第5話「玉先生と先生」
「先生」
開店三十分前。ひながタオルを棚に戻しながら、なんでもないように言った。
「ん」
「あの施術中に呟いてたセリフ、調べました」
悠の手が止まった。
ディフューザーのオイルを足そうとしていた手が、そのまま固まった。
「……何を」
「六期まで観ました」
「……何を」
「縁結び帳」
沈黙が三秒あった。
悠がゆっくりひなを振り返った。いつもの静かな顔だ。でも目が、少し違う。
「……全部?」
「全部!」
「3期まで?」
「3期まで!一週間で!」
「……一週間で3期」
「毎日5話ずつ観たら意外といけました!あと最終回の前で一回泣いて次の日また最終回見て泣いて——」
「ひなちゃん」
「はい!」
「ちょっと待ってて」
悠はディフューザーをカウンターに置いた。椅子を引いて座った。背筋を伸ばして、ひなを正面から見た。
ひなが「あ、これやばいやつだ」と思ったのはこのときだった。
「どのシーンが好きだった?」
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「えっとね!」ひなも椅子を引いて向かいに座った。「雨神のとこ!」
「雨神」悠が頷いた。「何期?」
「一期!『一度心を許してしまえば、もう忘れることなどできないんだよ』のとこ!」
悠の目がわずかに細くなった。
「あそこは——雨神が澄子さんに言うんだけど、あのシーンの空気感がね」
「泣きました!!」
「泣くよね。でもあそこって実はその前のシーンの積み重ねがあって——雨神が長い時間をかけて、ただその場所に残って、信じてくれたおばあさんを待ち続けてたっていう——」
「それがわかってから見るともっと泣ける!」
「そう!」悠が少し前のめりになった。「だからこそ、小さくなってしまった雨神が澄子さんに『それでも』って言える重みが——」
「あの、先生」
「ん」
「さっきから声のトーンが上がってますよ」
悠がぴたりと止まった。自分の声に気づいたように、少し姿勢を戻した。
「……そう?」
「全然別人みたいです。続けてください」
「……いや、俺が喋りすぎて——」
「続けてください!!」
悠はひなを見た。ひなが目を輝かせてこちらを見ている。
「……三島さんのセリフ、好きなのある?」
「あ!『他人と分かり合うのは難しいことだよ、誰にとってもね』!」
「三島さんが言うからこそ重みがあるんだよね」悠が続けた。「三島さん自身も、ずっとひとりで孤独にやってきた人だから」
「先生!それです!それ!三島さんって主人公のことをちゃんとわかろうとしてくれてるじゃないですか。ああいう大人に言われると——なんかわかってもらえた感じがして——」
「主人公が孤独だったのは、分かってもらえる場所がなかったからだからね」
「そうなんですよ!!」ひなが身を乗り出した。「で、澄子さんも同じだったじゃないですか!だから主人公にあの帳面が渡ってきたっていうのが——」
「そこに気づいた?!」
「気づきました!!」
二人が同時に前のめりになった。カウンターを挟んで、顔の距離が近い。
悠が「じゃあ」と続けた。「玉先生がさ、『人とはそういうものだろう』って主人公に言うシーン、覚えてる?」
「覚えてます!一人では何もできなかったって主人公が落ち込んでるとこですよね」
「そう。あのセリフって玉先生らしくないじゃない。ふだんはぶっきらぼうなのに」
「泣きました!!!」
「泣くよね!」
「玉先生って実はずっと主人公のこと心配してるじゃないですか!!でも素直に言わないから!!」
「言わないんだけど、行動で全部わかるんだよね——」
「先生!」
「ん」
「先生って、玉先生に似てますよ」
悠が止まった。
「……俺が」
「うん!素直に言わないとこ!でも見てたらわかるとこ!」
悠はしばらくひなを見ていた。何か言いかけて、やめた。
「……玉先生は動物だよ」
「動物じゃないですか。先生は人ですもんね」
「そう」
「でも似てます」
「……ありがとう」
「褒めてます!」
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「『やれることをやらないで後悔するのは嫌なんだ』ってやつも好きでした」とひなが続けた。「主人公が言うシーン」
「あれは主人公の根っこだからね」悠がお茶を一口飲んだ。「あの子は怖いのに、怖くても踏み出す。それが主人公の一番好きなとこかな」
「先生、好きなキャラ誰ですか」
「主人公だよ」
「即答!」
「悩む余地がないからね」
ひなが笑った。「私は玉先生です」
「そうだろうね」
「え、なんでわかったんですか」
「なんとなくかな」悠がかすかに笑いながら言った。「自由で、でもちゃんと誰かのそばにいるから」
ひなはそれを聞いて、少しだけ照れた。
「……うまいこと言いますね」
「縁結び帳から学んだかな」
「絶対違います」
悠が笑った。今度はちゃんと、声になりそうなくらい。
そのとき時計が目に入って、悠の顔がわずかに変わった。
「……ひなちゃん」
「はい」
「開店、五分過ぎてる」
ひなが時計を見た。
「あ!!!!」
「俺が喋りすぎたね」
「いや先生のせいじゃないです、私も止まらなかったし——!」
二人でばたばたと準備を再開した。悠がディフューザーを戻して、ひなが棚のタオルを確認する。
「先生」
「ん」
「こういう話するとき、全然別人ですよね」
「そう?」
「うん。すごく楽しそうで——かわいいです」
悠が手を止めた。
「……かわいいは余計だよ」
「褒めてます!」
「余計」
「かわいいです!」
「……準備して」
「はーい!」
ひなが笑いながらカウンターに戻った。悠は背を向けたまま、口の端がわずかに動いていた。それがひなには見えていなかった。
見えていなかったが、なんとなく気配でわかっていた。
「先生」
「ん」
「次また縁結び帳の話、してください」
少し間があった。
「……大切なものは、ちゃんと大切にしたいからね」
「それ作中のセリフじゃないですか!」
「そうだね」
「先生自身の言葉で言ってください!」
「……また話すよ」
「約束ですよ!」
悠は答えなかった。でもそれが、答えだとひなは知っていた。
サロンのドアを開けると、十二月の冷たい空気が流れ込んできた。
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その日の夕方、バイトを終えたひなは帰り道でスマホを取り出した。
結衣にLINEを送った。
「ねえ聞いて、今日先生が縁結び帳の話ですごい喋ってた」
既読がすぐついた。
「どのくらい」
「開店五分過ぎるくらい」
「それは喋った」
「全然別人みたいだった。あんなに喋る人だったんだって思って」
「ひなはどうだったの」
「私も喋った。めちゃくちゃ楽しかった」
しばらく間があって、結衣から返信が来た。
「それ、好きじゃん」
ひなはスマホを見た。
「アニメが?」
「そうじゃなくて」
「……先生が縁結び帳好きなとこが?」
「そうじゃなくて」
ひなはまた少し考えた。
「……先生のそういうとこが?」
「やっとわかった?」
ひなはスマホを胸に当てて、夜空を見上げた。十二月の空は、雲がかかって星が見えない。息が白い。
楽しかった。本当に楽しかった。
先生があんなふうに話すのを聞いているのが、楽しかった。
「……わかんない」とひなは結衣に返した。
「嘘つき」
「わかんないの!」
「はいはい。おやすみ」
「おやすみ!」
ひなはスマホをポケットに入れて、また歩き出した。
頭の中で、さっきの悠の声がぐるぐるしている。
——大切なものは、ちゃんと大切にしたいからね。
それって、作中のセリフだ。
でも、先生が言うと——なんか、違う感じがする。
ひなは白い息を吐きながら、小走りになった。考えてもわからないことは、走ればだいたい忘れる。そういうものだ、たぶん。
でも今日は、忘れられそうになかった。
いつもお付き合いいただき感謝です!次回も楽しんでいただけるよう頑張ります!




