狂った賢者
あぁ嫌だ。
本当に嫌な予感しかしない。
露骨に嫌な顔をしてやった。
が、教授は勿論気に留める様子もない。それどころか、顎先をクイと突き出して返答を催促している。
やれやれだ。こうなったら話を聞くまでテコでも動かないだろう。
ガシガシと頭を搔こうとして辞める。こんな手で掻きむしったら、血まみれになっちまうとこだった。
「一応聞いてやる。どうするつもりなんだ教授」
ため息混じりにそう聞けば、教授は嬉しそうに口を開いた。
「まず先に確認したい。上にいる君の友人は追っ手に増援があると言っていたね? そう言えば妙な言い方をしていたな。確か『足音が見える』と」
神妙な顔をしたかと思えば、またあの好奇に満ちた目でニンマリと笑う。
まったく妙なところで耳ざとい。
「確かだよ。マルクも俺と同じ呪い子だ。あいつの右目は特別なんだ。言葉通り音が見えるんだそうだ。俺にはそれがどんな感じか良くわからねぇけど、あいつが居るって言うなら居るんだ。それは間違いない」
マルクまで教授の好奇心の対象になるのは避けたかった。だけど、やむを得ない。
「音を可視化できるのか、なんて興味深いんだろう。是非とも詳しく聞きたいな」
案の定目を輝かせる教授にため息が漏れる。
「自分で話の腰を折るな。マルクが言うにはかなりの数だ。それもそう遠くない。わかってるのか? 要は時間がないってことだ。追って来てる群れを始末するならすぐにでも始めなきゃならない」
いくらか苛立ちを込めて吐いた言葉に、教授はヒラヒラと手を振り天井を見上げた。
「心得ているとも。では、もう一つ確認だ。上にいる君、聞こえるかね? 何か燃やすのに適したものは周りにあるかね? それをここに落として欲しいのだが」
「えーー、何? て言うか誰なの? 兄さん」
上からマルクの困惑した声が帰ってくる。
そりゃそうだ。こいつが誰で何者かなんて俺だって知らないんだから。
怪訝な視線を教授に送る。
このイカれた女が何がしたいのかさっぱり見当がつかない。
ジットリした視線を向ければ、教授は両手を広げて肩をすくめてみせた。
とにかく話を進めたいって事か。
ったく、しょうがない。
「ここを出たら説明する。それより、どうだマルク? 出来そうか?」
「ついでにもう一つ確認してくれ。その出口を塞ぐ手立てはあるかね? 可能な限り完全に、そして強固に塞げるものが好ましい」
こいつは一体何がしたいんだ。
まるで要領を得ない。首を傾げながらも、俺よりも訳が分からないだろうマルクに同情しつつ声をかける。
「だ、そうだマルク」
「燃えるものなら廃屋から集められると思うよ。塞ぐってのも、まぁなんとかなると思う。でも一体なんなの?」
「悪いけど説明は後だ」
マルクの戸惑いの隠せない声。
後でちゃんと説明するからな、と心の中で詫びて教授に向き直る。
「満足か? 結局何がしたいんだ」
「結構だ。大変結構。ではテッド君、君の出番だ。我々を追って来ているあの異形を、殺して来てくれ。派手に血の匂いをさせる方法でだ。出来れば死体をここまで運んできてくれるとありがたいな」
ウンウンと満足げに頷きながら放った教授の言葉に、俺は呆れ顔を向けた。
ほんと目眩がする思いだ。
こいつ人の話を聞いてなかったのか?
「そんな事をしたらどうなるか、わかって言ってるんだろうな?」
「無論だとも。君の考えで行けば、すぐ近くまで来ている追っ手を、他の群れが合流する前に絞殺か或いはそれに類する方法で殺し、やり過ごそうと言うのだろう? だがそれはあまりに確実性にかけるとは思わないかね? 血の匂い以外にも彼らを誘引する要素があったとしたら?」
思わず目くじらを立てた俺に、教授は淡々と持論を述べた。その底の知れない瞳が意味深に俺を見る。その意味がわからないほど俺はバカじゃない。
まったくもって認めたくないが、その考えに一理ある事は明らかだった。
「私の考えならば、追っ手全てを一網打尽にし、その上で生き残りがいたとしても、彼らはもう此処には近寄らなくなる。そう言う結果を導ける。請け負うよ。確実にだ」
思わず考え込みそうになった俺に教授は畳み掛ける。自信たっぷりに満面の笑みで。
どうにもこの笑顔を見ていると不安になる。けど、教授が頭の切れる奴だって事はなんとなくわかる。
それにもう時間もない。
扉の向こうに気配がある。すぐ後ろをつけて来ていた群れはそこに居る。
決断しなきゃならない。
このイカれた女の、イカれた考えに乗るか否か。
迷っている暇も、熟考する時間もない。
畜生め。
「しょうがねぇ。乗ってやる。兎に角、外の奴らをまずはどうにかすればいいんだな?」
そう答えた俺に、教授は口端を吊り上げた。
「それでこそだ。まったく君は素晴らしい。プリシラにも手伝わせよう。早速取り掛かるといい。私も準備に取り掛かろう。上の少年も用意はいいかね?」
まだ困惑気味のマルクの返事が聞こえる。
アイツにはいつも迷惑かけてるなーーなんて、そんな考えが頭をよぎる。
でもまぁ、やると決めたんなら腹をくくるしか無い。
教授に言われるまま静かに前に出たプリシラに目配せをする。
相変わらず感情の読み取れないその顔がコクンと頷いた。
「はじめるぞ」
そう、自分に言い聞かせるように吐き出して。俺は今しがた入って来た扉を睨んだ。




