ユーリカの御伽噺(下)
私は驚きの余り何も口にすることができませんでした。
そもそも彼は何処から現れたのか、どうして一人でここにいるのか、様々な疑問が頭の中に浮かんできましたが、それ以上に私は、誰か味方になってくれる人が現れるのを心待ちにしていて、目の前の人影が幻にすら感じられました。
だからせめて、幻なら消えないうちに、私のどうしようもない不安を消し去りたくて、私は彼の胸に飛び込みました。
温かかった。
姉さまと同じかそれ以上に。
細く、それでも逞しい腕に抱かれて、段々と心が落ちついていくのが分かりました。
同時に、幻じゃないんだな、と納得して、抱きしめられるがままに身を預けました。
すると、何か冷たい雫が私の足先に触れました。
冷たいと感じたのはほんの一瞬で、すぐさま、私はその異変に気づきました。
手や足にあった傷が見る見る内に治っていったのです。回復魔法といえば光、と私は思っていたので、水属性の魔法で傷を癒して貰えるなんて少し新鮮な感覚でした。
抱きしめられ、心の内側まで癒されていると、自然と余裕が生まれ思考を回すことができました。
そして、とある重大なことに私は気づきます。
実は私――
昨日から、お風呂に入れていないのです!
ダンスをして動いた後、誘拐されてここにいる私は、その、あまりよろしい匂いがしていないのではないかと思い至り、私は急いで彼の元を離れました。
く、臭いとか思われたら、どうしましょう。
と、ともかく、まずは自己紹介でしょう。挨拶を忘れるとは王族の一淑女として恥ずかしい限りでした。
「し、失礼しました。わ、私は、レイノード王国第二王女、ユーリカ・フォン・リインフォースと言います。貴方は、一体?」
まあ、聞くまでもなく私の王子様であることは確定的に明らかなのですが、名前を知りたいと思うのは当然のことでしょう。
「木崎陣、一応王国で勇者やってます。もう、大丈夫ですよお姫様」
話を聞くと、彼は私の勇者様だったようです。
ジン様はお姉様の要請で私をお助けに来てくださったようです。やはりお姉様は最高です。
彼は何処か暢気というか、余裕がありました。
これが強者の余裕という奴なのでしょうか。
精霊様に似た、何かを連れていて、私にはよく分からないのですが、これからの予定を相談しているようでした。
「はぁー、まあ確かに王女様をゲロ塗れにするわけにはいきませんか……私的にはどうでもいいんですけどね」
何か不吉な言葉が聞えてきたのですが、きっと気のせいです。
勇者様の前で嘔吐などしたら私は死んでしまいます。
と、そんなことよりもまずはここから逃げ出すことが先決ではないのでしょうか。
「あ、あの、は、早く逃げないと、その……えっと、危険だと、思いますです」
勇者様は余裕そうでしたが、私は一秒でも早くここから逃げ出したい気持ちで一杯です。
できれば、あの怖い男の人達とは顔を合わせたくもありません。
ですが、そんな私の淡い願望はすぐさま打ち砕かれました。
「おいっ! 姫はまだいんのかよっ!」
そんな乱暴な声に私は悲鳴を上げて後ずさりました。
ですが彼らも勇者様の存在に困惑しているのか、言い争いをしていました。
私も、牢の鍵はされたままなのに、どうやってここに現れたのか疑問でした。
私は怒声に恐怖してばかりですが、勇者様は何処までも飄々としていました。
そして、その背を向けて、
「乗って」
と言われました。
いえ、無理です。
恥ずかしいですし、もし、その、気にされると、困りますし。
などと迷っていると、無理やり手を引かれて、背に乗せられてしまいました。
そして、信じられないことに、素手で無理やり牢屋をこじ開けると、一瞬で武器を持った男の人達をやつけていました。
私は怖くて目を伏して、必死にしがみ付いていました。
激しい戦闘が幾度も起こって、私はずっと大きな背中にしがみ付いて、粗相をしてしまわぬように唇を噛み締めていました。
途轍もなく怖い敵もいて、一瞬ピンチになったのかとも思ったのですが、勇者様の大魔法であっさりと撃退してしまいました。
そうして私は無事に、王城へと帰還することができました。
姉様と勇者様には感謝を幾らしてもしきれません。
私は姉様と長く長く抱擁して、またお風呂に入っていないことに気づいて赤面するのでした。
姉様に色々と報告をして、お風呂に入って、身嗜みを整えて、私は勇者様のお部屋へと向かいました。
この格好なら私も立派な淑女です。
今なら、勇者様に改めてお礼が言えることでしょう。
ですが、私はまた失敗をしてしまいました。
勇者様はお疲れだったのか、既に眠ってしまっていて、起きるまで傍で待っていようと思っていたのですが、私もその寝顔に惹かれて、そのまま横になってしまったのです。
何てはしたない、とは思いましたが、体が勝手に動いてしまいました。
そして徐々に睡魔に意識が飲み込まれていって、勇者様の手を握りながら眠ってしまいました。思えば、私は人肌を求めていたのかもしれません。今日の悪夢を夢の中でも見てしまわぬように。
朝起きてから、私は絶望しました。
私は途轍もなく寝相が悪いのです。一度、添い寝をしてくださった姉様を、絞め落としてしまったこともあります。
子供のときから何故かそれはなおらず、姉様も私と一緒に寝ようとは中々してくれません。
それほどまでに私の寝相は凄まじい、らしいのです。
私は嫌われたらどうしよう、とそればかりを考えていました。
けれど、
「お、起きたか、おはよう、姫様」
と、勇者様は笑顔で言ってくれました。
ああ、こんな私でも、貴方は受け入れてくださるのですね。
私は勇者様の懐の広さに関心する共に確信しました。
ジン様は私の王子様で、勇者様なのだ、と。




