地の民を探して
ボロい。
あまりにもボロい。
傷んだ木に、錆びた金属で構成されたその一室を俺は決して浴場などとは呼びたくなかった。
「やはり、これじゃあダメだな……こんな風情の欠片もない風呂で、荒んだ日本人の魂が癒されるものか、てやんでーが」
これならまだ、ドラム缶風呂のほうがマシだ。
これはもう、元日本人に対する侮辱に違いない。
「またジンの病気が始まった……」
セリアが呆れがらそういうが、これは俺にとっては何よりも重要なことだ。
何せ、お風呂がないと、セリアたちと一緒にお風呂に入れない!
リリーに、お背中流してあげるね、と言って貰えない!
これは、可及的速やかに改善すべき案件であることは間違いなかった。
「パーパ、今日水浴びしたよ?」
違うんだ、我が愛しの娘リリーよ。
お風呂は健康で文化的な最低限度の生活を送るために不可欠な要素であり、断じて水浴びなどとは一緒ではないのだよ。
と、彼女たちには口を酸っぱくしてでも言いたいところなのだが一般家庭には普及していない風呂という文化はセリアも馴染みがないようだし、猫などの獣人たちにおいては忌避感を抱いている者すらいるありさまだ。
俺の気持ちを理解してくれる者はいない。
「と、言うわけで、俺は技術者を探しにしばらく出かけようと思う」
俺のどうでもいい――もとい、欲望に塗れた理由を聞いてセリアの表情が目に見えて歪んだ。
いや、まあ他にも理由はあるんだよ?
技術者の確保だったり、交易の場を見出したり、単純に買い物したり、情報を集めたりと、理由は色々あるのだ。
何せ、今のアルファは人材不足で、数多ある施設が野放しのまま。
宝の持ち腐れにもほどがあるのだ。
まあ、勿論一番は少女達とお風呂に入ることですが!
「どういうわけなの……何も説明してない。文脈が繋がっていないと思う……」
セリアは呆れた表情で冷静にそう言うが、その傍らで、今にも泣きださんばかりに顔を歪める幼女がいた。
「パパ、いなくなっちゃうの……?」
心細そうにぽそりと呟いたリリーの声色が悲しみに溢れすぎていて、その表情を直視できない。
俺は慌てて弁明する。
「ち、違うって。ほら、たった数日出かけてくるだけで、別にいなくなったりは――」
だが、俺は最後まで言わせては貰えないようだった。
甲高い癇癪が勢いを増した。
「――やぁー! やなの。パーパ、いっちゃやーなの! リリーと一緒にいて、いて、いてーーえぇーん…………!」
(……やべぇ……どうしよう…………)
こんな反応は予想外だった。
だが、冷静に考えても見れば納得がいく。リリーはまだ五歳を迎えたばかりの小さな子どもなのだ。
親が仕事で家にいなければ、子供が寂しくて泣くのは当然のことだろう。
まして、リリーは実親という甘えるべき相手がいない。
ならば、仮初だとしても親代わりの俺に猛烈な庇護を求めるのは当然だろう。
はてさて、俺はどうやってリリーを説得すればいいのだろうか、残念ながら育児などてんで知らない高校生の俺には良案など浮かぶはずもなく、ただオロオロしながらリリーを見るしかできない。
「ほら、良い子にしてたらお土産に飴ちゃん買ってきてあげるぞー?」
苦肉の策としてお菓子で買収できないものかとそう言ってみたのだが――
「やだやだー! お菓子なんていんない! パーパがいればリリーはそれでいいもんっ!」
と、言われれば俺にできる反論など何もない。
セリアは買収できたのに。
やっぱり、お菓子で釣れるのは子供より子供らしいセリアだけなのか。
「何か失礼なこと、考えてない?」
ジト目で睨んでくるセリアから視線を逸らす。
リリーはいつの間にか大泣きしてしまっているし、いったい俺はどうすればいいのか。
大したことのない頭をこれでもかと悩ましていると、
「だったら、リリーも一緒に連れていけばいい」
なんて、セリアが提案してきた。
だが、これに関してはすぐにうんとは言えない。
「ルビアの話だと、ここから地の民がいた村までは川一つ、山二つを超えた先だぞ? 子供にそんな道を歩かせるなんてできないって――それに、今もまだそこに村があるとは限らないんだ。とっくの昔に滅んじまってるかもしれないのに、そんな場所まで子供を連れていけないだろ……」
いくらリリーが獣人だとはいえ、過酷な自然の中を何日も歩かせるわけにはいかないだろう。
「はぁ……私はジンのほうが心配……獣人は自然の中で生きる種族、ちょっとくらい過酷な旅路くらい子供でも何ともない」
「リリも行く! パーパと一緒お出かけするぅ!」
「ほら、リリーも乗り気」
だが俺の気は進まない。平和な日本で過ごしてきた自分がある程度過保護であるのかもしれないが。
「でもな……魔物とかもいるだろうし……」
「それこそ杞憂……ジンの傍以上に安全な場所なんて、ルビアさんの傍くらい?」
セリアの言うことは正しい。
「リリーも行く! 絶対行くっ!」
正しい上に、可愛らしい顔で幼女に凄まれると俺には頷く以外の選択肢はなかった。
◇
一夜明けて早朝、旅支度をしているのは俺、リリー、そしてなぜか傍にいたウサ耳少女、ニアだった。
ぴょんぴょんと跳ね回るリリーに、保護者顔負けの落ち着きようでニアが寄る。
愛おしそうな視線をリリーに向ける一方で、射殺さんばかりに敵意の篭った視線が俺に向いている。
リリーが俺の傍で生活を送るようになってから、ニアは不機嫌なことが多い。
でもまあ、本人が望んだことだし、ね。
むしろ、ニアも一緒にいてくれていいんだよ?
いや、それは俺がルドルフさんに殺されそうなので、やっぱり遠慮したい。
それはそうと――
「なんでニアちゃんもここにいるの……?」
「ちゃん付けすんな! そんなの、リリーが心配だからに決まってんだろ。お前と二人旅とか、いろんな意味で心配なんだよ……!」
「信用ないな……つか、ニアちゃんが付いてきたらルドルフさんが付いてくるとか言いそうな気が…………」
あの人は狩猟班のリーダーを任せているからそうなると困る。
危険な森の中でも魔物と獣を鼻で見分けて、手馴れた一流の腕で仕留めるルドルフさんは現時点で食料供給の要であるのだから。
「だからちゃん付けするなってば! お父さんは説得したから大丈夫、ついてきたら絶交だって言ってきたから」
うーむ、中々に厳しい娘をもって、あの人も苦労していることだろう。
お土産を買っておこうかな、骨付き肉とか。
「えへへ、ニアお姉ちゃんも一緒にお出かけ~」
まあ、リリーが嬉しそうなので、これはこれで良しとする。
「そだねー、いい子にしないと駄目だよ?」
「うん、リリーいい子にするぅ!」
中睦まじき姉妹の会話を横目で眺める。
血は繋がっていないが、そこには深い絆が見て取れた。
「それと――私も買いたいものがあるし…………」
なんて控えめに言うニア。
まあ、年頃の女の子だし、欲しいものぐらいは幾らでもあるだろう。
ニアは何か言いにくそうに口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返して、体を小さく揺すっていた。
「……だから…………その――」
頬の代りにピョコンと起ったウサ耳を赤くしてニアが言う。
「――お小遣い、ちょうだい?」
「リリも、リリもー!」
覗きこむように俺を見上げる二人の少女の破壊力を前に、俺は静かに財布の紐を緩めるのだった。
俺ってチョロイっ!




