取り引き
頬に触れるひんやりとした手。
どこか懐かしい、細く華奢な指が頬を撫でる感触にハッとする。
「プリ……シラ……?」
目が合った。
澄んだ翡翠色の瞳は、それが作り物だとは思えないほど綺麗だった。
生きていた頃のプリシラを思い出すほどに。
けど、そこに生気はない。
限りなく妹に似た人形の顔がそこにある。
途端に胸が苦しくなって、たまらず目を背けた。
「悲しいの?」
わずかに小首を傾げたプリシラの手が、今度は俺の髪を撫でる。
他の妹や弟たちにするように、よく俺の頭も撫でようとしたっけ。
年下のくせにーー。とよく腹を立てて払い除けていた。
そんな記憶が脳裏をよぎる。
ロクでもない記憶しか持ち合わせのない俺の、少しは悪くなかったと思える記憶。
「俺が……わかるのか?」
自分でも、何言ってんだって思うさ。
プリシラは死んだ。コイツはプリシラに似た人形。
でも、それでも、わかってしまうんだ。
「貴方の事は知らない。でも、不思議。こうしていると懐かしい気がする」
その声はやっぱり冷たく、感情が抜け落ちてしまったようで。
それでも、彼女が俺の知っているプリシラなんだと、不思議と腑に落ちた。
頰を熱いものが伝う。
いろんな事がもう、どうでもいい気がする。身体の中が空っぽになった気分だ。心の奥底で鉛のように重くのしかかっていた何かが消えて行ったような。
そうだ、俺はプリシラを殺したりしたくなかった。プリシラに生きていて欲しかったんだ。例えそれがどんな形であったとしても。
その望みが叶うかも知れない。そう思ってしまった。
何のことはない、俺も教授も変わらず人でなしだ。こんな事で罪悪感が和らぐなんて。
自嘲気味な笑みを漏らした俺の耳に、上機嫌な教授の声が響いた。
「素晴らしい! 本当に素晴らしいな君は! いやーー君たちは、と言うべきか。プリシラが私が命じた事以外の行動をとったのは初めてだ。君にはプリシラにそうさせる何かがある。君と言う存在が彼女の中の何かを励起してそうさせた。実に興味深い」
俺の心中なんぞお構いなしに、教授はまくし立てる。
コイツのことは、天地がひっくり返っても好きになれそうにない。
でも、それでもーー。
「テッド君。そこで提案だ。世の中には物事をスマートに進める二つの力がある。一つは君もよく知っている暴力だ。だが、残念ながらそちらは私の得意な分野ではない。だからもう一つの力の話をしよう。詰まる所、お金の話だよ」
何を言い出すのかと思えば。
けど口は挟まなかった。
それを語る教授の目が、笑ってはいなかったから。
「簡単な話だよ。プリシラを私から買い戻せばいい。そうすれば、手に入れた彼女をどうしようと君の自由だろう?」
筋は通った話だ。確かに単純明快でわかりやすい。けど、お話にならない。
だってーー。
「俺が金なんか持ってるように見えるかよ」
ため息混じりにかぶりを振った。
教授はくつくつと笑い、まぁまぁと手振りで俺を制する。
「せっかちだな君は。話は最後まで聞きたまえよ。確かに今は持ち合わせがないようだ。だが、モノの価値とは欲する者の有無と、その強さで変わるものだ。そして今、私は君に非常に強い興味を持っている」
教授が何を言いたいのか、直ぐにわかった。
コイツが何者なのかすら、俺は知らない。出会って間もないんだから当たり前だ。
でも、コイツの考えそうな事は察しがつく。そう思うのは、コイツが一片の狂いもなく、狂ったままブレないからだ。
まったく、ロクでもない話だ。
「俺自身をあんたに売って、その金でプリシラを買い戻せって、そう言いたいのか? 今度は俺がお前のオモチャになれって? この人でなしめ」
せいぜい恨めしげな視線を送った先で、教授は満足げに頷く。
「理解が早くて大変結構だ。それでどうするかね? 悪い話ではないと思うが。いずれにせよ、いつまでも此処で諍いあってもいられんだろう? 互いに落とし所を探ろうじゃないか」
不思議と頭の中はスッキリしていた。
教授の言い分も一理あると思える程度にはだ。
俺だって、ここに長居するつもりなんて毛頭ない。
だからーー。
「いいぜ。言っておくがお前を信用したわけじゃない。もちろん許してもいない。きっちりケリはつける。だけど今は、お前の言う通りだ。とりあえずここを出る。話はその後だ」
そう口にしながら、俺は背後に近づく気配に注意を向ける。
2体、いや3体か。
頭に血が上って、ここで血の匂いをさせたのは失敗だった。これ以上奴らが集まってくる前に退散しなきゃならない。
「結構結構。だがしかし、少々騒ぎすぎたようだな。どうやら来客のようだぞテッド君。いや、ここでは我々が客人かな? それも、あまり歓迎はされていないようだ」
また教授が勝手な事をしないうちに、ここでのルールを教えなきゃならないが、どうやらそんな時間はもう無いみたいだ。
(ちくしょう、結局こうなるのか)
なぜだか楽しげに目を細めた教授に、俺はため息を吐いた。




