狐少女のパパ
柔らかい四肢が全身を埋めた。
未成熟な身体は、マシュマロのように柔らかく、小動物のように愛おしい。
それは小さくも大きい宝物達だ。
一人一人が夜空を彩る星々のように美しい。
淡い金色の髪の髪と紅玉の瞳、右側にいたセリアがそっと寄り付いて、首もとに腕を絡ませ、抱き枕にするかのように抱きついて、ぷにぷにのホッペが押し付けられる。
ぴょこんと飛び出た白と赤のウサ耳、ニアが左側から近づいて、セリアから奪い取るかのように空いていた俺の左手を引き寄せた。膨らみかけの小さな谷間に、腕が挟まれる。
黄金色の髪に艶やかな毛並みの狐耳、リリーは勢いよく俺の胸に飛びついて、楽しそうに体を埋める。
ああ、きっとここは天国だ。
幼女と少女が、俺の手の中に、胸の中にいるのだ。
ここ以上の楽園など、この世には存在しないと自信を持って断言できる。
「ちょっとニア、引っ張らないで下さい」
セリアが俺の右手を引く。
「うっさい、セリア。ジンはあたしのものなんだから!」
対抗してニアも左手を一層引く。
ああ、止めて、俺のために争わないで、少女達よ。
「パーパはリリのパーパだもん」
と、リリーは俺の上に乗ったまま、首に手をかけて、強引に抱きついてきた。
俺を求めて争う三人の激しい抗争。
というか、何故か三人の手が俺を取り合っているように見えて、その実首を絞めているような気がする。
若干、というか、かなり息苦しい。
あ、あれ?
なんか皆力強くないか?
それに、なんかこれはガチで締め上げられているような感覚だ。右手も重くて何故か動かない。
「ジンは私のです」
「はっ、あたしのものだよ!」
「パパはリリのパパなのっ!」
いや、ちょっと、待って。
マジで、争わないで。
息が――
あれ、意識が――
苦しい…………
「死ぬ…………少女達に……殺される…………はっ!」
俺はぼんやりとした意識を覚醒させた。
何だ、夢、か。
だが、まだ息苦しい。
原因は、このもふもふだ。
口と鼻に、いや顔面全体に被せられた、大きな尻尾。
こいつのせいで、呼吸ができなかったのか。
俺は自由に動かせる現実の右手で、顔に覆いかぶさっていたリリーの尻尾をのけた。
すると――
「ぶぅーっ!」
目の前に桃源郷が広がっていた。
尻尾は当然ながらお尻のすぐ上についている。つまり俺が払いのけた先には、小さな桃があったのだ。今度は夢なんかじゃない。これは、現実だった。
まだ熟していない、小さな果実。その隙間は微かにだが開いている。困ったことに彼女は基本的に就寝時に下着を着けないのだ。尻尾が邪魔になるそうで下着は嫌いだとかなんとか。
まだ子供だから、と大目には見てはいるが一緒に眠るならせめて少しぐらいは肌を隠してくれないと、俺の理性が壊れちゃうだろ、全く。
「これだから幼女は…………最高だぜ……!」
容赦なく俺の理性を奪い取るリリーから目を離し外を見れば、暁の日差しが微かにだが窓から差し込む。
まだ起きるには早いが、すっかりと目が覚めてしまった。もう一度寝ようとは思えない。
俺はリリーを起こさないように、そっと布団から抜け出した。
目を覚まし、体の硬直をほぐすようにゆっくりと、伸びをする。
窓の外を眺めれば、かつての繁栄を陽炎の中に置き去りにした、そんな街並みが広がっていた。
アルファと呼ばれたかつての都。
古代において最も繁栄したと呼ばれた、森の中の幻想郷。
そんな古代の街は、少なくとも見た目だけは、その面影を残して存在している。豊かな水場や、劣化しない道は精霊の加護による恩恵のおかげで、今でもなお、美しさを保っている。その半面で、建物や道具などの人工物は劣化が激しい。
今現在仮の住居にしているこの場所も、お世辞にも綺麗とはいえない。水で洗い流し、魔法を駆使して清潔にしたつもりではいるが、劣化を隠す程度の効果しか上げてはいない。現代人の感覚からすれば、汚くて住めたものではないのだろう。
だが、彼らは俺と違って逞しい。
獣人は身体能力に優れているだけでなく、その体自体も頑強で逞しいのだ。
地べたで寝ようと身体は痛むことがないし、清潔感がなくとも体を壊さない。妖気、あるいは闘気、はたまた仙気と呼ばれる魔力が変質した獣人特有の加護が彼らの体に力を与えていると、イリスが教えてくれた。
俺自身が抱げる当面の目標は、生活環境の改善なのだが、彼らにはその必要すら感じない今日この頃だ。
俺は先輩が用意してくれたフライパンを取り出して、魔法で火を起こした。その中に、猪の肉と、香草をぶち込んで、炒める。朝から重いとは思うが、それでも芳しい香りが広がった。リリーを含む獣人は、朝からでもがっつり食べるので、肉料理でも問題はない。というか、今は小麦や米も、先輩が用意してくれたものしかないので、これくらいしか作れない。
それでも、灰被りの森は食料が豊富だ。
この肉も、香草も全て森から取ってきたものである。豊かな自然は危険な反面、その恩恵も素晴らしい。獣人にとって狩猟は、それこそ本業とも呼べるので、大型の獣から鳥類、香草に至るまで、日々の食料を手に入れてきてくれている。安全のために、魔族の姉弟を交代で同行させているので、万が一危険な魔物に遭遇しても問題はない。
そう言った意味でも、生活はそれなりに安定している。
無論、俺から見れば、不満は大いにあるのだけれど、贅沢は言うまい。
朝からがっつり肉とか重いだろとか、家具とか汚いだろとか、新しい建物や子供の教育環境が必要だろとか、まあ色々言いたいことはあるが、今はまだ我慢である。
忽ち広がった食欲をそそる匂いに惹かれて、薄い目を擦りながら、リリーが起きて来た。
「おはよう、リリー」
「…………んぅ~、おはよう、パーパ」
リリーは寝ぼけ眼のまま、俺が魔法で清潔にした椅子を引いて腰掛けた。
彼女は何故か俺をパパと呼ぶ。
あの日、爆炎に連れられていた彼女と出会い、爆炎を蹴散らしたら、そう呼ばれるようになった。
勿論不満など何一つないのだが、理由を聞きたくもなってきた。
俺は眠たげな彼女の前に、冷えた果実のミックスジュースを差し出した。
「んくんく、ぱー、甘いっ! 美味しいっ!」
花開く満面の笑みに俺も微笑む。
かつて、アルファの繁栄を支えた重要な要素の一つが、この果実なのである。
紅玉宮の中庭には、恵の園と呼ばれ、永遠に実りをもたらす果実園が存在するらしい。それらの果実はルビアの膨大な魔素を吸って、成長する特殊な果物たちであった。
味も抜群にうまい。
健康な体を作るにはもってこいの食材で、心配性で実は心根の優しいチョロ神様が「べ、別におぬしのために持ってきたのではない。子供達と仲良くなるための口実作りに持ってきてやったのだ」といいながら、お裾分けをしてくれた。
俺にいたっては、朝飯はこの果実だけで十分に思えるほどだ。
「セリアはまだ寝てるのか。まだ早いし、先にいただくか」
「ん、食べるー」
俺はそう言って、肉野菜炒めを口にする。
猪肉は中々ワイルドな味なのだが、取れたて新鮮な肉はやはりうまい。
俺は食事をしながら、リリーに疑問を口にする。
「そういや、リリー。どうして俺がパパなんだ? ニアがお姉ちゃんなら、パパはルドルフさんじゃねーのか?」
ちなみにルドルフさんは、あの狼男の怖い系お父さんである。
最近になってようやく名前を知ることができたのだ。
「んぅ? おじちゃんはおじちゃんだよ? リリのパパはジンだもん!」
リリーはキラキラとした瞳で、そんなことを言う。
うーむ。
まだパパになるほど老けていないつもりなのだが、彼女が言うなら俺はパパになろうではないか。
「その心は?」
「んぅ?」
俺の質問の糸が分からないのか、リリーはフォークに突き刺した肉を片手に小首を傾げる。凄くかわいい。
「んー、リリーがどうして俺のことをパパだと思ったのか聞きたいな、って思ったんだよ」
すると、リリーは迷うことなく口を開いた。
「ママが言ってたの! パパは最強だって! だからリリのパパはジンだよ、強いもん!」
むぅ、何という絶大な信頼。
だが現実として、強いのは贈与能力であり、禁書創造であり、さらにはイリスである。俺はそれに縋っている極々平凡な男子高校生に過ぎないのだ。
まあ、そんな惨めな現実を知るのは、もっと彼女が成長してからで問題はないだろう。
今はまだ、彼女の前で俺は理想であるべきなのだ。
「そっか、そいつは嬉しいな」
「リリもね、パーパと同じくらい強くなるよ! ママ言ってた、リリは絶対強くなれるって」
「そうだなー、いい子で、逞しく育ってくれたら俺も嬉しい」
「うん、頑張るっ!」
ルドルフさんが言うには、リリーは知り合いの子供を預かっただけらしい。彼女の母親が諸事情で、リリーの面倒を見れなくなって、彼女の母親に恩があったルドルフが、リリーを預かって育てていたらしい。
自由奔放で、いつも明るい印象のあるリリーだが、以前は誰にも心を開かないほど、冷たい子供だった、と聞いている。
ニアのことは慕っているが、ルドルフさんも、その妻ミネアさんにも、心からの笑みを向けたことはないという。
だから、今の明るくなったりリーを見て、彼女達も少し安心しているようだった。
純真無垢な瞳の奥で、小さな少女の抱える葛藤は、俺の思う以上の物なのだろう。
幼いながらに、母親と離れて暮す彼女の不安を、仮初の父親として紛らわすことしか今の俺にはできない。
「あ、そうだ! 今日皆で鬼ごっこするの! パーパも一緒に遊ぼう!」
と、リリーが今日の予定を思い出したのか、そんな提案をしてきた。
俺はそれを聞いて、頬が引きつったのが分かる。
できれば、いや、かなり遠慮したい。
「…………い、いや、俺は訓練とか、周辺の調査とか忙し――」
と、そこまで言いかけて、俺は口を噤んだ。
そうせざる得なかった。
「……ふぇ……ん……駄目、なの……」
満面の笑みが、一気に悪天候だ。
目じりの涙が今にも零れそうなほど、リリーは失意に埋もれていた。
「……リリ、いい子だから…………我慢する…………がまん……がま…………うっ、う……うぇえええええええええええええんっ」
遂にはダムが決壊して、可愛いらしい瞳から雫をこぼして泣いてしまう。
子供を泣かせてどうする、俺!
後悔と共に、俺は前言を撤回する。
「うわっ、嘘嘘っ! 別に忙しくなかった、ちゃんと付き合う、一緒に遊ぶ、遊ぶからっ!」
俺は必死にそう言った。
すると――
「……ん、ほんとぉ?」
そんな弱々しいリリーの声に俺は大袈裟に頷く。
「ほんとほんと、俺嘘つかない。リリーのためなら幾らでも時間を作る、だから一緒に遊んでくれるか?」
「ん、鬼ごっこ、するー!」
再び笑顔に戻ったリリーに俺は安堵の吐息を漏らす。
何時の世も、どんな世界でも、少女の涙は最強なのである。




