地動都市レインノルド
「クマ吉すすめー! もっと早く、はやくだぞー!」
「ガオォゥ!」
リリーの楽しそうな声に従い走り出す月熊に圧倒される俺とニア。
まるでジェットコースタに乗っている気分だ、時速百キロは余裕で越えてそうだ。
当然ながら安全装置などはついていない。もふもふのクマにしがみ付く以外、振り放されることを回避する手段はなかった。
「ふにゅうぅうううううううううううううっ!」
ニアが姉の威厳など皆無な叫び声を上げている。
これはこれで可愛い。
俺は飛んでいきそうなニアと、一応リリーを抑えながらクマ吉に全力でしがみ付いていた。
風が一種の暴力となって顔面を殴打する。
クマ吉などと命名された月熊の圧倒的機動力で、三日三晩かかるはずの道のりを、あっという間に走破してしまった。
徐々に森が少なくなる、というより薄くなっているのが分かる。
大地の質も徐々に変わっていって、黄色の土と灰色の土が混ざりこんできていた。
到達を告げたのは地鳴りに似た音だった。
遅れて、振動が地面を揺らした。
まるで生物のように動いているかのような地面と、霊峰のように高く聳え連ねる山脈。
その麓、整備された平坦な大地と四方に伸びる大道、幾つかの分道は坑道に通じているのか、運び出された鉱物が乱雑に積み上げられていた。
それだけで、もうその場所が村なんて小さなものではないことは容易に推測できた。
「これは、何というか、大きいな…………鉱山都市、なのか?」
整備されているのは道だけではない。かなり大規模な外壁が半円を象るように広がっていた。後方は大山を背にしているのか。大門もかなりの規模であるし、これはもう、大都市と呼んでいいレベルだろう。
「着いたな、リリー、クマ吉とはここでバイバイしようね」
「やー!」
何となく、リリーがそう言うであろうことは予測ができていた。
出会ってまだ間もないが、リリ―はこの巨大熊をペットのように可愛がっている。
「いや、流石に、こいつを街に近づけるわけには……」
間違いなく、凶悪な魔物を手引きしたなどと言われることだろう。
「やー! 一緒がいい!」
「…………」
ひしっ、とクマ吉にしがみ付くリリーから視線を逸らして、今だ放心していたニアを揺する。
そして、小声で相談する。
「おい、ニア、起きろ」
「にゅーぅ、ママー、あははははは」
「おいってば、トリップしてるとこ悪いが、リリーを説得できないか――」
ジェットコースタも顔負けな絶叫アトラクションの余韻で放心するニアに魔法の言葉を告げる。
「――お姉ちゃんとして」
「はっ! 何、リリーがどうしたって!」
何という立ち直りの早さ。
そうまでして姉の威厳を保ちたいのか。
「ほれ、どうにか説得してくれよ……月熊の巨体だと、従魔として連れて行くのも無理だろうし……」
魔物を飼いならす技術は人間の間ではわりとメジャーなものだ。
契約魔法による使い魔作製などの技術も希少ではあるが存在する。
だから、ある程度常識的な範囲での魔物を飼いならすことは可能だ。
だが月熊は危険度A。
これは上位冒険者がチームを組んで討伐に当たる難易度であり、王都にいた頃でもA級のチームは二つしかないとか。
彼らは騎士や傭兵とは異なる魔物専門の討伐隊なのだが、その中でも一握りの一流が束になってかかる相手をどうして街中に入れれようか。
残念だが、リリーには諦めて貰う他ない。
「リリー、駄目だよ? 生き物にはそれぞれが生きる領域ってのがある。それは、規則と同じさ、破ったらいけないことなんだよ? リリーだって、おやつや晩御飯を抜け駆けして食べたら怒られるって知ってるよね?」
喚いていたリリーが、二アの正論に言葉を失っていた。
「クマ吉だって慣れない場所に連れて行かれたら、いやだろうし、いろんな人に迷惑をかけることになる。そいつはちょっと、駄目じゃないのか?」
「でも――お姉ちゃん……リリは、クマ吉と一緒がいい……」
リリーは賢い子だ。
我侭を言うことは子供の特権として全面的に肯定してきたのは俺だが、自分がどうしないといけないのか頭の中では答えが出ていることだろう。
ニアは、そんなリリーの背中を優しく押すように言葉を投げかけていた。
「なあ、イリス。どうしてクマ吉はリリーに懐いてるんだ?」
俺の質問に、ひらひらと舞うイリスが答える。
「推測になりますが、彼女の血に惹かれているのではないでしょうか? 金妖狐は獣人の中でも得に大きな力を持っています。その象徴たる尾は一本につき別々の妖力を秘めると言われていますし、魔力の変遷において複数の力を秘めた彼女の力の一端に惚れこんだ、と言った所ではないでしょうか。月熊は上位魔獣なので、知能もそれなりに高いですし」
ふむ、なるほど。
しかし、リリーはやはりとんでもない娘のようだ。
空間魔法を受けて平然としているあたり、そんな予感も確かにあった。
「リリー、何もこれっきり、クマ吉に会えないってわけじゃない。ちゃんと、リリーがまた会おうって言って別れれば、またクマ吉と会えると思うよ? だから、今は約束して、一旦お別れしよっか」
月熊はリリーの言葉を理解していることだろう。
これだけ懐いているのだから、彼女のお願いを断わることはないだろう。
リリーはとぼとぼとクマ吉の傍まで歩くと、小さな口を静かに開いた。
「ねぇクマ吉、またリリと遊んでくれるぅ?」
不安そうなリリーの声に、クマ吉は地鳴りと共に立ち上がった。
「ガルゥ!」
もちろんだ、と言わんばかりに強く鳴いた。
それに、リリーも花開いたように笑みを浮かべた。
「約束、するー!」
「グルゥ」
リリーの小さな手のひらと熊の巨大な手のひらが合わさる。
何ともコメントに困る風景だが、一応はいい話だなー、としておこう。
俺はリリーの成長に笑みを浮かべるのだった。
◇
道標に刻まれた標識を見る辺り、かつて地の民が住んでいたという村は、今では地動都市レインノルドと名前を変え、発展しているようだった。
衰退したアルファから、ここにも人が流れたのだろうか。
まあ、どのような変遷を辿ったのかは、今はどうでもいいか。
期待以上に発展してくれていて助かったと喜ぶべきなのだろう。
「しっかし、凄い列だな……もう一時間は待ってるのにな……」
ディズ○ーランドかよ、と言いたくなる行列は、街へ入るための手続きをする検問だ。
バカみたいに人が並んでいるが、ここでチェックを受けなければ、中に入れそうもない。
リリーはすっかりお疲れのようで、俺の背中で眠っている。
「ニアも疲れたなら肩の上にでも座るか?」
正直俺が一番疲れてるが、少女に乗られるとかご褒美過ぎる。
それだけで疲れなど吹っ飛び、活力が湧いてくる。
「いい、平気だから……」
それは残念。
まあ、ニアも強がっているようには思えないので、無理にとは言わない。
だが、立ちっぱなしというのもそれなりに疲れるものなので、少しだけニアの疲労にも意識を向けておこうと思っていると、不意に声がかけられた。
「お疲れのようですね。旅の御仁ですか、良ければ馬車の荷台をお貸ししますが?」
心根の優しそうな声だった。
見れば、少し小太りで、それなりに身なりが良い男が佇んでいた。だからと言って、馬車も衣服も着飾っていると言えるほど豪奢ではないので、おそらく商人か何かだろうとあたりをつける。
俺が、初対面なので少し警戒していると、男は頭をかきながら申し訳なさそうに言う。
「あ、申し遅れました。私、三大都市を中心に商いをしている商人のハロルドという者です」
「ご丁寧にどうも、旅人のジンです。寝ている子がリリーで、こっちの子がニア、どうぞよろしく」
胡散臭さは抜けないものの、丁寧な物腰で騙りかけてくるハロルド。ならば、こちらも礼を持って接するべきだろう。
「いやはや、不思議な組み合わせを見て、好奇心に勝てずお話をと思いましてな。獣人の子供を連れているにも拘らず、難民のようでもなければ、冒険者のようにも見えない――ああ、でも詳しく聞こうというわけではありませんので――それに、この距離ではもう一時間は覚悟しないといけないでしょう。なので、空いている荷台を使ってはと思いましてなー」
ふむ、ただの親切か。
商人であるから、油断はできないが、まあ裏があっても、こいつとこいつの周りの護衛程度ならば、どうにでもなる、か。
「ちなみにお幾らで?」
腹の底を探るようにそう聞いてみる。
「滅相もない、空いてる場所をお貸しするのに代金など頂きませんよ――ですが、その警戒は正しいと言えます。三大都市の中には学都があるので獣人への差別は比較的緩いですが、中には奪い取って奴隷に、などと平然として言う輩もいます故に――」
ニアが一瞬、臨戦態勢を取ろうとしたが、俺はそれを右手で制した。
「ははは、そうなったら、まあそれなりの報いを受けて貰うしかないでしょうな」
俺が微かな殺気を混ぜながら気楽気に言うと、ハロルドも僅かに笑った。
ネタ晴らしをするように、危険を告げてくる彼にその気がないのはほぼ確定だろう。
「いやはや、何かこう、商人の勘というやつですかね、貴方からはこう、只ならぬ何かを感じますね――金妖狐のお子様をお連れになっている時点でそう思いましたが、たった今確信に至りました」
そう言って、冷や汗をハンカチで拭うハロルドに、俺も初めて笑みを向けた。
「ご提案は喜んで受けさせて頂きます」
「おお、それは良かった。学都のクッキーがあったのでお出ししますね。甘さが控えめで、中年に差し掛かった私なども手が止まらなくなる一品です。おかげで、お腹がぷっくりですが」
と言って笑うこいつは、悪人というわけではないだろう。
だからと言って、油断していい相手とは中々思えないあたり、独特の不気味さがある。
それと、何故か胡散臭い。
商人はみんなこんな生き物なのかね…………。
ハロルドは宣告の通り、高そうな缶に入ったクッキーを持ってきて渡してくれた。
ほどよく甘くて、中々うまい。
後でリリーにも食べさせてあげよう。
「実際の所、貴方にお声をかけさせて頂いたのは商人の勘という部分もありますが、それ以外にもう一つ、師匠の教えを守ったという理由もあるのですよ」
ハロルドは、以前は三都の大商人ミョルニルの下で修行を積んで、今は独立して店を持って商いをしているとのことだ。
三都は、ここ地動都市レインノルド、学都ユーフィリア、魔道都市アーケオンの三つを指す。
「師匠の教えですか? 弱者救済、とか――いや、商人には似合わない言葉ですね」
「ははは、まあ流石にそこまで理想主義ではありません。ただ、恩の押し売りという奴なんですがね」
恩を売る、か。
商人らしい。
人脈を広げる意味でも確かに重要だしな。
「空いている場所を貸すだけならばタダ。タダで人脈を広げられるなら、なんとお得なことでしょう」
食えない奴め。
まあ、裏のない親切は俺も少女達以外には向けないので、当然といえば当然だ。
「クッキーの分はどうします?」
早々に会話から離脱したニアが、ぼりぼりと貪っている最中なのだが。
「ははは、投資としておきますよ、ええ、勿論――」
ハロルドと会話をしていると、いつの間にか列は進み、いつの間にか俺達の番が訪れていた。




