メトラからの贈り物
ゴオオオッと風が唸り地鳴りのような重低音を轟かせて、白く輝く白金の竜が渦を巻くように空を翔る。
その背に乗ったシルスが皆の名前を呼びながら、大きく、大きく、手を振っていた。
「シアさあーん!ルーフェリカさあーん!ルーフェルメさあーん!ディロンさあーん!ラズラットさあーん!」
「シルスっ!」
「シルスちゃん!」
「シルスちゃあんっ!」
ルーフェルメの目には涙が浮かんでいた。
それは、ルーフェリカとアルシーアの目にも。
ディロンとラズラットでさえ見た事の無い魔獣と妖獣の群れ、そして、輝く白金の竜。
おとぎ話や架空の物語では無い、この瞬間、この場所にいられる事にラズラットの心は感動と感激に打ち震えていた。
メトラが魔獣妖獣の群れから離れて大きく旋回しながら高度を下げ、音も無く地上に降り立つ。
その背にまたがっていたシルスがぴょんと飛び降り、三人の元に駆け寄っていった。
「シアさんっ!ルーフェリカさんっ!ルーフェルメさんっ!」
「シルスっ!」
「「シルスちゃんっ!」」
体当たりするような勢いだったが、小柄なシルスを三人はいとも簡単に受け止め抱き締める。
三人が抱き締めたシルスの身体から透明な白銀の欠片がキラキラと幾つもこぼれ落ち、雪のように溶けて消えた。
ふわふわの髪。ぴょこんとハネた前髪。
小さな顔にパッチリとした大きな瞳。
小柄なで華奢な身体。細い手足。
はじけるような明るい笑顔。
いつものシルスの姿がそこにあった。
「黙っていなくなるとかナシだからなっ!そんなのサミシイんだからなっ」
「せめてサヨナラくらい言わせてよねっ、シルスちゃんっ!」
「シルスちゃんっ!あのね、シルスちゃんっ。言いたいコトありすぎて何を言っていいかわかんないようっ」
「あのあのっ!メトラちゃんにお願いしてこの場所にみんなを転移してもらったんですっ。メトラちゃんがケモノ達を呼び寄せるの待ってたから遅れちゃってっ」
先ほどまで昏く沈んでいた三人の目に浮かんでいた涙は消え、シルス達四人は満面の笑顔になっていた。
抱き合う四人を傍らに、ディロンとラズラットは白金に輝く竜と化したメトラに目を奪われていた。
長い胴体、巨大な翼、しなやかに流れる尾。
全身が太陽の光に透ける美しい羽毛で覆われ、頭部には金色に輝く鬣と幾つにも枝分かれした巨大な角が生えている。
黒の異空間では血よりも赤い深紅だった瞳の色は、彗星を思わせる透き通った翠に変わっていた。
「なんと……美しい……!」
「ああ……本当に……!」
あまりにも美しいメトラの姿にラズラットが賛辞の言葉を洩らすと、ディロンも大きく頷いた。
かつてこの島にも竜は数多く生息し、人間達の脅威となっていた。
人間を襲う恐怖の存在であったのだ。
今では絶滅したと考えられ『幻』と呼ばれる竜が目の前にいる。
竜に関する書物や伝承ではもっと恐ろしい姿の筈なのだが、あまりにも美しい、美しすぎる白金の竜の姿にラズラットは心を奪われていた。
この竜からは邪悪な気を、憎悪や破壊といった禍々しい気を一切感じない。
慈愛。希望。未来。博愛。
そんな言葉が脳裏に浮かぶのだ。
――なんだ、この美しい白金の竜は……!
『そこなキシと魔法戦士よ、あまりワシに魅入ると魂が壊れてしまうぞえ?』
「「はっ!」」
ディロンとラズラットは服従するように片膝を付いて深く頭を垂れた。
白金の竜、メトラの神秘的な存在に、そうしなくてはならない、と本能的に身体が動いていた。
ラズラットは魔法戦士として相手の魔力を見極める能力を持っているが、メトラの魔力が如何に強大であるのか計り知れない。
端的にメトラそのものが魔法のような存在であるとしか考えられなかった。
――僕の魔力など足元にも及ばない!……こんな人知を超えた存在に出会えるとは……!
『面をあげい。魔力を抑えたから今は大丈夫じゃ。魂は壊れんぞえ』
「「はっ!」」
ディロンとラズラットが顔を上げると白金の竜メトラは、黒の異空間で見た時と同じ少女の姿に変わっていた。
その時と違うのは瞳の色だ。
血よりも赤い深紅から透き通るような慈愛に満ちた翠色に変化している。
『オマエ達が来たからワシは宇宙に帰れる。ありがたいコトじゃ。そこでじゃ。オマエ達に礼とやらをせねばな。
おい、娘っこ達。じゃれとらんでこっちにきてたもれ』
メトラがシルス達を呼び寄せ、一人一人の目を見ながら言う。
『大したコトは出来んが、オマエ達の心象に宿るモノを見せてやろう。ワシに出来るコトはそれくらいじゃ。
ワシからの『贈り物』じゃ。
何が見えるかはワシにもわからん。答えは己自身で見つけるがよい』
心象に宿るモノとはどういう意味か?
答えとは?
横並びになる六人に向かってメトラが細い両腕を水平に挙げる。
と、全身の輪郭が蜃気楼のようにゆらりと歪み、それぞれの目に『メトラでは無い誰か』の姿に変わっていった。
「え……?なんでっ?」
アルシーア達三人の目には。
ナルミの姿が映っていた。
孤児となった幼い自分達を引き取り育ててくれた、少し歳の離れた姉のような存在。
劇団では踊りや演技の指導は厳しく、家でも厳しい。
それでも時折見せる優しい笑顔が三人は大好きだ。
いつか恩返しを。
そう思っていたアルシーア達に、いつだったかナルミは言った。
私に何かを返すなんて淋しい事を考えるものでは無いよ、とアルシーアの頬を優しくつねった。
その教えと仕草を真似る事になるとは、アルシーアは夢にも思っていなかった。
三人の目に映るナルミは、優しく微笑んでいた。
姉のように。母のように。
「……もうすぐ帰るよ、ナルミさん!」
ラズラットの目に映るのは。
魔法の眼を譲ってくれた師匠の姿だった。
アールズ騎士団に入る前、ラズラットは一介の冒険者に過ぎなかった。
魔法の心得はあったものの突出したスキルは持っておらず『その他大勢』の域を出なかった。
そんなラズラットの才能を見い出し、鍛え上げ『魔法戦士』に育て上げた師匠の姿。
灰色の髪、透き通るような白い肌に金色の瞳、白いワンピースは半分透けて見えるようで、ラズラットは何処を見れば良いものか一瞬、躊躇いの表情を見せた。
『……ふーん?魔法戦士よ。オマエの目にはワシの姿が幼女に見えるんじゃのう?』
「えっ?そうなんですかラズラットさんっ?やっぱりガチなんですかっ?」
「シルス君!?やっぱりガチってっ?見た目は幼女だが中身は200歳のバ……老女なんだよ、本当はっ……あ、イヤ、そうではなく!幼女ではない、と?シルス君にはどのようなお姿に見えるんだい?」
「え……わたしと同じ歳くらいの女の子ですけど……えっ?みんな誰か違う姿に見えてるのかなっ?」
「ディロン様は如何ですか?……ディロン様?」
ラズラットに問われてもディロンは表情を変えずに無言のままだ。
ディロンはメトラをじっと見据えたまま、金縛りにでもかかったかのように動けなかった。
いや、動けないでいた。
「幻やまやかし……ではないのでしょうけれど……何故、私にそのような姿をお見せになられるのですか?メトラ殿」
ディロンの目に映るのは。
今は亡き妹の姿だった。
原因不明の病で朽ち果てるように命を落としてしまった妹。
美しい、愛らしい、お人形さんのようだと愛でられていた妹。
だがディロンの目に映るその姿は、元気だった頃の愛らしい姿ではない。
死の直前のいたたまれない哀れな姿。
髪は抜け落ち、肌はボロボロになり黒い斑点が全身に浮かぶ、人ならざる姿。
ディロンは妹のその姿を見てこう言った。
バケモノ。と。
『キシとやらの目にはこう映るのか……なるほどのう』
「何故、そのようなお姿を……」
『ワシが見せとるワケでは無い。お前の心象がそうさせるんじゃ。キシとやらよ。お前はこの娘っこに何か言い残した事があったのでは無いのかえ?』
ディロンはその言葉を受け、夢遊病者のようにふらふらとメトラに近づき――
がくん、と両膝をメトラの前に付いた。
ディロンは葛藤し苦悶する。
己自身を責め、戒め、喉の奥から振り絞るようにして、一つ一つの言葉を紡ぎ出した。
「……お前が命を落とす最期の瞬間まで……お前に触れてやることが出来なかった……どうか、あの時の……臆病だった私を……許して欲しい……!」
ディロンがゆっくりと手を伸ばし、妹の頬に触れると、その頬が。
思わず目を背けたくなる黒い斑点だらけのボロボロだった皮膚が。
ディロンの節くれだった指が触れた箇所から徐々に生気を取り戻して行く。
背中に流れるサラサラの長い銀髪。
透き通るような肌は血色良く、さくらんぼ色の小さな唇と薄紅色の頬は艶やかで生命力に満ち溢れている。
細い手足は黒い斑点や染みなど一つも無く、眩しいほどに美しい。
ディロンの記憶に残る元気だった頃の妹の姿。
「リィディー……!」
妹が大好きだったレースとフリルで飾られた空色のワンピースを着て。
ディロンの妹、リィディーは。
柔らかな笑みを浮かべていた。
――幻でも構わない……!リィディー。お前に会いたかった!ずっと!ずっと!言いたかったんだ……!
「……愛している……!」
リィディーは優しく微笑みながら頷いて、ディロンの視界からゆっくりと霧のように消えた。
皆が誰かの姿を見ているのと同じく、シルスの目にも一人の少女の姿が映っていた。
――みんな誰か知ってる人の姿に見えるみたいだけど……なんでわたしだけ知らないコの姿なんだろう?
シルスは疑問に思う。
心象、というのであれば真っ先に思い浮かぶのは、祖母ファルナルークの若かりし頃の姿。
ファルナルークと初めて会った時の胸の高鳴りは、きっと、ずっと忘れない。
だが、シルスの目に映るのは同じ歳くらいの赤茶けた髪の普通の女の子だ。
――誰かに似てる……?……わたし?……もしかして……母さん?
その少女は母メルリラに似ているが、髪と瞳の色が違う。
その少女の瞳の色は翠。自分と同じ翠色である。
母メルリラは鳶色の瞳。
祖母ファルナルークは空色の瞳。
高祖母アルシーアも同じく空色の瞳である。
シルスは知っている。
自分と同じ瞳の色を持つ人物を。
祖母ファルナルークと共に旅をした赤毛の女性、シュレスの事を。
ファルナルークの幼馴染みで親友の、シュレスの事を。
――シュレスさん……もしかして……わたし……シュレスさんの……?
確信も何もない。推測の域を出ないし突拍子も無さすぎる。
だがシルスは感じていた。
その小柄な身体にはアルシーアとファルナルークと、シュレスの血が受け継がれていると。
メトラが言った『特別な血』という、その意味を。
時を超えただけでは無い『特別な血』の意味を。
シルスは、頭ではなく、心で理解した。
――そっか……みんな……みんな、繋がってたんだ……ファルナルークさんも、シュレスさんも!わたしが未来から来たコトは……未来に繋がるコトだったんだ……!
その少女はシルスに向かってイタズラっぽくにかっと微笑み、すうっと消えた。
メトラはぶっきらぼうに言い放つ。
『答えは己で見つけよ。その意味はオマエ達にしかわからん』
答えは。
探し続けても、求め続けても得られないかも知れない。
六人は知る。
かけがえの無い存在は。
その想いは、いつまでも心の中に在るのだ、と。
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