第6話「サロンのクリスマス」
十二月に入って最初のバイトの日、ひなはサロンに入った瞬間に気づいた。
何もない。
待合スペースに、観葉植物が並んでいる。カウンターに、悠のコーヒーカップがある。棚に、タオルが整然と並んでいる。
それだけだ。
「先生」
「ん」
「クリスマスの飾りとか、しないんですか」
悠がディフューザーのオイルを足しながら振り返った。
「しないかな」
「え!なんでですか!?」
「必要ない気がして」
「必要ないって!?十二月ですよ!?もうすぐクリスマスですよ!?」
「うん」
「お客さんも喜びますよ絶対!ちょっとだけでいいので!ツリーとか!リースとか!」
悠が少し考えた。
「……どこに置くの?」
「え?」ひなは待合スペースを見回した。「ここの角とか!カウンターの上とか!」
「小さいやつならいいかな」
「やった!!じゃあ今日閉店後に買いに行きましょう!近くに百均ありますよね!」
「あるけど」
「決まり!!」
悠は何も言わなかった。でも「いいよ」と言っているのと同じだとひなにはわかった。この人はそういう人だ。
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閉店後、二人で百均に向かった。
十二月の夜は寒い。ひなはマフラーを巻き直しながら、白い息を吐いた。悠は黙って歩いている。
「先生、クリスマスって毎年何もしないんですか」
「そうだね」
「ひとりなんですか」
「うん」
「さみしくないですか」
「さみしくないかな。静かでいいよ」
ひなは少し考えた。「先生っぽいですね」
「そう?」
「うん。静かなの好きじゃないですか」
「好きだよ」
「でも今年はサロンに飾りができるから、ちょっと違いますよ」
悠は答えなかった。でも歩くペースが、わずかにゆっくりになった気がした。
百均のドアを開けると、店内はクリスマス一色だった。赤と金と緑が目に飛び込んでくる。ひなの目が輝いた。
「わあ!!!」
「……おぉ」
ひなが振り返ると、悠も少しだけ目が広がっていた。
「先生も言いましたよね今」
「言ってないかな」
「言いました。小さい声で」
「……カゴ持つよ」
「ありがとうございます!行きましょう!」
ひなが売り場を歩き始めた。悠がカゴを持ってその後ろをついていく。
「これかわいい!ミニツリー!」
「それいいね。サイズもちょうどいいよ」
「え、先生が即OKだした」
「だめだった?」
「嬉しいです!じゃあオーナメントも!金と赤と——」
「赤はちょっと派手かな。ゴールドだけの方がサロンの雰囲気に合うよ」
「ゴールドか。あ、白も合わせたらどうですか」
「それいいかも」悠がゴールドと白のオーナメントを両方手に取って見比べた。「混ぜた方が動きが出るね」
「先生、なんか楽しそうじゃないですか」
「……そう?」
「目が違います。さっきより」
悠はオーナメントをカゴに入れながら「気のせいじゃないかな」と言った。でも棚の前から離れなかった。
「あ、リースも!これどうですか」
「それより」悠がひとつ隣のリースを取った。「こっちの方が葉っぱのバランスがいいよ。これの方が——」
「先生」
「ん」
「今、自分からリース選びましたよね」
「……ひなちゃんに聞かれたからね」
「聞いてないです、自分から取りました」
悠がリースをカゴに入れた。「ガーランドも見ようかな」
「先生!!!」
「ん」
「めちゃくちゃ楽しんでますよね!?」
悠が少し止まった。
「……気になるからね」
「かわいい!」
「かわいくないよ」
「めちゃくちゃかわいいです!!」
悠がガーランドの棚の方へすたすたと歩いて行った。ひなはケラケラ笑いながらその後をついていった。
気づいたら選んでいるのは完全に悠の方だった。ひなはカゴを持って後ろからついていくだけになっていた。それが、なんかすごく楽しかった。
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サロンに戻ったのは八時過ぎだった。
袋をカウンターに置いて、二人で中身を広げた。ミニツリー、ゴールドと白のオーナメント、葉っぱのリース、ガーランド、小さなLEDライト。
「どこから始めますか」
「ツリーからかな。角に置こう」
悠がツリーを持って待合スペースの角に置いた。少し右に動かして、少し左に戻した。
「先生」
「ん」
「五ミリくらいしか動いてないですよ」
「角度が違うからね」
「どっちでも同じじゃないですか!?」
「同じじゃないかな」
ひなは首をかしげながら、オーナメントをツリーにかけ始めた。悠がそれを見ていた。
「それはもう少し上がいいかな」
「え、ここじゃダメですか」
「バランスがよくないかな」
「先生がやってください!!」
「ひなちゃんがやった方がいいよ。俺が言うから」
「それ一番めんどくさいやつ!!」
結局、オーナメントをひとつかけるたびに悠が「もう少し右」「そこは違うかな」と言い続けて、ひなが「どこでもよくないですか!?」と叫び続けた。隣の観葉植物がかわいそうだった。
リースは玄関ドアに。これは悠がさっさと自分でかけた。高さを三回調整した。
「先生、もうそこでいいですよ!」
「あと少しだよ」
「どこが違うんですか!?」
「目線の高さに合わせたいからね。入ってきたお客さんが最初に目に入る場所だから」
ひなは少し止まった。
「……そういう理由があるんですか」
「飾りつけにも理由があるよ」
「なんか、すみません。どこでもいいとか言って」
「いいよ。俺が細かいだけだからね」
悠がリースの高さを最後にほんの少し直して、「これでいいか」と言った。ひなはそれを見て、なんかいいな、と思った。
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最後にガーランドを窓際に張ることになった。
脚立を持ってきて、ひなが上に乗った。
「こっちの端を持っててください!」
「はい」
ひながもう片方の端を窓の枠に貼り付けようとして、少し背伸びをした。
その瞬間、脚立がわずかにぐらついた。
「あ——」
悠の手がひなの腰をさっと支えた。
一瞬だった。
「大丈夫?」
「……あ、はい、大丈夫です」
ひなはガーランドの端を貼り付けながら、なんとなく耳が熱くなっているのに気づいた。十二月なのに。
「降りて。俺がやるよ」
「大丈夫です!もう貼れました!」
ひなが脚立から降りた。悠がガーランドの真ん中あたりを少し直した。
「……これでいいかな」
二人でサロンを眺めた。
窓際のガーランドにLEDライトが灯っている。角のミニツリーにゴールドと白のオーナメントがさがっている。玄関のリースが、ちょうど目線の高さにある。
悠が「……悪くないね」とぼそりと言った。
「悪くないじゃなくて、すごくいいですよ!!」ひなはスマホを取り出した。「写真撮ります!」
パシャパシャと何枚か撮った。LEDライトが温かく光っている。いつものサロンより、少しだけ違う空気がある。
「先生も一緒に撮りますか?」
「いい」
「え、なんで!」
「俺は撮らなくていいよ」
「残念」ひながスマホをしまいながら言った。「来週お客さんたちに見せたいな。高橋さん絶対喜ぶ」
「そうだといいね」
悠がLEDライトの明るさを少し調整した。間接照明と合わさって、サロンがいつもより柔らかい光に包まれた。
しばらく二人とも黙って、そのあかりを見ていた。
「ひなちゃん」
「はい」
「クリスマス、何するの?」
ひなは少し驚いた。悠から聞いてくることは珍しい。
「え?何もないですよ?友達と会うかもくらいで」
「そう」
「先生は?」
「俺も何もないよ」
「サロン開けるんですか?」
「クリスマスは休みかな。静かにしてるよ」
ひなはLEDライトを見た。温かい光が、サロンの木の壁に揺れている。
「じゃあ先生、クリスマスはひとりでこの飾り見ながら過ごすんですね」
「そうなるかな」
「……なんかいいですね、それ」
「そう?」
「うん。静かで、あったかくて」
悠は少し間を置いて、「そうだね」と言った。
ひなはコートを手に取りながら、もう一度サロンを振り返った。
「先生、今日ありがとうございました。楽しかったです」
「俺も、楽しかったよ」
ひなは少し驚いた顔をして、それからにっこり笑った。
「また来年も飾りつけしましょうね」
「……来年も一緒にやる?」
「やりますよ!!当たり前じゃないですか!」
悠がかすかに笑った。
「じゃあ、また来年だね」
「約束ですよ!」
ひながドアを開けると、十二月の夜風が流れ込んだ。振り返ると、サロンの中にLEDライトが温かく灯っている。
来年も、ここに来る。
それがなんか、すごく当たり前のことのように思えた。
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