第9話「Magnifique!な年始」
年始最初のバイトの日、ひなはサロンに入るなり目を丸くした。
予約表がびっしり埋まっている。
「先生!!これ全部今日ですか!?」
「そうだよ」悠がコーヒーを淹れながら言った。「年末年始はこういう感じだよ。世間が休みの間に体を整えようって人が多いからね」
「なるほど!!でもこれ、先生一人でこなせるんですか!?」
「ひなちゃんに手伝ってもらうよ」
「私!?頑張ります!!」
「うん。受付と補助、よろしく」
「任せてください!!あ、でも先生、ちゃんと休憩してくださいよ。倒れたら困るので」
「倒れないよ」
「倒れてから言っても遅いんです!!」
悠が少し口の端を動かした。「わかったよ」
「約束ですよ!!」
こうしてひなの年始が始まった。
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午前中は三件、立て続けに施術が入った。ひなは受付と補助を行ったり来たりしながら、てきぱきと動いた。タオルの補充、会計の準備、次のお客さんへの声かけ。忙しいが、不思議と楽しかった。
「橘さん、次の方いらっしゃいます」
「はい!」
悠が施術室から出てきて、ひなと目が合った。
「ありがとう。うまく回ってるよ」
「本当ですか!?やった!!」
「うん。助かってる」
ひなはその一言でまた元気が出た。こういうとき、先生の言葉は短いけど重い。
午後の最初のお客さんの時間まで、少し間があった。二人でカウンターに並んでお茶を飲んだ。
「先生、年末年始ってずっとこんな感じですか」
「大体ね。一月の半ばくらいまで続くかな」
「先生、毎年一人でこなしてたんですか」
「そうだよ」
「すごい……」ひながお茶を一口飲んだ。「今年は私いるから、少し楽になるといいですね」
悠が少し間を置いた。
「……うん、なってるよ」
ひなは聞こえなかったふりをした。聞こえていたが、顔が熱くなりそうだったので。
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午後一番の予約は、初めての名前だった。
アレクサンドル・デュボワ様。アロママッサージ、九十分。
「先生、この方って?」
「仕事でこの街によく来る方でね、去年知り合いから紹介してもらって。二回目だよ」
「外国の方ですか!?」
「フランスの方だよ」
「フランス!!」ひなのテンションが三割上がった。「私、フランス語わからないですけど大丈夫ですか!?」
「日本語は話せるよ。ただ……まあ、来てみればわかるかな」
「まあって何ですか、まあって」
そのとき、ドアが開いた。
「Bonjour!」
声が先に来た。
続いて入ってきたのは、すらりと背の高い男性だった。三十代くらい。おっとりした目をしていて、スカーフが様になっている。入ってきた瞬間、サロンの空気がほんの少し変わった気がした。
「あ、先生!Bonne année!よいお年でしたか」
「明けましておめでとうございます。こちらこそ」
「Magnifique!また会えて嬉しいよ」アレクサンドルがサロンを見回した。「あ、新しい子がいる」
ひなが一歩前に出た。「はじめまして!橘ひなといいます!よろしくお願いします!!」
アレクサンドルがひなをじっと見た。三秒ほどかけて。
「Oh……」
「あ、あの、何か?」
「元気ね」
「はい!!」
「好きよ、こういう子」アレクサンドルがにっこりした。「フレッシュでいい。まるで春みたいだよ」
「ありがとうございます!!」
「橘さん」悠が静かに言った。「コートのお預かりを」
「あ、はい!アレクサンドルさん、こちらへどうぞ!」
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施術の前に、アレクサンドルが待合スペースに座った。ひなが問診票を渡しながら説明していると、アレクサンドルが悠の方を見た。
悠がカウンターでタオルを確認している。
「ねえ」とアレクサンドルがひなに言った。
「はい!?」
「先生って、昔からあんな顔してるの?」
「あんな顔、というと……」
「Magnifique、な顔」
ひなは悠の方を見た。悠はタオルを折りながら何も気づいていない。
「……まあ、いつもああいう感じですね」
「そう」アレクサンドルがうっとりした顔をした。「フランスにも連れていきたいくらいだよ」
「それはちょっと困ります!!」
アレクサンドルがくすっと笑った。「冗談だよ。でも本当に、美しい顔をしてるね」
悠がこちらを向いた。
「アレクサンドルさん、準備できましたので」
「Oui!今行くよ」アレクサンドルが立ち上がりながら、悠に向かって言った。「先生、今日もよろしく。あなたの手は魔法みたいだよ」
「ありがとうございます」悠が静かに答えた。「施術室へどうぞ」
「Magnifique!」
二人が施術室へ入っていった。ドアが閉まった。
ひなは一人残されて、カウンターに両手をついた。
フランスに連れていきたい。
……先生、もててる。
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施術が終わったのは一時間後だった。
アレクサンドルが出てきた。顔がやわらいでいる。
「Parfait!完璧だよ、先生」
「ありがとうございました」
「この手、本当に素晴らしい。Mon Dieu、どうしてこんなに上手いの」
「慣れですよ」
「慣れじゃないよ。才能だよ」アレクサンドルがひなの方を向いた。「橘さん」
「はい!!」
「先生のこと、大切にしてね」
ひなが少し固まった。「え、あ、はい……」
「いい場所だよ、ここ。いい人もいるしね」アレクサンドルがにっこりした。「あなたもね」
「あ、ありがとうございます!」
アレクサンドルが会計をしながら、ひなをじっと見た。また三秒ほど。
「橘さん」
「はい!」
「あなた、ゲイにもてるタイプよ」
ひなは止まった。
「……え?」
「わかる?ゲイにもてる子って、独特のオーラがあってね」アレクサンドルがさらっと続けた。「明るくて、裏表がなくて、一緒にいて楽しい感じ。あなたはそれがある」
「それは……褒めてますか?」
「最上級の褒め言葉だよ」
ひなは悠を見た。悠はカウンターの端でアロマストーンを動かしながら、かすかに口の端が動いていた。
「……ありがとうございます」とひなは言った。「たぶん」
「C'est la vie!」アレクサンドルが笑いながらコートを羽織った。「また来るよ、先生。次回もよろしく」
「はい、お待ちしております」
「Magnifique!Au revoir!」
ドアが開いて、アレクサンドルが出ていった。
サロンに静けさが戻った。
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しばらくひなは動けなかった。
「……先生」
「ん」
「ゲイにもてるって、最上級の褒め言葉なんですか」
「らしいかな」
「らしいって何ですか!先生は昔から知ってたんですか!」
「前回会ったとき教えてもらったよ」
「私だけ知らなかった!!」
悠がコーヒーを淹れながら「ひなちゃんに言う機会がなかったからね」と言った。
「っていうか先生!」
「ん」
「先生も言われてましたよね。Magnifique、って」
「うん」
「どういう気持ちでしたか」
悠が少し間を置いた。
「……うん、まあ、俺だけは狙わないでほしいかな」
「ふふ」ひなが少し笑った。「でも顔がいいのは事実じゃないですか」
悠が振り返った。
ひなが固まった。
「……あ、これ私が言うのもおかしいですね!忘れてください!!」
「なんで忘れるの」
「なんとなく!!」
悠が「ふっ」と小さく笑った。ちゃんと声になった笑い方だった。
ひなはその笑い方を聞いて、耳が熱くなった。
なんか、耳が熱い。
「次のお客さん、もうすぐですよ」とひなは言った。話題を変えるために。
「うん。ありがとう」
「はい!!」
ひなはカウンターに向かいながら、小さく深呼吸した。
年始から、なかなか忙しい。
色々な意味で。
今日もお読みいただきありがとうございました!
次回は明日(13日)の10話、11話、更新予定です。お楽しみに!
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