そこに巣食うもの
ヒタリ、ヒタリと湿っぽい足音が、不規則に幾つも重なって聞こえてくる。
塗りつぶしたように真っ暗な水路の奥。カンテラの頼りない灯りに照らされた、暗闇との曖昧な境目にそれは居る。
一匹じゃない。
いくつもの目が、暗がりの奥からこちらをうかがっているのがわかる。
ソレを肉屋と俺は呼んでいる。
人と豚を掛け合わせて、とびきり悪意を込めて醜くしたような生き物だ。もちろんそのどちらでもない。
二本足で歩き回り、道具を使ったりする程度には手先が器用だ。
だけどまぁその程度。一匹一匹は弱い、それに臆病だ。
ただ面倒なのは、こいつらにはある程度知恵がある事だ。
「どうする? あの動く骸骨のように蹴散らすかね?」
立ち上がった教授の手には、いつの間にやらマスケットが握られている。
俺は無言で首を横に振った。
奴らを殺すのは簡単だ。
だけど考えなしにそれをすれば、死ぬのは間違い無く俺たちだ。
「アレは肉屋だ。まぁ俺がそう呼んでるだけだけどな。いいか、よく聞けよ。全部説明する暇はない。ここから生きて出たいなら、俺の言うことを聞いてもらう。まずは騒がずにこのまま移動するんだ。けどその前にーー」
別に勿体ぶるつもりもなかったが、地面に置いたカンテラに視線を送る。俺の視線につられるように、教授もまたカンテラを見やって「ふぅむ」と唸った。
「もっと灯りが必要だ」
悪いことにカンテラの明かりは危うげに揺らめいてる。
油が切れそうなんだ。
いざという時のためにカバンの底に詰め込んでいたものだ。
地下水道に入る予定自体、こんなことにならなきゃなかったんだから準備は万全とはとても言えない。いま無事に明かりを灯せているだけでも御の字だった。
なんにせよ、だ。
今、灯りを失うのは不味い。
アレが今、暗がりでこちらをうかがっているだけなのは、明るい場所を極端に嫌うからだ。
「さっき破り捨てたプリシラの服があったろ。それをよこせ、やる事がある。その間にお前らは適当な棒っ切れを探せ。ただし灯りが届く場所から出るなよ」
一瞬怪訝な顔をした教授だったが、やがて頷くとプリシラに目配せする。
「言われた通りにしよう。プリシラ」
そう言った教授の声に従って、やっぱり無表情なまま辺りを探り始めたプリシラの姿に、複雑な気持ちが首をもたげる。
いや、考えるのは後だ。
余計な考えを頭から振り払って、俺は濁った水の流れる水路を見た。
「ほら、布切れだ。これで何をするのかね?」
プリシラの着ていた服だった布切れを差し出しながら近づいてくる教授を一瞥し、俺は意を決する。
大丈夫、足がつかない程深くは無かったはずだ。
兎にも角にも、まずは血の匂いを消さなきゃならない。
「黙って見てろ」
そう言って俺は、水路に飛び降りた。
またしばらく腹を壊すな、何て考えているのが、どうにも可笑しかった。
少しは調子が戻ってきたのか。このイカれた女に感化されたのか。
まぁそんな事はどうでもいい。
饐えた匂いが鼻をつく。
水は冷たく肌を刺す。
ありがたいことに水かさは腰よりも高い程度だった。
手早く両手の血を洗い流すと、もう一つの目的に取り掛かる。
周りを見渡して目的のものを探す。それはすぐに見つかった。
水面に浮かぶ濁って澱んだそれを、俺は両手で掬いあげては通路に放り上げる。
ブニブニした感触が、まったくひどい心地だ。
飛び散った汚水に、教授が顔をしかめるのが見えたが構うもんか。
「一体何かねこれは? いやーーそうか。これは獣脂の類か」
細い顎に手を当てて唸る教授をよそに、何度かソレを掬い上げてから俺は水路から上がった。
獣脂……ね。
あながち間違ってもいない。人間を獣と考えるならって話だけど。
ソレは水路脇の通路の壁やら天井にちらほらと見える、気色の悪い肉の塊から染み出したものが水路の冷たい水で固まったもんだ。
教えたら教えたで、変に目を輝かせかねない。それはそれで、また面倒臭そうだから、黙っておくことにした。
「まぁ……そんなもんだ」
そう答えながら身震いする。
入った時は生暖かいと感じた地下水路も、ずぶ濡れの姿じゃ流石に寒い。
でもまぁ、そんなことも言っていられない。カンテラは今にも消えそうだ。
プリシラの服だった布切れで、掬い上げたソレを包み絞って水気を切る。
上等そうな布が、みるみる汚水に浸って汚れていく。
教授が一瞬眉をひそめるのが見えたけど、いくら高いもんだって言っても、自分の命よりは安いだろう。
そうしている間に、いい具合に朽ちた木の棒を2本、プリシラが見つけてきた。
(よし、今のところ順調だ)
木の棒の先端に乾いた布切れをぐるぐると巻きつける。
教授がプリシラに目配せすると、彼女は俺のやったことをそっくり真似し始めた。
棒切れに巻きつけた布に、さっきの水気を切った獣脂もどきを塗りたくれば、松明代わりの出来上がりって訳だ。
そっと暗がりの様子をうかがう。
大丈夫、まだ奴らはそこでじっとこちらを見ているだけだ。
数が増えてる様子もない。
どうやら間に合いそうだ。
「あとは上手く燃えてくれることを祈るだけだ」
また暗闇に背を向けて、俺はカンテラの小窓を開く。
即席の松明に火を移つす。
この獣脂もどきを使った松明は匂いは酷いが簡単には消えない。これさえ上手くいけば、水路からの脱出もいくらかは楽になる。そのはずだ。
随分と弱々しくなったカンテラの火が消えないように慎重に松明を近づける。
ーーその時だ。
視界の隅を何かが横切った。




