第3話「恋愛相談(という名の尋問)」
専門学校の授業が終わったのは午後三時だった。
廊下に出た瞬間、結衣に腕をつかまれた。
「ひな、ちょっといい?」
「え!?なに!?いきなり!」
「顔」
「顔?!私の顔がどうかした!?かわいい?!」
「引きずってる」
ひなは一瞬止まった。でもすぐ立て直した。
「引きずってない!!見て!この笑顔!!満点では!?」
「作ってる」
「これが素!!天然の笑顔!!」
「ファミレス行こ」
「え待って鞄が——!授業の資料が——!」
「持って」
「先生に提出するやつが——!」
「もう提出したよ、さっき」
「え!?いつの間に!?」
「ひながぼーっとしてる間に」
「え!そうだったの!?」
「行くよ」
腕を引っ張られながら、ひなは片手で鞄をひっつかんだ。まあいいか、とひなはわりとすぐ思った。話したかったのは本当だった。
---
ファミレスに入って席についた瞬間、結衣がメニューも開かずひなを見た。
「話して」
「何もないよ!元気だよ!ほら!!」ひなは全力の笑顔を作った。「この顔見て!幸せそうでしょ!」
「幸せそうな人はその顔しない」
「するよ!!これが私の幸せ顔!!」
「ドリンクバー取ってくる間に整理しといて」
「聞く気満々じゃん!!」
結衣がさっさとドリンクバーに向かった。ひなは一人でテーブルに両手をついて天井を見上げた。
……まあ、話すか。むしろ誰かに言いたかったやつだし。
結衣が戻ってきた。コーラとオレンジジュースをどんと置いて座る。
「で?」
「バイト先にね、常連のお客さんがいて!」ひなが前のめりになった。「オイルマッサージ九十分コースで来る人で、先生と二人で個室に入るの!」
「先生ってオーナーの人」
「そう!で、二人が個室入ったとき——なんかすごく自然な感じで、こう、距離感が!空気感が!」ひなは身振り手振りで説明した。「私ね、ドア閉まった瞬間になんか、こう、ぐっときたんだよね!!」
「ぐっと」
「そう!胸のあたりが!ぐっと!」
「それで?」
「それだけ!気になっただけで、でも全然平気だから!!」
「ひな」
「なに!」
「全然平気な人は胸がぐっとならない」
「気圧!気圧のせい!」
「十一月に気圧のせいにするな」
「じゃあ、磁場!!」
「磁場で胸がぐっとなる人間はいない」
「私はなる人間なの!!」
結衣がストローをくるくるしながらひなを見た。「その九十分、何してた?」
「受付!」
「ちゃんと集中できてた?」
「……まあ」
「時計何回見た」
「……数えてない」
「だいたいで」
「……五回くらい?」
「九十分で五回。十八分に一回だね」
「なんで計算してんの!!」
「頭の回転が速いから。続けて、終わった後どうなったの?」
「先生に『瀬川さんってどんな人ですか』って聞いたら『いいお客さんだよ』しか言ってくれなくて、なんかはぐらかされた感じがして——モヤッとして——」
「ひな」
「なに!」
「それ、好きじゃん」
ひなは飲みかけのオレンジジュースをむせた。
「な——!どこが!!どういう根拠で!!」
「好きじゃない人にはぐらかされてもモヤッとしない」
「それは——その人のことが尊敬してるから!!」
「尊敬ね。どんなところが?」
「施術がめちゃくちゃうまいし!教え方丁寧だし!普段クールなのに二人でいるとおちゃらけるし!甘いもの好きなのに素直に言わないのとか!アニメのセリフ施術中に言っちゃうのとか!」
「ひな」
「なに!」
「三秒で五個出た」
「……っ」
「好きな人の話し方だよ、それ」
ひなは口を開けた。閉じた。開けた。また閉じた。
「……年齢差が!十八歳差が!!」
「ひなが気にしなければ気にならないじゃん」
「でも先生は気にしてそうで——」
「なんで知ってんの」
「……なんとなく」
「よく見てるじゃん」
「…………」
「何も言えなくなったね」
ひなはオレンジジュースを両手で持ってストローをくわえた。逃げ場がない。完全に追い詰められている。
「まあ」と結衣が続けた。「自分で気づくまで待ってあげるけど」
「もう気づいてるわけじゃないから!!」
「はいはい」
「ていうかさ」とひなが話題を変えようと身を乗り出した。「その前に!そのサロンってここから近いんだけど!!」
「行ってみたい」
「違う!そういう話じゃなくて——え、行く気あんの!?」
「あるよ」結衣がすっと立ち上がった。「行こ」
「ちょ、待って!!会計!!会計してから!!」
---
十五分後、二人はサロンの前の路地に立っていた。
ひなの「行かないで」という抵抗は「外から見るだけ」を五回繰り返されたところで終わった。
「へえ」結衣が建物を見上げた。「いい感じじゃん」
「でしょ!!落ち着いてて好きなんだよね!先生のこだわりが——」
「先生のこだわり、熟知してるじゃん」
「仕事上知ることになるの!自然と!!」
「ひなに合わない雰囲気だね」
「なんで!!」
「でもだからこそ居心地いいのかもね」結衣がじっとサロンを見ている。
ひなは「見たでしょ!帰ろ帰ろ!」と袖を引っ張った。
そのとき。
サロンの窓の向こうで、人影が動いた。
悠だった。
何かを確認するように窓の方を向いて——ひなと目が合った。
「あ」
ひなは一秒固まってから、でっかい笑顔で手をぶんぶん振った。全力で。元気よく。なんでもないように。
悠がわずかに目を細めた。口の端が少し動いた。そしてまた仕事に戻った。
「……今の先生?」結衣がひなの顔を覗き込んだ。
「そう!!!見た見た!笑ってた!ちょっと!笑ってたよね!?」
「笑ってたね」
「えー!!なんか——なんか嬉しい!なんで嬉しいんだろ!!」
「わかってるくせに」
「わかってない!!!」ひなは両手で自分の頬を押さえた。「顔あっつい!!なんで!!十二月なのに!!」
「十二月だもんね〜」
「そう!気温差!!体が驚いてるの!!」
結衣が路地の方へ歩き出した。「帰ろっか」
「帰る!!気持ちを落ち着けるために歩く!!」
---
コンビニに寄って、ベンチに並んで座った。ひなは温かいコーヒーを買って両手で包んだ。結衣はポッキーを三分悩んで選んだ。
「ねえ結衣」
「なに」
「もし、ほんっっっのちょっとだけ——ほんとにちょっとだけね——気になってたとして」
「うん」
「どうしたらいい?」
結衣が少し間を置いた。
「そのまま気になってればいいんじゃない」
「それだけ?」
「それだけ。気になること自体が楽しいじゃん」
ひなはコーヒーを一口飲んで、空を見上げた。
「……結衣ってさ、たまにいいこと言うよね」
「たまに?」
「うん、たまに」
「ひどい」
ひなはけらけら笑った。結衣も笑った。
「あと」と結衣がポッキーをかじりながら言った。「さっき窓越しに見てたけど、あの先生、目が合う前からひなの方見てたよ」
ひなの手が止まった。
「……え」
「目が合ったとき、一瞬止まってたし」
「それは——たまたまでしょ!!」
「かもね」結衣がにやっとした。「でもたまたまにしては、ちゃんとひなのことわかってたよね。路地に二人いて」
ひなはコーヒーカップをぎゅっと握った。
「……気のせいだって!!」
「はいはい」
「気のせい!!!」
「ねえひな」
「なに!」
「今日の話、サロンでは——」
「言わないで!!絶対に!!」
「言わないって。まだ行かないから」
「まだって言った!?」
「いつか行くから覚悟しといて」
「やっぱりトラブルメーカーじゃん!!!」
結衣が笑いながら立ち上がった。ひなも立って、コートのボタンを留めた。
「じゃあね」
「うん!またね!あ、犬の写真送って!」
「送る。バイト頑張って」
「頑張る!!先生に——」ひなが止まった。
「先生に?」
「……先生に会いに行ってきます!!仕事で!!」
「はいはい」
ひなは「もう!!」と言って手をぶんぶん振りながら、サロンの方向へ走り出した。
十二月の夜風が頬に当たる。息が白い。
なんか、軽い。
気になってるのかな。
まあ、気になってたとしても——それって、悪くないかもしれない。
ひなは小さく笑って、もっと速く走った。バイトの時間まであと三十分。急がないと。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
次回は明日(6月8日)の8時頃に更新予定です。




