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ストーカーの謎の行為

ギリッと力を込めていると、やめろと、無理矢理はがされた。


 逆らうなんてやっぱり俺の心には成り得ないとわかってさらにイライラした。

俺の心はこいつが無くしたんだからその責任を取るくらいしていいはず。なのに、なぜ俺の意思に逆らうのだろうか。

こいつは責任すら取れないんだ。

じゃあ、居る意味がないと思う。

いや、つきまといが減るなら、多少あるのか。



 自分の額をさわってみると、確かに熱かった。本当に熱があったのか。

「なあ、大丈夫か」


おろおろしているそいつにまた腹が立った。

何のために。

何のために、承諾したのかわからなくなることをやめて欲しくて、苛立ち気味に大丈夫だと言う。

一気に起き上がろうとして、激しく頭痛がした。

「っ……」


「俺、先生にいってくるから」


話したいことをなにもはなせないまま、その日は、河辺は逃げた。




 帰宅許可を貰い家に帰った。

部屋の畳の上で、ろくに身体も動かないまま寝転がる。鉛のような身体では布団すら敷けなくて、なにも食えそうではない。


頭の中では幻聴が常について回った。

包丁を取り出してくる人物。俺の上にのって首を絞めようとする姿。

言葉ともつかない叫び声。

回復していたはずの、なにもかもに襲われる。

あの本は、人気が出たら販売されるだろう。

いや、されてるのか。

いろいろと考えたが、どれも、はっきりした思考が出来ず、頭が痛いことだけが、やけにはっきりしていた。



なっちゃん、なっちゃん。


 声にならない言葉が無意味に繰り返された。

心が欲しい。

ただ心が無くて、怖いんだ。






なかなか眠れなくて、何度も目が覚めた。

布団を敷いていないことさえも気にならないくらいの怠さだったけれど、暑いのだけは、どうにもならない。


携帯の画面を開くと、マチキャラの猫、ヒミューちゃんが出てきた。


「梅雨って美味しいですか」

とか、聞いてくる。

人間だったら無知だとか言われそうだが、ヒミューちゃんが発言をすると可愛い。


携帯を閉じつつ、眠れないからにはなにかしなくてはと思って、身体を起こして机に向かう。

パソコンの画像フォルダを眺めていたらの『7番』の鍵が空いていた。

「かけ忘れたっけ……」

不思議に思いながらも考えないように、無知で可愛いヒミューちゃんの爆弾発言を思い返してみる。

そのうちに、だんだんと眠りについていた。





3日くらいやすんで、やっと登校するようになった。


廊下を歩いて教室に早足で向かう。


なっちゃんとはまだ顔を合わせていない。


「なぜ、付き合うことを承諾したんだ?」


声がかかって振り向くと、まだだれもいないと思っていた教室には河辺がいた。

本心を言うはずもなく、俺は暇だったからだと答えた。


「カンベって作家知ってる?」


挑発気味に聞いた。

そしたら、やけに、嬉しそうな顔。


「俺だけど」


「あぁ、そう」


ダメージは、その程度。むしろ好きな相手には知ってもらいたいとさえ思っているのかもしれない。

「もう、熱は下がったのか」

なるべく顔を見ないよう目を伏せながら、「平気ー」と答えた。


「平気そうに見えない」


うるせえ。こいつと居ると、どうしようもないくらい嫌な気持ちが沸き上がって、それを悟られないためにドキドキする。

1限の授業が終わったくらいに、目の前に歩いて来たなっちゃんを見て、いつのまに来てたんだという気になった。

普段俺より後ろの席に座る彼は見えなかったんだろう。


「なっちゃん」


俺がガシッと腕をつかむと若干引いたようになんか用、と聞いてきた。


「進路相談室行くんだけど」


「相談に?」


「いや、センセに呼ばれてんだよ」


途中までで良いからついてきていいかと聞くと、犬かてめーはと言われた。

「あ、ひでぇ。

俺も熱計りに行くんだよ、養護教諭に報告しなきゃならん」


「あの美人先生か、いこうかな」


「お前は相談室行け」


「ああっ、熱が出てきたっ」


ふざけたなっちゃんが、俺に寄りかかってくる。シトラスみたいなにおいの洗髪料かなんかがふわっと香って、ドキーンと心臓が早鐘を打つ。

不意打ちは、不意打ちはだめだって……

あわわ、と狼狽えているとなっちゃんが吹き出した。


「なに、なにその挙動不審」



にやーっと笑われ、俺は焦った。


「いやー、これはぁー、その……」


視線をさ迷わせる。

胸が苦しくなった気がする。


「そうだ、あとで砂浜いこうぜ」


ふと、海を見たいと思った。

なんとなく。

こういうときは、自然に身を任せよう!


「いきなり!? 脈絡どこ」


「青春の夕日を見るんだよ」


あの日、スーパーに出掛けた日のような日差しや空の色とかを、なっちゃんと体感したかった。


「お前、どうした……」

なっちゃんは呆れ気味だったが「わかりましたよ」と答える。優しいにおいも、あたたかさも俺から離れていく。動悸は収まらない。


「よっっしゃ!」


 俺は、そんじゃなと保健室に向けて跳び跳ねるように廊下を歩いていく。

その後ろを、一緒に行くっつったのは誰なんだよと笑いながら、なっちゃんが歩いてくる。

放課後になると、皆思い思いに教室から出てったり部活の練習を始めていた。

外はオレンジの夕陽が照らすから明るいし、それがなぜだか腹立たしい。センチメンタルなことを考えそうな自分を、だめだっ、と追い払って俺は黒板に貼られた時間割プリントをチェックした。


小学校とかのときは、

日直か当番がチョークで書いていたが、高校にもなれば手間は惜しいとでもいうのだろうか、

黒板にマグネットが貼られて、時間割が書いてあるプリントをそこに挟んである。


よーするに、遠くからじゃ見えない。


視力に不安がある人は、先生が出てったあと、前の方に行ってメモして帰るなり、どうせ教科書置いてるからと諦めて帰ったり、近くの人に聞いたりと様々だ。



前の方の人だかりに苦戦していると、俺の近くまで来たなっちゃんが教えてくれた。


「見てきた。明日の授業は、カズマサと、洗濯が二つ、あと、英語で終わり。会議入るらしい」


「さんきゅ。つーか、昨日もほぼカズマサじゃなかった?」


「フフフ、貴様には辛いか」


「……いーよ、洗濯のために生きるから」


字が違ってンじゃねえかと思うだろうが、忙しい若者はこんな風に雑に呼ぶときもあるわけです。






「ひゃっほーう、海だ海ー」


「もー、うるさすぎ」


階段になってる石畳をかけ降りていると、横から綺羅が苦笑いしていていた。なっちゃんはクスクス笑っている。


空にとんびが飛んでいて、俺らを見はるようだった。砂浜に行くと言うと綺羅も行くと言ってさらに四人の女子、三人の男子もいる。


なんでこんな人数かというと、所属してる美術部での製作に使うための材料を集めに行くと、うっかり綺羅に語ったからだ。

なっちゃんと砂浜を歩くのがあまりに嬉しくて。

「いやー、部活の学年メンバーがそろっちゃったね」


綺羅がうふふふと笑いながら言った。

二人きりにはなれなかったが、これはこれで楽しみかもしれない。

持ってきたビニール袋を手に、俺らは階段を降りていった。


砂に混じっている貝殻たちをひとつずつ、眺めたり、集めた。


「お、なにこれ、アンモナイト?」


岩場の近くで、俺はぐるぐる巻いてある白い貝を見つけた。


「それはタコブネだよ」


みんな散り散りになっているなかで、同じ方向に来ていたなっちゃんが、面白そうに笑っていた。


「タコだけど、貝があるんだ。珍しいんだよ」


ずきん、とその笑顔に胸が痛んだ。


「こういうの、好きなのか」


貝を掲げながら聞いてみる。


「あぁ。好き」


ずき、ずき、と、心がやけに重たく感じてくる。

桜貝とかあればよかったけど、俺はなかなかみつけることが出来なかった。

烏貝は沢山あった。

 泥のなかにすんでいるらしいけれど、今は干上がった場所にばらばらと放置されている。


後ろの浅い砂浜の方では「あ、ニイナだ」誰かが言って、ほんとだーと声があがっていた。

「おいおい君ら、食事に来たのか?」

 ポニーテールを揺らしながら勇ましくシャベルを片手にした時期部長が、腰に手を当ててはははっと笑っているのも見える。

女子だが、日に照らされた横顔はなんだかいさましい勇者の風格がある。


「いいじゃないですか、ゆでましょうよ!」


綺羅がはしゃいでいる。俺は相変わらずだなと思いながらなっちゃんを見た。

「あ、そうだよな、ごめん、巻き込んで」


なっちゃんは帰宅部だ。なんだか気を遣わせてしまった。


「いや、なんか、楽しいな」


フフフ、となっちゃんは笑った。

なっちゃん。

もっと笑って欲しい。

俺は高鳴る鼓動をどうにかこらえながら、そりゃよかったと答えた。

そのとき……


「あああああああー!」


寄声が聞こえた。

ぎょっとしてふりかえったらそこには制服姿の河辺がいて、こちらに走ってくる。


「あいつ、河辺」


のんきになっちゃんが教えてくれた。


「知ってる」


やばいかな、と他人事みたいに考えていたら、そいつがあっという間になっちゃんにつかみかかっていた。


「っ前! お前なにしてくれてるんだ」


とても怒った様子だった。なっちゃんがうろたえる。


「え、あ、えっと。河辺サン?」


「おい、お前は俺とつき――――」


たぶん、俺と付き合ってるんだとか言うつもりだっただろう。

叫ばれそうになって、ぎょっとする。


「ス、ストップ! な?」

周りいるからと、宥めると彼は俺を飛び蹴りした。

「う、おっ」


転がるように避けると、また蹴られそうになり、足を上げているうちに、慌てて背後に回る。



「な、なんだあれ……」


部員の誰かが言ってて、なっちゃんも「じゃれてるんじゃないかな?」と笑いを噛み締めながら言った。


「これは、部活動です! ぶ、か、つ!」


河辺は、むっとしたように、俺の身体をどんと押した。


「そんなこと無いだろ、俺に行き先も告げなかった。わざわざ探したんだぞ」

「まぁまぁ、一緒に遊んでいこうぜ」


よろけた俺が言うが、耳に入っていないみたいだ。

ただ、それ以上機嫌が悪くなることはない。


なぜならあいつには『武器』があったのだ。

最低な武器が。



「『祭があった日に、海に来たことがある』んだよな」

 河辺が言った言葉は、俺のトラウマをなぞることば。

笑顔で、それを放った。

「それは」


誰にも見せてなくて、筆者が俺だと誰にもいっていないノートのものだった。

俺の脳裏に沢山のことが浮かんだ。


養育費を払いたくない父が、俺を勝手に死んだことにしていたこと。

生きている俺が邪魔で、あの手この手で妨害を試みて、親戚中に手を回したこと。

嫌な噂を、あちこちに流されたりもした。


 それを海に来ていた知人が話してくれたことを、思い出したときにノートに描いたものだった。

「祭が、嫌いなの? 祭が」


笑顔で、その言葉を繰り返すから俺の表情はひきつっていく。

周りには俺が何によってこの表情なのかはわかることはない。

しかし俺はフラッシュバックによって苦しめられていた。


「祭の話は、ここではやめてくれ」


と言えればいいのに、俺は、呼吸が止まってしまわないようにするのが精一杯だ。

部員の一人が、思い出したように「あ、祭って言えば、カンベの小説で、屋台に行くシーンが」と、話始める。

やめろ。あいつの小説の話なんかするな、あれは俺のトラウマなんだ。


「――あのこと。みんなに、言っちゃうよ」


カンベこと河辺が、ぽんと肩を叩いてにやりと笑った。「父親が養育費を払いたくないからって、実の子どもを手にかけようとするんだよ」


「あの辺り、リアルだよね」

 誰かが、そんな話を始める。


俺はそうでしょうねとも言えず、つらいことがあってももうあのノートに吐き出すことも敵わないということが頭の中を支配した。


もう、辛いとか、悲しいとか、口にしたらいけないんだな。

全部があいつによるフィクションに捉えられて、俺が何を話したって、狂言にしかならないだろう。



俺を見て、河辺がにやにやと笑う。


「きみのことを、誰よりわかっていたいんだ」


全然わかっていないということだけが、よくわかる。


「スリルがあっていいよな? あの小説、芸能人にも人気でさー。コメントもらっちゃったりして」


と、河辺は芸能人の名前をいくつかあげた。俺のトラウマは、こうして歪んでいく。


「あの嗄倉羅子も、気に入っているんだ。おかげ様で」

「嗄倉羅子さんに、つらい思いをさせたくない。だからお前も黙っていてくれよな」


俺は、頭がぼーっとした。俺の記憶ってなんだっけ。

十数年間ってなんだっけ誰かにフィクション扱いされて搾取されるべきものだったっけ。


先生、俺は、誰だ?


ふらつく足取りで、どうにか、なっちゃんの方に向かう。

 心がただでさえ空っぽで常にフラッシュバックが付いて回り夜中も目が覚めるような状態。


さらにそれを脅しに使われ、沢山の人があいつの『作品』を期待するからには俺の心など安く、芸能人のイメージにさえ関わる。


「……はっ」


なぜ倒れてしまえないのだ。

なぜここで、意識を失えないんだ。


つーか知らない芸能人のイメージが、俺の嫌な記憶によって作られようがどうでもいい。


勝手に使う河辺が悪い。

そうだろ?



「お、おい、大丈夫か秋弥」

なっちゃんの声だ。

わからない。

なんにも見えない。

何かが、崩れる音がした。


「お前、こいつに何の話をしたんだ?」


なっちゃん、が、河辺に問い詰める。

それは聞いて欲しいようでいてやめてくれと思ってしまうような、拷問。

明るく楽しいやつでいたい。

こいつの前では、いつまでも。

意識をなくしそうでなくならない、感覚に、

気が遠くなりながらも俺は、どうにかなっちゃんのその腕を掴んだ。


「秋弥?」


首を横に振ったのは、俺が助かりたくないからじゃない。

知ってほしくないのだ。

「すずしろ、なにも、聞かないで……」


「わかった」


なっちゃんは、あまり納得してなさそうだがうなずいた。

河辺の態度は、まるで俺ならば辛い思いをしてもいいと言われているようだった。


でも、そうかもしれないと思ってしまった。大金を稼ぎ沢山の支持をされる女優と比べれば、自分はとてつもなくちっぽけな存在。

俺と 嗄倉羅子、死ぬならどっちかと聞かれたら、ほとんどのやつが俺を選ぶ気がした。


「なっちゃん」

なっちゃんもそうだろうか。

でも今だけは、テレビも雑誌も映画もない、今だけは。

「なっちゃん……」


なっちゃんにしがみついて、ぱたりと動かなくなった俺は次第に目の前が暗くなっていた。


聞こえるのは、他の部員たちが駆けつけてきたこと。カンベなんとかってやつの話をしていたやつの声もある。

悪気はないはずなのにその話題だけで既にキレそうな自分がたまらなくつらい。


「熱中症かもしれない。こいつ、日差しに強くないから」


なっちゃんの頼もしい声が聞こえている。

身体を起こすと、そこは違う家の畳だった。

きょろきょろ、周りを見てみる。

布団の上に寝かされて可愛らしいタオルケットをかぶせられていた。


「お。おはよう」



がら、と引き戸が開いていきなりなっちゃんが現れたから俺は目をぱちくりと動かした。


「ここは」


「俺んち」


「迷惑をかけた」


 そこは、知らない家のにおいがした。


「もう平気か、突然倒れたけど」


なっちゃんは何か言いたいことがあるように俺を見た。

 俺は、ただでさえノートがだめになり、内容を河辺にもそれの読者にも読み上げられていて、何もわからなくなり手一杯で目の前がぐるぐると回っていた。

「なにかあったなら、話してくれ。俺を頼って」


布団を畳もうかと思っていたらなっちゃんが言った。


「あ、ありがと」


そういえば、俺は昔プライドが高いお嬢様タイプが好きだったなと、他人事みたいに思う。

今の俺が、美少女だったなら攻略対象なのに。

あれはずっと一人でいても平気そうな自分に、何か重ねていたのかもしれない。


不毛なことだが、あの、凛としていて他人を必要としなさそうなところが好きだったんだ。



「ねぇ、何があった」


なっちゃんが、心配そうに聞いてくる。


「なんにもないから平気だ」


なっちゃんの、形の良いゆるやかにつり目になっている瞳も、淡い色の髪も俺が好きなものだった。

 けれど、なっちゃんは、

お嬢様タイプでも、

プライドの高いタイプでもなくて。

きっと、孤高を知らない人。誰かに頼れる人。

 それが今はとても俺を苦しくさせる。

それより喉が乾いたなというとなっちゃんが、飲み物を探しにいってくれた。気を遣わせてるのはわかるんだけど、追及をのがれるにはこれしかなかったのだ、俺には。


 部屋の端に、本棚があった。なっちゃんはどんなの読むのかなと、本棚を見て俺は背筋が凍りそうになる。

カンベってやつの本が並んでいる。

あれじゃないシリーズは既に発売、されていたのか。だったらあれも時期そうなるかもしれない。 作品情報くらいしか見てなかったのだが慌てて他のことも検索した。

そのあとカンベと書いてない本を手にとった。

 夢に鵺が出てきて殺してくれ、と言う話。ファンタジーのはずなのになんだか気分が悪くなる。

今にも死にそうな俺のことを、ネタにして笑っているみたいだった。


他に……他にないか。

妖精が出てくる話、

料理の本。

俺がノートに使っていた仮名そのものが数多く主人公として出る話。

本のなかには俺の名前そっくりな、ペンネームまであった。


「なんだ、これ……」


6割、いや8割くらいが気分が悪くなる棚だった。

変わった仮名にしたってまるであいつに晒されたことを永遠に世間に刻むような名前は悲しくなる。


世界はいつまでも、俺のトラウマの引き金を世に残すつもりなのか。


なによりも、なっちゃんが。

一番信じていた彼がこんな棚を作っていることに裏切られた気持ちでいっぱいだった。


俺が傷つくものを、あんなに、ひとまとめで並べてあるなんて……


いや、なにより。

なっちゃんに俺のトラウマをフィクションに混ぜたとはいえ、あんな風に知られていることが残酷でたまらない。

河辺に影響を受けたのかなんなのか知らないけれどうして俺がこんな……

「カンベカナト、好きなの?」


本をにらんでたら、後ろから声がした。

違うよ、とか、酷い、こんなの捨ててくれよ、が頭のなかでいっしょくたになった俺には、言葉もなく、なっちゃんにしがみついた。


うぁああん! ひっく、……っ、ああああ。

情けない声が響きわたってる。


「どうした」


なっちゃんはうろたえてて、それにまた、なぜか腹が立った。


「どうしたんだ、いったい。お前の好きなロイヤルミルクティあるけど。飲もう?」


背中をさすりながら、なっちゃんが苦笑いするから、俺はまた泣いてしまう。

理由は聞かないで欲しい。

でも、悲しいということは、伝わって。


「河辺に会ってから、様子がおかしいぞ」


「……」


俺を抱き締めたまま彼は言う。


「これだけは教えてくれ。河辺が原因か?」

「だけじゃ、ない……」


あらゆる意味で答える。今のこの悲しい気持ちはもはや彼だけが原因でなくなっていた。


 あの棚を見て知った気持ちも。

 俺の心を勝手な読み物にされたことも。

河辺だけどうにかしたって、もはや、俺のトラウマには永遠に引き金がついて回り、終わりがないということ。

俺のは、二度と、なおらないのだ。

 辛さを吐き出せば、またそれをさらにアレンジして読み物にするだろう。

俺は、あの鵺になってしまうなどごめんだ。


そういえば知り合いが言っていたっけ。

事故にあったやつに、事故現場を再現して見せたってなんの救いでもないと。


そんな、なんの救いの価値も俺にはない本の帯たちには「きみを救いたい」とか綺麗事がかかれていて。

だったら、目の前からなくなってほしい。

 そんな言葉で蜜の味にするならいなくなったほうが、よっぽど、救われる。



脳裏に浮かぶ、今も忘れない場面たち。

刃先を向けられ、殺してやる、と言われたこと。殴り付けられたこと。


「なっちゃん」


すうっと意識が遠退きそうになるから、どうにか繋ぎながら俺はしがみついたままだった。


「なっちゃん……」


「秋弥震えてる」



 背中に手を回して、なっちゃんが抱き締める。こんなこと言えやしない。


 家族を思い出す。


近所の人の騒音とかで暴言を吐かれたり、ものを壊されたことがあった家族。

今もそれを思い出してヒステリックになるから、特に、母には、その関連の話はNGなのだ。


また あの人か、また泥棒、 また騒音なの。


そう言って俺と二人のときは激しい鬱になるのに、かつては姉が勝手にあることを相談してしまったことがあった。そのせいで、俺は、部屋に響く

また〇〇なの?

原因は〇〇?に、

苦しめられたっけ。


おかげで、NGがわからない出来ない姉(進学して出ていった)にも、もし俺が学校や近所で嫌がらせされようが悟られない日々を送ることになってさんざんだったのだ。

脳内で確認する。

 まず、ヒステリーを起こさないため、このことは家族には相談NGであることだ。

話してしまえば、さらに地獄が待ち構えている。姉の前ではいい人ぶる母は、俺の前では自由に感情を露にする。


姉の無責任な言い逃げも恐ろしいから二人に悟られてはならない。

母のあの甲高い声をききながら、生活するのはもう懲り懲りだ。


相談した方が家庭内が地獄になるというのは俺が一番よくわかってる。


「今度は何? アンタのものが盗まれたのぉ? ああ本当泥棒はどこまで盗む気かしら! もういや、こんな毎日!」


そう言って暴れるのを、俺がなだめなければならない。母が気づくなら仕方ないが姉が言いふらしたら人生終了。






「お前河辺と付き合ってるのか」


なっちゃんが言った。

俺はビクッと肩を動かしてしまう。

「な、ななななな」


なんですと。


「わかるよ。あいつの目、そういう目だった」


なっちゃんはさらっとこういうことを言う。


「目で、わかるの?」


「俺もそうだから、かな」

んん?


「そうって……」


ひとまず布団を畳む。

近くにあるテーブルに、なっちゃんがミルクティを持ってきて、置いたので、カップをひとつ手にして、中身を飲む。甘くてまろやかな味と仄かな苦味が口のなかに広がっていく。いいにおいがして、落ち着く。


「恋、しているの?」


なっちゃんの好きな人か……

なんだかモヤモヤする。

「お前が好きだ」


俺を抱き締めたまま、なっちゃんが言ったから。時間が、止まったかと思った。


「は。……え?」


「隣のクラスに俺をおいて乗り込んだのも、それと関係があるんだろう」


バクバクと心臓が痛いほど暴れる。収まれ、心臓。

 俺は少しの間(帰宅中とか、構えないとき)育成しているイキモノの時間を止めていたから、育成の心配はないのに「あ、あぁ、あいつに飯、やるんだった」と慌ててポケットから出したそれの電源を入れた。


 両思い、 ではない。

俺がいま、河辺を身勝手に突き放すわけにはいかないし、なっちゃんといられる程に、そう、嬉しい、や楽しい、を一緒に分かち合うほどの、心を今は持ち合わせない。

 今はそれくらい、何をしても傷ついてしまうのだ。笑えもしないのに、付き合おうなんて、確実に不幸にさせるし二股にする気もない。

俺はまた泣き出していた。はらりと涙が溢れてくる。


「あいつのとこが、苦しいんだろ? 俺なら、もっと大事にする」


かっこいい。

やっぱり好きだな。

だけど壊れてしまった俺を、見せたくない思いの方が強かった。


「だから、俺を見て……」

なっちゃんが囁いてくる。しあわせ、だ。


なのに、今の俺にあるのは、強く痛む心くらいだった。

怖いとか、悲しいとか。一緒にいるのに、彼がとても遠く見えた。

 誰を見ても、何処にいても、唐突に始まるフラッシュバックに幻滅されたくなかった。

全ては、あいつのせい。あいつが、心を売ったんだよ。

だから、あいつを心にするまで俺は戻らない。

とりあえず話題を、変えないととどうにか笑顔を作った。

「え、えっと。


うわー宿題やってなかったぁ!

勉強教えてくれない」


大袈裟にリアクションしたら、彼は、なんだか寂しそうに笑った。


「いいけど教科書持ってこないと」


「あ、部屋いっていい?」

勢いで嬉しくなって、聞くと、ダメと言われた。なっちゃんの部屋にはまだ入ったことがない。


でも、厚かましかったか。俺は反省した。

直後になっちゃんが言う。


「ハァ、違う……部屋なんかいれたら、いろいろ、見たらやばいもんとかさ」


UMAでも飼育しているんだろうか。


「わかった」







「問1 原子をとりまく、同心円状の層、の、原子核に近いものから……あああああっ!」


俺は床に寝そべる。


「うるさい、ちゃんとやれ」

なっちゃんがおれを小突くから起き上がった。


「はーい」


 テーブルにだらんと突っ伏しながら問題のドリルに記号を記入していく。


「入ることができる電子の最大数が、32、18……」


問題をひとつずつ、確認しながら解いていく。

習ったばかりだけど、しばらくしたら抜けていきそうだ。隣になっちゃんがいて同じように問題を解いていた。

やっぱり学校って楽しいなと思う。

 なっちゃんや他の人がいるし、勉強は面倒だけど、外で沢山遊べるから運動不足にもならない。

「う……全然意味わかんないんだけど」


なっちゃんの方に身体を寄せてうなだれたら、なぜだか頭を撫でてくれた。そしてささやかれる。

「ねえ本当に、考えなおさないか」


 聞かれてびくっ、と身体が反応したが、テキストをわざとらしくひろげて冷静を装った。


「えーっと。これはたしか」


答えを8、と書いた。


 なっちゃんもに合わせてくれたのか、勉強に戻ってくれる。


「いや、よく見て」


指差された場所を見たら確かに正しい答えではなかったので、あーそっか、ありがとう、と書き直した。


「はぁー、

これ、得意じゃないかも」


俺将来何系にするか迷う。というと、なっちゃんは笑って答えた。


「水系とか、炎系じゃないかな」


「モンスターじゃないからね」


「お前が、俺のものならよかったのに」


え?

と顔をあげて彼を見たけど、なんでもなさそうにされてしまった。





 家に帰る頃には真っ暗だった。

帰宅後すぐ着替えて風呂に入って、それから母さんと夕飯を食べて部屋でノートを開いた。

 けど、手が震えている。

持った手のひらから、全身が冷えていく感じで、今まであんなに抱き締めて眠っていたノートとはもう思えない。

俺の人生は、あいつのプロットみたいなもんだっただろうか。


 癖で、書かなきゃ、と、ペンを手にして紙面に滑らせるけど、吐き気と目眩が来るだけ。


 自分が生きている、という感じがしなかったしなんだかいろんな感覚が無いような気がした。

試しに、鋏を腕に当ててなんどもすっ、すっ、と引いてみた。

「いたくない……」


あ。なんだ、全然切れないじゃんと思って何度も動かしてみたら、腕がまるで鋼にでもなったように錯覚した。

「すげぇ、うわ、まじで」

全然痛くないことが不思議で面白くなって、何度も何度も、腕を傷つけた。

少しラグがあってからじわっと、下手な裁縫の波縫いみたいに不規則な血の塊がにじんできた。

「切ったらこうなるんだ」

なんだか他人事みたいに感じる。

 さっきのは浅かったからあまり綺麗に血は出なくて、ただ不格好に怪我をしたって感じ。

じわじわと、ひとつずつ赤い花みたいに皮膚に咲いていく血のラインに、きれいだなと感じたけれど、同時になんだか、このままじゃエスカレートしそうだ。


 なんたって征服欲が満たされる。

俺をこんなにしているのは俺自身なんだと、証明してる気分。


決して河辺とかカンベとか、あと知らない作家や芸人じゃない。


 他人にあんなに生活に入り込まれたことが無かったからか、まず、見ず知らずのやつが俺の邪魔をしたということが悔しくて。気がついたら、少しずつ傷を深くつけていた。気分がすっきりして、その日はノートじゃなくて、止血にいそしんで終わった。





ハァ、ハァッ、

荒い息が聞こえて目をさました。自分のものだ。こんな呼吸では到底眠れないだろう。


 血が少しだけ気分を沈めてくれて一時的に落ち着いたから眠れたけれど、本当に一時的だったらしくてすぐに効果は切れるし、突然、動悸と不安感が襲いかかってきた。


落ち着くためにと、携帯を開いたら姉からメールが来ていた。


「父さんが、『お前の小説ドラマ化おめでとう』だって」


……は?

まって意味がわからない。携帯を落としそうになった。


沢山の情報が一気に来た。まずは、姉と父が俺をカンベだと思ってること。それに、ドラマ化? 知らない。なにそれ。

そして逃げたはずの父が、ぱっと現れたかと思えば姉と交流してる?

 とりあえず寝てしまおう。そんで夢の中で遊園地かなんかに行くんだ。

そうしよう。


……目を閉じても、周囲の物音がやけに耳につくだけで、いつもの自分の部屋のはずなのに無機質な知らない空間に感じてきて、俺は叫んだ。しばらく叫んだ。

少し叫んだだけでも、だいぶん落ち着いた。


冷静に考えてみる。

ノートは……今のままでは、もう使えない。母さんが、ドアをノックしてきた。


「夜中にうるさいわよ。なに騒いでんの」


起こされたからだろう。不機嫌そうだ。


「ごめん、なんでもない」

慌てて謝ると、眠たそうに自分の部屋に帰っていった。

 なっちゃんに連絡するわけにもいかないから、俺はひたすらに、河辺のアドレス(ポストに入ってた)にメールを送りつけた。

 河辺は夜中でも起きていることが多いから、すぐに返事が来た。

意外と、嘘みたいな優しい言葉で励ましてくれる。いまさら言うことではないけど、

今欲しいのは、言葉だけなのかもしれない。たぶん、河辺じゃなくても誰でも。


 結局筋肉痛になるまで腹筋をしていたら眠れた。








 日付はどんどん過ぎていった。河辺と性格が合うことはなくて居れば居るほど気分が悪くなる人というのもはじめてだった。


 何が悪いというのかはわからない。

だけど俺の心が壊れたわりにこの程度のやつだという腹立たしさしか、そこにはなかったのだと思う。


俺にとっては、

心を修復するために都合のいい言葉メーカー。


あいつには、ただただ、潰したい相手。


 学校に通ううちに、あいつが裏で俺を『お金』と呼んでいたのも知った。

クラスメイトと、そう呼んで自慢げに話す場面に遭遇したことがあったのだ。

あいつにとって俺は、ちっぽけな愛情で買える安上がりな存在であって、歩く現金。



 やがて、それだけではないことがわかった。

 ある日帰宅すると、部屋にあったペンが数本消えていた。

どこを探しても見つからなくて、メールで問いただすと「持ってるよ。ふふふ。俺のこと、怖いだろ?」

だった。ちょっとわけがわからない。


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