シルスの涙
「さて、そろそろ旅立つとするかの。おい、ハーフエルフよ。ここに血を垂らしてたもれ」
メトラが黒の異空間の真ん中辺り、自身の足元を指差す。
メトラの言う旅立ちの時。
それはつまり。
シルスにとっては、アルシーア達との永遠の別れを意味している。
いつまでもみんなと一緒にいられたら。
いつまでも一緒に笑っていられたら。
だがそれは叶わない望みだとシルスは知っている。
いつかは必ず別れの時が来る。
未来に帰る日が必ずやってくる。
だがその日が今日だとは。今だとは思いもよらなかった。
シルスが足取り重くメトラの元に歩み寄り護身用ナイフを取り出すと、アルシーア達は怪訝そうな顔をした。
「シルス?……何するんだ?」
一瞬のためらいの後。
シルスが左手の小指の付根にナイフで傷をつけると、すっと赤い筋となり鮮血がにじみ出した。
手を前に出しメトラの足元にポタポタと血を垂らすと、乾いた砂に染み込むようにあっという間に『フタ』と呼んだ地面に吸い込まれていく。
「そんなもんじゃろ。もう良いぞ、ハーフエルフよ」
シルスが血を垂らした跡にメトラが立ち。
「今から核と接触する。しばし待て、ハーフエルフよ」
そう言って静かに目を閉じ、動かなくなった。
「シルスっ!」
アルシーアがシルスに駆け寄り、目を閉じて動かなくなったメトラから間を取る。
「いきなり何すんのかと思ったらナイフで切り込みって……見てるだけで痛いよ。ちょっと見せて……うわ、けっこう深く切れてるじゃんっ。早く止血しないとっ」
アルシーアがシルスの手の傷口を見て、すぐにリュックから救急キットを取り出した。
「ガーゼと止血軟膏と包帯、っと。ほれ、傷口見せてみなっ」
「あっ。あの!これっ。この包帯で巻いて下さいっ」
シルスがウエストバッグから取り出したのは、以前ファルナルークが巻いてくれた包帯だ。
アルシーアが新しい包帯に取り替えてくれた際に捨てられそうになったのをシルスが大切に取っておいたものである。
「それ、ちょっと汚れてないか?いいのか?」
「洗ってあるからキレイですよう。これがいいんですっ。これで巻いてもらいたいんですけど……」
「ん?ああ……いいよ?」
シルスはどこか寂しそうな表情を浮かべている。
それを少し不思議に思いながらアルシーアは包帯を受け取り、シルスの前に両膝をつくと黙って傷の手当てを始めた。
ルーフェリカとルーフェルメも二人の傍らに寄り添い、その様子を静かに見ている。
止血の軟膏を塗り包帯をくるくると器用に巻くその手順と仕草はファルナルークにそっくりだ、とシルスは思った。
――シアさんの手……あったかいな……この感じ……やっぱり、ファルナルークさんのおばあちゃんなんだ……ここで……シアさんと……みんなと……
「……こうやってシルスの手にホータイ巻くの二度目だな。あの時は右手だったっけ」
包帯を巻き終え、ぽんぽんと手に触れる『ケガが早く治りますように』のおまじないをして、ふっとアルシーアが顔をあげると。
シルスは目に涙をいっぱい浮かべていた。
「えっ?どうしたっ?痛かったかっ?」
シルスがふるふるっと無言で首を振ると大粒の涙があふれ、巻いたばかりの包帯にぽろぽろとこぼれ落ちた。
「わたしっ……みんなと……ここでお別れしなくちゃいけないんですっ……」
突然の『お別れ』という言葉とシルスの涙にアルシーア、ルーフェリカ、ルーフェルメの三人は顔を見合せた。
「シルスちゃん……お別れって?」
ルーフェリカが優しく訊く。
「わたしには帰る場所があって……待っててくれてる人達がいて……さっき、メトラちゃんと話してて……今から帰るコトに……」
三人は。
アルシーア、ルーフェリカ、ルーフェルメは。
いつかはその日がくるとわかっていた。
シルスとの出会いは突然だった。
別れもきっと突然なのだろうと、心の何処かで感じていた。
「……シルスってさ、あたし達の舞台にいきなり飛び出してきたよな。アレにはホントにビックリしたよ。いつかサヨナラする時もあんな感じなのかなって、なんとなく思ってたけど……」
「シルスちゃん……」
ルーフェルメがそっとシルスの手を取った。
「シルスちゃん……崖から落ちた時、大きな声で叫んでくれたでしょ?ちゃんと聞こえてた……嬉しかった。あの時、もし死んじゃってたら……またこうやってシルスちゃんとお話する事って、出来なかったんだよね……お別れは寂しいけど……」
「でもっ!それが今日だなんてっ……今だなんて思わなくって……っ!優しくしてくれたみんなに、なにも返せないままでっ……」
アルシーア達と過ごした数日間。
突然降ってわいた竜退治という冒険。
それが唐突に終わってしまう寂しさ。
シルスが抱く皆への想いは涙となって、その頬を伝い落ちた。
「シルス……」
ぐすぐすとべそをかくシルスの頬に、アルシーアがそっと手を当てて……
むにゅ。
と、シルスの頬をつねった。
「あのな、シルス。返す、ってなんだよ?あたし達はなんか返して欲しいなんて思ってないぞっ?」
アルシーアは不機嫌だ。
真剣に怒ると言うより、子供が拗ねているような表情をしていた。
「いっ、イタイれすよっ、シアしゃんっ?」
ルーフェリカもシルスの左頬にそっと手を当てて。
「そうだねー。返すなんてサミシイ事言っちゃう口はこれかなっ?」
と、アルシーアと同じようにむにっとつまんだ。
「ぷっ。あっははー!シルスちゃんのほっぺたって柔らかーい!やっぱカワイイなー!」
ふにふにむにむにとシルスの頬をもてあそぶルーフェリカは満面の笑顔である。
「わわっわたひのほっぺで遊ばにゃいでくだしゃいようっ」
「じゃあ、ルメちゃんはシルスちゃんのカワイイ耳を……」
するるっとルーフェルメがシルスの背後に回り、尖った耳にふっと息を吹きかけると。
「あひゃああうわああ、みみみ耳はダメれすようっ!るーふぇるめしゃあんっ」
「シルスちゃんっ……カワイイっ」
力の抜けたふにゃふにゃな声を出すシルスを、ルーフェルメは背後からきゅっと抱き締めた。
「……ねえ、シルスちゃん。崖から落ちちゃった時にも言ったけど……ルメちゃん達はね……シルスちゃんと出会った事が……それが、宝物なんだよ……?」
――ホントはね……本当は……ずっとずっと一緒にいたいと思ってるよう。でも、それは……言っちゃいけないような気がするよ……シルスちゃん……
小さな子供をあやすようなルーフェルメの柔らかく優しい声がシルスの心にしみる。
「……ルメの言う通りだよ、シルスっ。なあ?リカっ」
「だね!ずっと……ずうっと!心に残る宝物……心の中にあるから絶対に失くさない宝物だよ、シルスちゃん!だからさ!笑ってサヨナラしないとねっ。アタシ達らしくないもん!ねっ?」
シルスの頬をつねっていた二人も手を放し、明るい笑顔を向けた。
だが。
本音では。
心の中では。
――いきなりすぎだろ……寂しいよ……シルス……ナルミさんだって、マティルさんだって、シンディさんだって、王様達だって待ってるのにさ……
――行かないで、って言っちゃうのはワガママだよね……シルスちゃん……
三人の温かい想いが伝わり『四人姉妹の末っ子』の目に再び涙が浮かぶ。
「みんな……っ」
――……ありがとう……っ
額を寄せて抱き合う四人は。
生涯、心に残る宝物を、手にいれた。
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次話『舞い、踊る、竜の乙女達』
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