決裂
教授の声がやけに遠く聞こえる。
別に耳がどうになかったってわけじゃない。教授の声は聞こえている。だけど話の中身がさっぱり頭に入ってこなかった。
そんな俺の様子なんかお構いなしに、教授は言葉をつづける。
「違ったかね? 遺体には眼球に斑状の出血痕があった。それは死ぬ直前まで窒息状態にあったことを示す。首にも鬱血の跡があった。しかるに首を絞められたんだーー」
ーーやめろ。
首筋がジクジクと痛む。
かぶりを振りながらぎゅっと目を閉じる。
そうすると、嫌が応にも脳裏に焼き付いて離れないあの光景が蘇る。
「合点がいったよ。脛骨が折られていたのは、せめてもの思い遣りだったわけだな。彼女を長く苦しめないためにーー」
やたらと上機嫌な教授の声が、ささくれ立った俺の神経を逆撫でしていく。
ーー五月蝿い、黙れ。
わかる。俺の中の呪いが、俺の怒りを喰って暴れ出そうとしてる。
「だがそのおかげで、頭蓋も臓腑も綺麗なものだった。おかげで彼女を人形の最も重要な部品として使うことができた」
「……るせぇ、もう……黙れよ」
震えのきた身体を両腕できつく抱きしめる。どうにか絞り出した声はくぐもって、教授には届かない。
「それにだ、彼女との出会いがなければ私はこの発見に満ちた街のことを知り得なかった。全ては、君のおかげという訳だテッド君。ありがとう」
ありがとうーー?
ありがとうだって?
あぁダメだ、もう抑えが効かない。
身体の奥底から噴き上がる激情に、俺は抗うのをやめた。
「うるせぇっつってんだろ!」
激昂した。
同時に首筋から、肩から、血が吹き出して滴る。
鱗じみて変質した皮膚が、波打つように蠢き、刺々しく伸び隆起する。
それにまだ辛うじてヒトの姿を保っていた部分が耐えきれずに裂けた。
滴った血はすぐに霧のように宙に溶け出し、また鱗のように幾重にも重なっていく。
自分の身体がますます人間離れしていく事にも、もう何も感じない。
「すごいな。それも呪いの一種か。どうやらその力は君の感情に呼応するらしい。実に興味深い」
身体から染み出した呪いが靄のように辺りに漂う。
黒く滲んだ視界の先で、教授は笑っている。またあの目だ。
好奇に酔った、狂人の眼差し。
反吐がでる。本当にうんざりする。
火葬場守りのクソ野郎も、こいつも。
俺の、俺とプリシラの思いを踏みにじった。許せるわけがなかった。
「もうお前、喋るなよ。もう沢山だ」
硬く握り締めた拳にぬるりとした感触。
いつのまにか身体の変質は指先にまで達して、異様に長く伸びた爪が手のひらを突き刺していた。
不思議なもんで、傷に気がついた途端に痛みが襲う。だけどもう、構うもんか。
「その子はプリシラだ。俺の知ってるプリシラとはどうしようもなく違うんだろう。けど、それでも、その子がプリシラだって言うなら、俺はその子を自由にしてやらなきゃならない」
殺気立った瞳でギロリと睨め付ける。
けど教授は眉一つ動かさない。
一瞬の沈黙、互いに逸らすことのない視線の先で、教授は肩を竦めて見せた。
「やれやれ、やはりそう言う事になるのか。縁のある者だろうことは察しがついたからね。こうなる予感はあったよ」
やれやれと言わんばかりにかぶりを振った教授は一度目を伏せた。
それから大げさなため息を一つ。
再び視線を合わせた教授は、もう笑ってはいなかった。
「だからこそ、先に告げておいたはずだ。この子は私の物だ。理解できないと言うのなら何度でも言うが、その所有権は正当なもので、私はそれを手放すつもりはない」
スッと細めた切れ長の目元に、冷淡にも見える瞳が揺れる。
ついさっきまでの浮かれた表情とはまるで別人だ。
だけど、それがなんだって言うんだ。
「知らねぇよ、そんなもん。俺は返してくれとお願いしてるんじゃない。手放せないってんなら、お前を殺して奪い返す。それだけのことだ」
ゆっくりと立ち上がる。
(ちくしょう、何処もかしこもが痛てぇ)
自分の中で呪いの力が暴れ回って、はけ口を求めているのが分かる。
それでも、俺は顔を上げる。
少しばかり見上げなくちゃいけない教授の顔を、明確な殺意を込めて見返す。
彼女の為だったとはいえ、俺はプリシラの命を手にかけた。
俺の手はもう血染めの手だ。
元より、妹たちの為ならどんな汚い事でもやるつもりだったし、事実として今までそうしてきた。
あと一人、このイカれた女一人殺すぐらい、なんてことはない。
ハハッーー。
思わず笑みが漏れる。
なんだ、簡単な話じゃないか。
やっぱり今の俺は少しどうかしてた。
いつも通り、いつも通りだ。
奪われるだけの一生が気に食わないんだったら、奪う側になればいい。
それを咎めるプリシラは、もういない。
ーーいないんだから。
今の俺は、ひどく陰惨な笑みを浮かべているに違いない。
「暴力で解決、と言う訳かね? なに、悪くない。非常にシンプルで結構な話だ。だが、聞きたまえ。一つ老婆心から忠告してあげよう」
そう言って教授は、また口端を吊り上げた。
神経を逆撫でする、あの笑みだ。
教授は大仰な身振りで両の手を広げ、そしてーー。
「テッド君、君には私を殺すことはできないよ。断言してもいい、それは絶対だ」
不敵にそう宣言した。




