線を巡らせ微笑んでやる。
「マルク……」
「何も言わないで兄さん。わかってるよ」
そう言って微笑んだマルクにしっかりと頷きを返す。
――さぁやるか。
意を決して人一人通れる程度に開かれた鉄格子の扉に体を滑り込ませる。
俺が中に入ると同時に、扉は音を立てて閉まった。
その音に気を取られたわずかな隙に、それは来た。
扉を閉めた看守が小さく悲鳴をあげる。
猛烈な勢いで飛びかかってきたプリシラだったモノが、その身を縛る鎖にもんどりうって後ずさった。
その勢いに押し出された空気が、圧をともなって吹き抜ける。
「……ッドぉ……テッ……ドォォォ!」
唸り声の中に俺を呼び声が混じる。
よだれを垂らしながら四つん這いに地を這うその姿に、顔以外プリシラの面影はない。
暗がりに爛々と光るその瞳は、捕食者のそれだ。
それでも、どうしようもなくそれはプリシラだった。
思わず生唾を飲み込む。
ビビったら負けだ。
(俺を喰いたいかプリシラーー)
情けなく震えそうになる身体に、思わず笑いが溢れる。
まったく笑っちまうよな。
腹を括ってもこの小心さはどうにもならないらしい。
(ーーけど、それでも!)
地面を踏みしめ、目を瞑る。
大丈夫、鎖で壁に繋ぎ止められたプリシラの爪はまだ届かない。そう言い聞かせながら、意識を集中する。
自分の中の呪いに。その忌まわしい力の根元に。
腹の底の方に、渦巻く黒いモノがあるのがわかる。
俺の意思とは関わりなく、いつだって勝手に暴れ出そうとするそれを、解き放つのは酷く簡単な事だ。
首筋にチリチリとした痛みが走る。
それはやがて波のように全身へと広がっていく。
ーー痛い。
首から肩へ、肩から二の腕に、二の腕から指先へ。それは広がっていく。
種痘の様に歪に膨れ上がっては裂け、肌が鱗の様に変質していく。
自分が人ではない何かになっていく恐怖と不快感が俺を襲う。
それでも、足を踏み出した。
黒い呪いの霧を纏った姿で、プリシラの爪の届くそこへ。
襲い掛かる機会をはかるように、プリシラがジワジワと距離を詰めてくるのがわかる。
鎖を引きずる音がやたらと大きく響いて、恐怖を掻き立てる。
その荒い息遣いが、もう耳元で聞こえているみたいに錯覚しそうになる。
怖いーー。
冗談なんか抜きで、死ぬほど怖い。
うまくいく保証なんてどこにも無い、そんなことに命を賭けたんだ。そんなのは当たり前だ。
「こい! プリシラ!」
震えそうになる声を振り絞って俺は叫ぶ。
と、同時にその時はやってきた。
一閃が煌めいて物騒な風切り音が耳を打つ。
プリシラの爪が、さっきまで俺の顔があった辺りを引き裂いたんだ。
すんでの所で避けたつもりが、頰を裂かれたらしい。
痛みが遅れてやってくるほどに、恐ろしく速い。
考えるまでもなく当たり前だ。
呪いの力に完全に飲まれた呪い子は、もはや異形その物だ。生半可に異形化した呪い子の俺なんかとじゃ比べ物にならない。
ーーだから殺すんだ。
完全に異形化してしまう前に。
ずっとずっと前から、もういない兄や姉たちもそうしてきた。そして俺も、いずれは弟妹の誰かに、その酷く残酷な役目を押し付けて死ぬんだと思ってた。
でも、もしこれがうまく行けばーー。
そう思えば、震えのきてる足にもまだ力を込められる。
「そんなもんかよ、じゃぁこっちから行くぞプリシラ!」
情けなく震える小心な心を叱咤して、俺は駆け出した。




