40話:2016年のポルトガルとスペインの旅
特にアラヤネスの中庭は、素晴らしく、コマレスの塔はアルハンブラ宮殿の中でもっとも高い建物で、感動的だった。内部にはバルカの間と大使の間があります。ここでボアブディルがグラナダをカトリック両王に引き渡すことを決心したと言われています。またコロンブスが西周りでインドへ遠征するためにカトリック両王を説得した場所であるとも言われている。
ライオンの中庭はライオンの宮殿の一部。長方形で、キリスト教の回廊のように124本の柱によって支えられた柱廊に囲まれている。 中庭の名前は12頭のライオンによって作られた中央の噴水によるもので、ライオンの上には十二角形の水盤があります。リンダラハのバルコニーは小さな長方形で、アヒメッセスの間から入ることができ、正面には二連のアーチが一つ、側面にもそれぞれアーチがあり、その精緻な彫刻には驚かされる。
女王の化粧部屋は女王の化粧台の間、女王のバルコニー又は暖炉の塔とも呼ばれており、ユースフ1世の塔の上に建てられました。
カルロス5世の妻イサベル1世の部屋でした。壁に飾られているカルロス5世のチュニジア遠征の様子が描かれたフレスコ画が一際目を引く。
リンダラハの庭園はオレンジの庭園、大理石の庭園とも呼ばれ、リンダラハのバルコニー、二姉妹の間、カルロス5世の部屋、王が
プライベートの部屋に行く時に使用した回廊に囲まれています。
中庭中央にある噴水は黄金の中庭にあった水受けを使用して造られ、リンダラハの中庭の南側は二姉妹の間の地下室に繋がっていて、地下室の中央には秘密の間がある。アルハンブラ宮殿の見学客が多く、すぐ売り切れる理由が良くわかった気がした。3時半頃までかかって、見学を終えて、タクシーでグラナダの4時過ぎにホテルへ戻り、前日予約しておいたグラナダ洞窟フラメンコ・ショーが夜遅いので、仮眠をとった。夜7時に起き、8時からゆっくり夕食をとり、9時過ぎにホテルに迎えの車が来た。
フラメンコ発祥の地とも言われるアンダルシア地方のグラナダ、サクロモンテの丘にある人気の洞窟タブラオへ到着して、30分くらい待って、10時前から、フラメンコショーが始まり、約1時間、情熱的なフラメンコの踊りが、繰り広げられて、フラメンコ。ショーに吸い込まれるように、集中して見ていた。また、車でホテルまで送ってもらいホテルに到着したのは、夜の11時30半頃だった。そしてホテルの部屋で一杯飲み、熟睡した。
翌日、2016年4月25日、朝7時過ぎにホテルをチェックアウトして、グラナダからバスでマラガへ、9時過ぎに到着して、11時頃の飛行機の乗って、リスボンに11時半頃、到着し、ゆっくり昼食をとってから、ホテルに戻った。ホテルに戻って、今田さんに電話して、数日中に夫婦で、クルーズしたいが、いつが良いか聞くと、明後日、4月27日なら、空いているというので、朝9時にヨットクラブへ集合することになった。
そのため、今日は、ゆっくりして、11時に、ホテルを出て、カイス・ド・ソドレからコメルシオ広場まで、テージョ川沿いを歩き、散歩を楽しんでいる人がたくさんおり、カフェやレストランがあり、テージョ川に向かってイスが、たくさん並んでいたので、川を見ながら、ランチを取り、気持ちよかった。丘の上を見ると白い壁と赤い屋根画美しく、多くの写真を撮った。
2017年1-2月は、熱海で,ゆっくりと正月を迎え、寒いので、出かけずにいた。2月末の頃、梅まつり、3月の桜祭りの頃から暖かくなった。4月に入り、沖縄へ行こうと、石津夫妻が4月3日から5月1日まで、那覇市内のホテルを中心に、北は、沖縄マリオットホテルに泊まり、かりゆしビーチを散歩して回った。トマリンにも3泊して、宿泊して、離島へ向かう船を見送ったりした。糸満のサザンビーチにも4泊して海の景色を楽しんで糸満の町を歩いたり、食堂には行って、南国の魚を食べたりして、那覇に戻って、おもろまちで映画を見たり、首里城見学に出かけたりして、暖かい沖縄の春、うりずんの時期を楽しんで、5月1日に,熱海に帰ってきた。
2016年4月11日、石津夫妻が成田を出て、フランクフルト経由でリスボンに到着し、今田寛人さんから、ホテルに電話が入り、翌々日の4月13日午前11時にリスボン郊外のヨットクラブで、今田夫妻と友人のヨットクラブの仕事をしてるアンドレと集まることになり、石津夫妻が出かけると、既に、3日人とも来ており、挨拶後、40ftのカタマラン・カラマラン・クルーザーヨットを買ったと言い、すぐに、そのヨットをラグーン400を見せてもらった。
大人10人が乗れる居住スペースで、ガスコンロ、シンク、冷蔵庫、大型のバッテリー、テレビ、ノートパソコンがあり、スマートフォンを使えば、10海里・18kmの沿岸までは、電波が届き、インターネットも使える。この船を使って、地中海沿岸を、リスボンからマラガ、カルタヘナ、バレンシア、バルセロナまで行き、帰りは極力、無寄港でリスボンまで帰ってくる4日間のクルーズに出かける計画を立てた。
今田さんも初めての長距離クルーズに挑戦してみたいと言うと、ヨットクラブのアンドレも、喜んでサポートさせてもらいますと、熱く語り、この話を、このヨットクラブですると船舶1級の免許を持った2人が手伝いたいと言い、ヨット専門の3人を加えた5人が同行することになり、合計8人でクルーズに行く事になったと、教えてくれた。これで、ロングクルーズのメンバーが決まり、石田健之助が、金銭的な協力をすると約束した。そうして、今田さんとアンドレが綿密に計画を立てておくと言うと、お願いしますと言って、石津健之助がホテルに帰った。この話を、奥さんにすると、わかりましたと言い、今田さんの奥さんのエレナさんに電話をして、小旅行の計画を立てていた。
その後、クルーズに行っている8日間、ショッピングしたり、ポルト、コインブラへ出かけたりしていますから、ご心配なくと言い、くれぐれも気を付けて、クルーズに行ってきてくださいねと言ってくれた。出発は、明後日の朝6時と言い、今日、銀行で3000ユーロおろしてくると話し、一緒に行こうと言い、10時にホテルを出て、散歩をして、11時過ぎに、レストランに入り、ゆっくりランチをとって、午後1時に銀行でお金をおろし、デパートへ行き、ウインドブレーカなど、衣類など、ロングクルーズに必要なものを買い、ホテルに戻り、スーツケースに、小分けして詰め込んだ。夕飯は買ってきたものを食べて、早めに床についた。




