鬼ごっこ
「はぁ……はぁ……クソっ、駄目だこりゃ……掴まんねー……」
俺は切れた息を整えるように、大きく空気を吸い込みつつ、膝に体重を預けた。このまま大地に寝転がってしまいたい気分だ。
「パーパ、おっそーい!」
そうストレートに言われると、結構辛い所がある。
もう少し俺に優しくしてくれて良いんだよ、リリー。
「ジン兄ぃ、手加減してくれなくていいんだぜー!」
と、活発垂れ耳系男子レンがそう言う。
だが、レンよ、お前は勘違いしている。
俺は既に全力だ。
無論、身体強化の魔法は使っていないが、高校生たる俺が年齢一桁の子供相手に本気を出しているのに、まるで追いつけないのだ。プライドがズタボロになった瞬間である。
だから鬼ごっこは嫌だったんだ、この子達の遊びは些かハードルが高すぎる。
自分自身の名誉のために言っておくが、俺の運動神経は決して悪くない。
天に比べれば、大分しょぼくなってしまうが、百メートルは十二秒程度あれば走り抜けれるし、シャトルランも三桁は余裕でいく。
だが、子供達は楽しそうで、余裕綽々に笑っている中、俺だけは必死で疲れた顔を隠している。
だから、この鬼ごっこは嫌いだ。
こいつら、絶対子供じゃねー、オリンピック余裕で金取れる運動神経がある。
得にレンは子供達の中でも抜きん出て運動神経がいい。俺は、一気に加速してレンに近づいたのだが――
「へっ、甘い甘い~」
俺の突き出した右腕を、大地を陥没させる勢いの踏み込みと共に、横っ飛びで避けられてしまう。
無駄は多いが速さは段違いである。
「ちっ――」
俺は仕方なく追いかける相手を変える。
このままでは、俺だけが消耗する。本気で地に伏してしまっては情けなくて威厳がなくなってしまうではないか。
狙いを変更して、新たなターゲットに選んだのはネコミミの少女達だ。瓜二つの彼女達が唯一目に見えて違うのはその毛色で、白と黒が対になったかのような、そんな双子の少女達だ。
黒い方がクロナ。
白い方がシロナ。
なんともまあ覚えやすい。
「こっちに来たのにゃ」
「来たにゃ、来たにゃ」
「「じゃあ右(左)に避けるにゃ」」
「「にゃ?」」
双子の癖に意外と息は合っていない。
二人がまごついている今がチャンスだ。
俺は少女を追いかける性犯罪者の如く必死に走って右手を伸ばす。
だが――
「避けるにゃ」
「シロは右にゃ」
一瞬で意思を疎通させたのか、綺麗に散開した双子に避けられてしまう。
一端避けられれば、がむしゃらに追いかけるのは無謀だ、彼女達のほうが俺よりも早い。
「「にゃははははははは、掴まらないにゃ!」」
さっきまで、バラバラだったくせに、生意気だ。
しかし流石は双子。
片方を集中して追いかけると、もう片方が掴まりそうな位置まで近づいてきて、そっちに一瞬でも気を取られると、もう片方が逃げてしまう。
仕方なく俺は、二人を追いかける振りをして、内心でターゲットをさらに変更する。
双子の対角線上に、もう一人逃げ遅れた女の子が重なった。
俺は双子を狙う振りをして、唐突に進路を変える。
「ひゃわわわっ、こっち、来た。やー、こないでー!」
そんなはっきりと拒絶されると傷つく。
逃げ遅れていたのは茶色い垂れたウサ耳が特徴的で、ピンと立っているニアとは全く違うショートボブの幼い女の子だ。名前はルル。
彼女は大人しくて、外で走り回って遊ぶこともあまり好まない傾向がある。
故に、油断をついた今ならば捕まえられることだろう。
だが――
「やー、来ないでーー、いや、いや、いやっ!」
と言われれば、まるで俺が少女に襲い掛かっている変態のように見えて、完全に悪者は俺だ。
だが、こっちも死ぬほど走っていて、そろそろ限界なのだ。大人しく毒牙にかかるが良いぞ。
あともう一歩で、彼女に右手が届きかけたその時。
「ジン様、止めて……おねがい……」
「うっ……」
「おねがい、します」
クソ、そんな顔で、そんなこと言うなよ。
これで手を出したら、俺は俺の存在意義を見失ってしまう。
「ちくっしょぉおおおおおおおおっ!」
俺は叫びながら、ターゲットを変更する。
「……ふふっ、チョロい」
ポソリと、舌を出したルルが何かを言った気がする。
俺は、何も、聞えない。
仕方なく変更したその先にいたのは、ルルの傍にいた黒狼族の少年、ミナトだ。漆黒の毛並みに、獰猛な牙があるミナトだが、獣人の攻撃的な見た目を極力隠しているように思える。
鋭い瞳は髪の中へ、牙は閉じられた唇の奥へ。
そんなどこか大人びた印象のある少年だ。
彼は俺の手から、最小限の動きで回避を行っている。
そして小さく口を開くと、
「代ろうか?」
とか言ってきやがる、生意気な。
いや、確かに疲れているけど、子供に同情されるほど俺は落ちぶれていない。
「抜かせ、捕まえてやる」
「ふーん、ま、いいけど」
余裕綽々な少年を、俺はなんとかして捕まえに向かう。
しかしながら、やはりミナトも俺より早い。だが付け入るべき隙はある。
余裕の表れか、ミナトは本気で逃げていない。俺が伸ばした手を回避しているだけなのだ。
現状に合わせて、最適な回避を行うのならば、ほんの一瞬、それで現状を急激に変えれば対処は難しくなる。
その余裕に満ちた顔を驚愕に変えてやろう。
「しつこいですね、何回やっても本気じゃないジンさんじゃ僕達に敵わないって知ってますよね――」
「かもな、でも――」
そいつは油断しなければ、という枕詞が引っ付いたりするんだけどな。
俺はいつも通り、必死になって右手を伸ばす振りをして、その間合いを読みきったミナトが避ける。
だが、ここからが本番だ――
「んなっ――」
そりゃあ、まあ予想外だろう。
俺は、最小限の動きで避けようとしたミナトに向かって、飛びついたのだから。
利き足で地を蹴って、そのままダイブするように、後ろに引いたミナトとの距離を詰める。
ふははは、流石にこの捨て身の突貫は読めないだろう。
子供相手の遊びにそこまでするか、普通、と誰もが思うはずだ。
たかが遊び、だけれど、そんな遊びに必死になる部活に俺は入っていた。
そしてその上で、周りは皆俺よりも上ならば、弱者として正々堂々不意を打つのは基本中の基本だ。
俺の手がミナトに触れる。
そのままミナトを押し倒し、俺は勢い余って、森の中をくるくると転がり地面で一回転して、仰向けに倒れる。
「いってぇ……」
でも、ちゃんと、届いたな。
子供はもっと、純粋になるべきだ。せっかく遊んでんだから、楽しめよ、ミナト少年。
俺はドヤ顔でミナトを見据えた。
「全く……貴方という人は……危ないですよ、皆が真似したらどうするんですか……」
あり、注意された。
これじゃあ、まるで俺のほうが子供ではないか。
「でも、次からは、それも想定しておきます」
そう言って、ミナトは俺に手を伸ばした。
俺は起き上がるのを手助けしてくれるのかと思って、その右手を掴もうとした。
だが――
「タッチです」
「んなっ!」
なんと、このド畜生、地面に転がる俺にタッチ返しをしやがったのだ。
確かに、二十秒を過ぎれば、タッチされた相手にもタッチ返しができるルールだが、疲れ果てて、満身創痍の俺にそれをするか、普通。
「ルールは守ってますよ?」
不服そうな俺に、そんなことを言うミナト。
実はこいつ、さっきの俺の奇襲にやられたのがムカついていたのではないだろうか。
だが、それにしたって、普通別の奴狙うよな。
「鬼ぃ、悪魔――!」
「鬼はジンさんで、悪魔はエルレインさん達ですね」
誰が正論を言えといった。
可愛げのない子供だ、やはり俺は少女がいい。
きっと、純真無垢な彼女達は、疲れ果てた俺を気遣ってくれることだろう。
「パーパ、寝てないで続き、しよ?」
「いや、あの――――」
「おいおい、またジンが鬼かよ、これじゃ誰も掴まんねーな」
ニア、リリー、そりゃあないよ。
俺も結構頑張ってるのに。
(相手は子供ですが、全員獣人ですよ? 主様は素直に身体強化を使うべきですね)
とイリスが俺に言ってくる。
そしてそれは間違いなく正論だった。
統一神教の経典に記され、世界に広がった獣人の詳細は、人が悪魔に魅入られただとか、魔素の汚染を受けて変質したとか、神に背いた人間への罰だとか、そんなことが言われている。
現実として、一般人の認識として広まってしまっているのだが、それは誤りだ。
獣人も、人間も、太古の時代においては同じ人だったとイリスは言う。
彼女が言うには、
『二者にある相違点は、進化の違い、それだけです』
だ、そうだ。
厳しい環境に対して、その対応を道具に求めた人間と、己に求めた獣人、それが二者の違いだとイリスは言う。
自らの持つ魔力を、魔法具や魔法に変換させることで、人の身のまま発展を遂げたのが人間。
一方で、自らの魔力を変質させて、体内に溶け込ませることで、力を得て発展したのが獣人なのだ。
だから、魔法を使わない人間には初めから勝ち目がないのだろう。
だけど――
(なんか、今魔法使ったら、向きになった大人に見えないか?)
(今さらですねー、主様はもう十分向きになってますよ)
なんて、ため息混じりに言われ、俺は魔法を起動した。
そこにはもう、威厳も、プライドも存在してはいなかった。
いいんだよ、俺も子供だし。
そんな言い訳を静かに呟く俺は、間違いなく子供だった。




