アメリアと悪魔
私ね。孤児だったの。
私が六歳だったときかな。
暮らしていた村に疫病が蔓延して、父も母も死んだわ。
うちの村で感染していない者はいなかった。
私も含めて、皆死を待つだけだった。
寒い、寒い冬だったわ。
ある日、マスクをした偉そうな人がやってきて、何かを撒いていたの。そのときは水かと思ったんだけど……あれは油だったわね。
そのときは、何をやっているんだろうって、ただ不思議に思っただけだった。
馬鹿だった。
パチパチと、音がしたの。
私は偶然、外の井戸で水を飲んでいたんだけど、一瞬で辺りが真っ赤になった。
つまり、疫病が他の村に広がるのを防ぐために、うちの村が焼かれたのね。
赤が、熱が――迫ってくる炎が、ただ怖かった。
吞まれたら死ぬんだって、死にたくないって思った。
笑っちゃうでしょう、どうせ生きていたって数日の命なのに。
焼かれて死ぬか、病に侵されて死ぬかの違いしかないのに。
とにかく私は、何も考えず、本能のままに逃げ出した。
どれだけ走ったかわからない。私は力尽きて、バタリと倒れた。
森を走っていて、足は血だらけだった。
いつの間にか雪が降っていて、ひどく寒かった。
感覚がなくなって、痛みも冷たさも、わからなかった。
それから少し、眠ったような気がする。
ふと目を開けたら、辺りは真っ白で、ゆらりと人影で視界が陰った。
首を動かすことさえ億劫だった。
「君は……」
誰かがそう呟いて、私の横に膝をついた。
視界が雪でぼやけてあまりよく見えなかったけれど、エメラルド色の瞳が私を覗き込んでいた。
「これほど病に侵されて、ボロボロになって……君は、それでも、生を望むのか」
「あは、馬鹿だよね――仮に生き延びたとして、もう父も母も亡いの。どうやって生きていくのか、見当もつかないの。でも、それでも死にたくないの。不思議でしょう?」
「そうだな。僕には理解できない」
「いいの。きっともう死ぬんだから。ねえ、あなたはだあれ?」
「僕?僕は悪魔だ」
「悪魔?違うわ」
「違わないよ」
「いいえ。私は名前を聞いたの」
「名前?」
「そう。私はアメリアっていうの。父と母が、アルメリアの花のように強く美しくありますようにって」
「……いい名前だ」
「うん。あなたは?」
「僕は、――だ」
その声はくぐもって聞き取れなかった。
代わりに彼が、私の唇に触れるのを感じた。私の、あばただらけの肌に。
「触るとうつるわ。触れないで」
「いいんだよ」
「優しいのね」
懸命に焦点を合わせて、手を伸ばす。
触れられなくてもよかった。
けれど彼は、私のかじかんだ手をそっと握った。
「ありがとう。ねえ、私、死んでもいいわ」
「そうか。……変な話だが、どうやら僕は、君に死んでほしくないみたいだ」
「ふふ。変な人」
名前、聞き取れなかったの。もう一度教えて。
そう言おうと思ったのに、
「な、まえ、、けほっ」
咳こんでうまく話せなかった。
けほけほとむせる私の手を、彼はぎゅっと、じっと、握っていた。
「ありがとう」
泣きながら私は言った。
むせて苦しくて涙が出るのか、死ぬのが怖くて泣いているのか、わからなかった。
彼のエメラルド色の瞳が、きらきらと光って、綺麗だと思った。
「ああ、このまま時が、止まればいいのに。あなたはとても、美しいわ」
ゆっくりと、瞼を閉じた。
脳裏に残った、雪の積もった白い世界がひどく綺麗だと思った。
目覚めたら、私は暖かいベッドに横たわっていた。
そこは、やけに家具が少なくて、生活感の薄い、暗い部屋だった。
若い男の人が、そばの椅子に腰かけてすうすうと寝息を立てていて、私は彼をしばらく見つめていた。
「こほ、けほっ」
身じろぎをするとひゅっと喉が鳴り、小さく咳が出た。
すると彼ははっと目を開き、心配そうに私を覗き込んだ。
見覚えのあるエメラルド色の瞳に困惑する。夢と現実がわからなくなる。
「大丈夫かい?」
「ええ――」
ぱちぱちと瞬きをしながら考える。
「あなたが、助けてくれたの?」
「ああ。でも、大したことはしてないんだ――この家の扉を開いたのは君自身だ」
「扉?」
まったく身に覚えがなくて、私は首を傾げて呟いた。
曖昧な記憶を手繰っても、どうにも思い出せない。
「あなたは、だあれ?」
微かに、記憶の欠片が脳裏をよぎった。
「僕?」
彼はふっと笑って言った。
「僕は悪魔さ」
よぎった記憶は、蠟燭のようにシュンと音を立てて消えた。
***
「アメリア、苦労してるんだな」
ランスロットは感心したように呟いた。
「そうかな。むしろ幸運だったと思う。おかげで師匠に救われたから」
「うん。それでも、十六歳の女の子が抱えるには重たい過去だ」
「……そうね。だから、師匠には感謝してる。それはもう、言葉で言えないくらい」
「わかるよ」
俺にも、そういう人がいるから。
こっくりと頷きながら、心の中でそう呟いた。
その後は、マリラの店に薬を卸して家に帰った。
買った肉でアメリアがシチューを作ってくれた。
シチューはやたら旨くて、俺は三杯くらいおかわりをした。
アメリアは俺の食いっぷりにびっくりし、俺たちの恩人、家主の悪魔は能天気に「美味しいねえ」とむぐむぐしていた。
家族でもなんでもない俺たちが、まるで家族のように当たり前に一緒に飯を食っていた。
その時間がひどく幸せで、なぜか少し涙が出そうになった。




