41話:リスボン・ロング・クルーズ2
4月15日朝4時半に起き、買ってきたパンとジュースをもって、待っていると5時過ぎに、今田さんが、車で迎えに来てくれ、クルーズに出かけて行った。5時半にヨットハーバーについて、荷物をおろし、石津健之助の買ってきたパンとジュースを食べながら、荷物の点検し、確認をして、点検完了して6時に出発した。最初は、エンジンで高速・25ノットで6時間、ファロまで280km行き、左に向きを変えると、良い風が出てきて、帆を張って、走行を開始して、6時間でジブラルタル海峡に差し掛かった。
進行方向、右手にアフリカの広大な大地を見ながら、進み、風が弱まったところで、エンジン走行に変えて25ノットの高速走行で3時間半120kmでマラガに夜22時半に到着した。その後、軽油を満タンにして、23時にマラガを出航しバレンシアへ向かった。免許を持っていないが、ヨット経験の長い3人が、良い風が出てきたと言い、ここから、交代しますと言い、石津健之助と今田さんとアンドレに、少し寝たらいいと言ってくれた。もし、風がなくなったら、起こしますと言ってくれ、ベッドに入って寝た。
4月16日、午前4時ころに、風がなくなったので、交代お願いしますと言われて、石津たちが、起きて、エンジン走行で高速で走り始めて、しばらく行くと、カルタヘナ、すると、今田さんが、バレンシアまで行こうというので、4時間ほど、高速走行で走ると4月16日、朝8時過ぎにバレンシアに到着した。バレンシア港で降りて、近くのヨットクラブで朝食をとって、一休みして、シャワーを浴びて、軽油を満タンにして、ヨットを点検して、必要な食料品や飲み物、水を買い込んで、再び、9時にバレンシアを出て、バルセロナをめざした。
海に出ると、いい風が出ていたので、セイリング得意な若者3人に後退して、休養十分のアンドレが、華麗なセイリング技術を披露した。彼は以前、ポルトガルのヨット選手権に出て、何回も入賞した経験を持つ優秀なヨットマンで、リスボンでも青少年のセイリングの教官をしているという話を聞いた。午後4時ごろになり、風が弱まったので、エンジン走行で高速運転となり、石津健之助と今田さんが運転して、夜9時ころにバルセロナ港に到着して、今日は、ホテルに泊まろうかというと石津健之助が言った。
いや、このまま.、Uターンして、帰りましょうという意見が出て、多数決をとると、3人がホテルに泊まる、5人が、このまま帰ろうということで、帰ることに決まった。そこで、手分けして、軽油を満タンにして、ヨットの周りも点検して、食料、飲み物、水、その他、必要なものを買い込んで、夜10時過ぎに、バルセロナを出港し、風がよくなったので、セイリングを3人に任せて、必要な時に起こしてくれと言って、石津健之助と今田たちは、ベッドに入り、他の3人もベッドやソファーで寝て。他のクルーが、運転を始めた。
疲れもあったせいか、石津と今田は、4月17日、朝6時過ぎまで、熟睡して、起きると、他の3人も起きて、今度は、セイリングしていたクルーと交代して、他の3人のクルーでセイリング航海を開始、6時間後の昼過ぎに、風が弱くなったので、エンジンを始動して、高速運転を開始して、夜10時にマラガに到着して、経由を満タンにして、夕飯を食べて、シャワーを浴びて、23時半に出発し、4月18日、10時半にポルトガルのウェルバを過ぎて、エンジンでの高速運転を始めて、4月18日の夜19時にリスボンの港に到着した。
来年、2018年2月、石津夫妻と平成芙蓉会の香川里美、稲山美代子、菊田浜子、秀川節子とポルトガルの西方の離島に出かける計画を立てた。 2018年2月10日、成田からマドリード経由でリスボンへ飛んだ。 まず、リスボンに2泊して、翌日、大西洋の真珠と呼ばれているマディラ島へ出かけた。リスボン空港から飛行機で2時間でフンシャル空港のへ着いて、マディラ島観光の拠点の町、フンシャルまで、空港バスで1時間弱、南国の花、南国の果物、明るい色彩が美しい。
大聖堂へ行ってみたが、それほど大きな建物ではないが、天井がマデイラ杉で精妙に彫刻されている。ここでは、何と言っても、世界一の断崖絶壁、海抜約580メートルのジラオン岬が有名で、早速出かけたが、想像以上の険しく、下を見る事ができない。しかし、展望台には、足元に厚い強化硝子を張ってあり、下の景色が見える。また、南国フルーツや野菜、花が所狭しと並んでいた。この島は、その温暖で年間を通して安定した気候のため、ラン、ストレリチア・極楽鳥花、アンスリウム、モクレン、ツツジ、プロテア、その他多くの花々など、ほぼすべての大陸の花と植物を自然の環境のままで鑑賞できます。
特にマデイラの花、ストレリチア・またの名、バード・オブ・パラダイス・別名・「極楽鳥花」も咲いた。これらの熱帯植物と亜熱帯植物の一部は、マデイラ ワインの取引で財をなしたイギリス人商人たちにより、18世紀と19世紀に、この島に持ち込まれたもので、彼らは自分たちの荘園建設の場所としてモンテ、カマシャ 、サント・ダ・セーラ、ジャルディン・ダ・セラ 近郊を選んだ。これらの地域はより涼しく湿度の高い気候で、イギリスの気象条件に近いため、植物が適応するには理想的だった。
毎年イースターの後、開催されるフラワーフェスティバル。お祭りは土曜日に始まり、晴れ着で着飾った大勢の子供たちが市役所広場に集まり、みんなで「希望の壁」という名の花の壁を作り上げ 翌日、島・原産の無数の花々で飾られた山車が何台も町の通りを練り歩き、あたりの空気をそこはかとない花の香りで満たす。これが花のパレードです。それと同時に、マデイラのアーティストたちが目も彩な花のカーペットを制作して町のいたるところに巧みに配し、店のショーウィンドーのデコレーションを競うコンペが開催される。
また、マデイラ島は小さな島ですが、内陸部には火山島らしい険しい山々が連なり、北上すると、ピコ・ド・アリエイロという山の頂上1818m辿り着きます。フンシャルの歴史的中心地とモンテの街をつなぐケーブルカーでモンテへむかった。モンテ付近に絶景のみえる教会の中に入ってから、再び外に出てくると映画のワンシーンのような海の景色が堪能できる。教会の横にはハプスブルク家最後の皇帝像がいた。彼は、退位後、亡くなるまでマデイラ島ですごしていたらしい。
マディラ島は、常春の花と果物がおいしい、素晴らしい島だった。 その後、2月21日、リスボンに戻り、2月23日に、ポルトへ行き、2泊して、コインブラも観光して、2月26日、今田夫妻に、会って、食事をすると、マディラ諸島へ行ったなら、リスボンの西方、1500kmの大西洋に、浮かぶ、アゾレス諸島も見学したら良いとすすめられ、旅行を計画し、飛行機とホテルを予約して3月3日にリスボン空港からサンミゲル島へ飛び立った。




