生き抜く術
「この荒縄が一体なんだと言うんだね?」
天井から垂れ下がる荒縄をチラリと見て、教授は怪訝な視線を俺に向ける。
「さっきからちょっと馴れ馴れしいぞ。お前を許した覚えはないんだからな。黙って見てろ」
突き放すように言い放った俺に教授は肩をすくめて見せた。
そんな様を一瞥して俺は荒縄を引く手に力を込める。
パラパラと土くれがいくらか降ってきた後、上の方からカラカラと木と木を打ち付け合うような音が響く。
「ふむ、鳴子が繋いであるようだね?」
興味津々に目を輝かせる教授を無視して、俺はまた歩き始めた。
それが壊れてなかった。それがわかっただけで今は十分だ。
「お、おい。それだけかね?」
慌てて後を追ってくる教授に振り向きもせず、俺は手のひらをヒラヒラと振ってみせる。
「そうだよ。他に何があると思ってたんだ」
「こんないかにもな場所だぞ少年。隠された仕掛け扉の一つぐらいあるのかと期待するじゃないか」
呆れたもんだ。おとぎ話に出てくる迷宮じゃあるまいし。
精一杯呆れた目を向けてやったが、教授はまだ何か言いたげだった。
この状況でまだ何か面白いことがあると思ってるんなら相当の馬鹿だ。
まったく鬱陶しい。
今は他に考えなきゃならないことがあるんだ。
「これがあるってことは、出口は近いって事だ。喜べよ。そら、行くぞ」
まだブツブツと文句を言っている教授を無視して、俺は耳をすませながら歩く。
鳴子は鳴った。ならあいつが気付く。だったら返事が必ずある。それを聞き逃すわけにはいかない。
それなのにーー。
「待ちたまえよテッド君。話は終わっていない」
あぁ、ちくしょう煩いな。
なんだってこいつはいつもいつもタイミングが悪いんだ。
「いい加減にっーー」
堪り兼ねて声を荒げそうになったその時。
今の今まで黙々とついてきていたプリシラが声をあげた。
「ーー聴こえる。鈴の音」
ハッとして改めて耳をすます。
水の流れる音、どこからか吹く風の音、俺たちの吐息。その中に紛れて、確かにその音は鳴った。
チリチリチリと、控えめな鈴の音が遠くから聞こえてくる。
「くそっ、どっちだっ!」
微かに、でも反響したその音はいろんな方向から聞こえてくる気がする。
いくつかには絞れる、けど確信が持てなかった。焦る俺の目の前で、プリシラがゆっくりと手をあげて一点を指差した。
「あっち」
それは俺がアタリをつけた内の一つと一致する。
そうだった。
プリシラは俺より耳が良かった。だったらきっとーー。
「こっちだ、急げ!」
俺は迷わず走り出す。
何が何だかわからないと言った風に首を傾げた教授も、後ろからついてくる。
その後ろを追って走るプリシラをチラと見た。やっぱり、あの子はプリシラなんだと改めて思った。
何度も分岐する複雑な地下水路を鈴の音を頼りにひた走った。
音を見失うたびにプリシラが言葉少なく方向を指し示してくれる。
そうやっていくつ目の角を曲がった時だったろうか。いつのまにか頬に風を感じる。
何処かが外に通じている証拠だ。
夜明け前の身を切るような冷たい風をこんなにもありがたく思うなんて。どうにも妙な気分だ。
鈴の音が、やがてはっきり聞こえてくる。
ーーやった。
向かう先には古びた扉がある。鈴の音はその向こうから聞こえる。
勢いよく扉を開けた俺は、ついに宙にぶら下がって揺れる小さな鈴を見つけた。
そこは真四角の小さな部屋になっていた。
部屋の四隅には、朽ちかけた木箱が積み上げられている。埃っぽい部屋だった。
「兄さん!? テッド兄さんなんだろ!?」
天井にぽっかり空いた穴から、聞き慣れた声が降ってくる。
不安げに響く声に、俺は不謹慎だと思いながらも安堵の息を吐いた。弟の一人、マルクの声だ。
マルクなら俺を見つけてくれるって信じていた。
「マルク、お前の声が聞けて嬉しいよ」
「帰りが遅いから様子を見に出てて良かったよ。兄さん、無事なの?」
「あぁ、今の所は何とか生きてる」
良かった……。と小さく消えそうな声が穴の上から聞こえてくる。
「まってて、今縄梯子をーー」
そう言って離れていこうとする声を、俺は慌てて呼び止めた。
「待てマルク。まだダメだ。豚どもに跡をつけられた。始末しないと上がれない。合図をするまで待っててくれ」
「わかったよ。でも兄さん気をつけて。近づいてくる足音がたくさん見える」
あぁ、とマルクに返事を返して、物言いたげな視線を向ける教授に向き合う。
「説明はして貰えるのだろうね? テッド君?」
「聞いての通りだ。あいつらを皆殺しにする。悪いが手を貸してもらうぞ」
そう言った俺に教授は肩をすくめて見せた。
「手を貸すのはやぶさかではないよ。だが、あれだけ手を出すなと言っておいて、今度は皆殺しと言うのは一体どういうことかね?」
どうにも腑に落ちない様子で教授は尋ねる。
ここで殺すなら、最初から強行突破すれば良かったじゃないかーー、とそう言いたい訳だ。
まぁ、言いたいことはわかる。
でもーー。
「前に言ったろ、肉屋どもには知恵があるんだって。俺たちをここまでつけてきた奴等をそのまま返したらーー」
「ここから獲物が出入りすることを学習してしまうという訳か」
「そういうこった」
そう言ってプリシラを見る。
正直言えば頼りたくはない。
けど、殺し方にも気をつけなきゃならない。
「ふむ、ならば私にも出来ることがありそうだ」
そう言ってマスケットを掲げて見せた教授に俺はかぶりを振った。
「そいつは無しだ。ここまでの道のりを覚えた奴等を皆殺しにしたとしても、ここを血の海にしたら台無しだ。匂いをたどって他の奴らが集まってきたら元も子もない」
教授は少しばかり口を尖らせたが、すぐに何か思案にふけり始めた。
「血を流せないとなれば絞殺か毒殺か。後者は準備がなさそうだ。ならば君とプリシラの出番という事になるがーー」
意味深に言葉を切って、教授は辺りを見回した。部屋の四隅を回りながら、何やらしきりに頷いて、それから口を開く。
まったく嫌な予感しかしない。
「私に妙案があるのだがね。どうだろう? ここはひとつ私に任せてみないかね?」
そう言った教授の顔は、不吉なほど笑顔だった。




