炎に巻かれて
交錯する視線。一瞬の沈黙。
俺に出来たことといえば、教授の顔をただ睨みつけることぐらいだ。
教授はやれやれと言わんばかりに肩をすくめ、それから似合わず諭すように口を開いた。
「君に万が一にも死んで欲しくは無いんだがね。プリシラの身体ならば、損傷しても換えが効くんだよ? 君が身を切る必要は――」
「うっせぇな! そんな事はわかってる。わかってんだよ! でもダメだ。プリシラにその役はさせられない。お前がなんと言おうとだ」
教授の言葉を遮って、俺ががなり立てた。
さしもの教授も少しばかり目を丸くする。
(冷静になれよ俺!)
そう何度も自分に言い聞かせる。
教授がプリシラに命じてしまったら、もう何もかも手遅れだ。俺が何をどうしたところでプリシラは命令に従う。
(どうすれば良い? どうすればやめさせられる?)
普段使わない頭を使い過ぎて頭痛がしそうだ。それでも考えた。
考えて、考えても。
今の俺に辿り着ける答えは一つしかなかった。
「後で付けるといった話を覚えてるか? 万が一ここでプリシラを失ったら、俺がお前を殺さないでおく理由がなくなる。その時は俺は絶対にお前を殺す。絶対にだ。そうなりゃ、お前は何もかも無くす。俺の事も自由に出来ず、プリシラも失って、自分の命すら失うんだ」
教授は「ほぅ」と眉をひそめてみせた。
細い顎に手を当てて、何か思案しているように見える。
「それで交渉しているつもりかね? それとも脅迫かな? いずれにしてもお粗末と言わざるを得ない」
あのいつもの薄ら笑いを浮かべてとー言い放つ教授に焦りが募った。
ダメかーー。
思わず歯噛みしたその時だ。
「何かもめてるの!? どうでも良いから急いで! もうそこまで来てるよ!」
怯えを含んだマルクの声が頭上から降ってくる。長い付き合いだ、あいつのことはよくわかってる。
あれは相当に切羽詰まってる。
ジリジリと焦れるような時間が流れ、そしてついに教授が大きなため息をついたのを聞いた。
「私は元より誰か一人を犠牲にする計画を立てたわけでは無い。だがそれはプリシラが詰めの一手を担う前提でだ。しかし……まぁ、構わないだろう。君という人間がだんだんわかってきたよ。ともあれ、言い争っている時間ももう無いようだしね。気の済むようにすると良い。上の少年! 縄梯子だ!」
わかった! と、マルクがいくらか安堵の息を吐いたのがわかる。
やがて降りてきた縄梯子に足をかけ教授は振り返った。
「良いかねテッド君。今からここに火を放つが、私が良いというまで君はあの扉を守らなくてはならない。他ならぬ君が選んだ道だ、やり遂げて見せたまえ。死んでくれるなよ」
「言われるまでもねぇよ、さっさと行けよ」
縄梯子を登って行く教授とプリシラを一瞥して、小さく息を吐いた。
一瞬、プリシラがこっちを振り返った気がした。
それにしても、だ。
教授の考えなんかに乗ったせいでこの有様だ。まったくどうかしてる。
けどまぁ、事ここに至っては腹をくくるしか無いんだ。
「やるか」
そう自分に言い聞かせるように短く言葉を吐いて、俺はこれから守らなきゃならない扉を見据えた。
それから部屋の中央に積み上がった木材、それから壁沿いに並べた木材に松明を押し当てていく。
扉を塞いでいる木箱に火が回るのが最後になるように、頭を使いながらだ。
目に染みる煙が立ち登り始め、それはいつしか熱を持って舞い上がる。
小さな部屋が火に覆われるまでそう長い時間は要らなかった。
熱い、息苦しい。
息を吸うたびに喉が焼ける。
部屋の四隅の木材が燃え上がり、炎は天井にまで達してる。
熱に揺らめく視界。
朦朧としそうになる意識を必死で繫ぎ止めた。
何かが扉にぶつかる音がやけに遠く聞こえる。そのたびに少しずつ積み上げた木箱が身悶えするように動く。
もう何度目だ?
どのぐらい時間が経った?
ギャッギャッと耳障りな豚どもの声がずっと聞こえてる。
狙い通り、奴らはここに入ることにこだわりはじめてる。
全身を這うように伝わる呪いの気配。一体どのぐらいの数がいるんだ。
その群れの姿を想像してゾッとする。
煙を吸ってはむせ返り、空気を求めて床に這いつくばった。
いったいいつまでこうしてりゃいい?
何度問いかけたかわからない問いをまた一つ増やしたその時、ガラガラと音を立てて木箱の一角が崩れた。
ーーしまった。
気がつけば、扉を塞いでいた木箱に火が燃え移っている。
(気を失っていた!?)
焦りが鼓動を早くする。
喘ぐように口を開いても満足に息も吸えない。
癇に触る肉屋どもの声、パチパチと爆ぜながら音を立てて崩れる木箱。
痺れたようにいうことを聞かない手足で、どうにか立ち上がる。
煙を吸いすぎたのか、割れるように頭が痛い。それでもまだ扉を開けさせる訳にはいかなかった。
燃えクズに身を焼かれるのも構わずに扉にもたれ掛かり身体で押さえる。
(まだか……まだなのか)
途切れそうになる意識を必死に掴み、天井を睨む。
何が、『誰か一人犠牲にする計画では無い』だ。ちくしょうめ。
けど文句を言えた義理じゃ無い。
俺は好き好んでこの役回りを選んだんだから。
扉を叩く衝撃を背に受けながら、ガクガクと笑いはじめた膝を見る。
これまでか。
肌を焼く熱も、豚どもの声も遠くなって行く。
いよいよ終わりを覚悟したその時だ。
俺はその声を聞いた。




