第30話 carrefour
大上の屋敷で何が起こったのか。アランにめぼしい情報が与えられることはなかった。
……だが、「隠すべき何かが起きた」ことだけはアランにも理解できていた。
「……で、どうだったよ。オレを殺せとでも言われたかぁ?」
伝七が一服しようと門扉の外まで向かうと、先に帰ったはずのアランと鉢合わせした。血を与えられ覇気を取り戻した吸血鬼は、先程まで取れていた首の角度を調整し、仮面の位置を気にしている。
「……まだ帰っちょらんかったか」
「帰り際に喰われちゃシャレにならねぇからな。……オレはこう見えて用心深いんだ」
ズレた仮面をきっちりと直し終え、アランは低い声で呟く。
「クロードとは違って、な」
ぎらりと、赤い瞳が夜闇に浮かびあがる。……その様子を、伝七は幻視した。
伝七の背筋をえも言われぬ快感がかけ上がる。……確実に根に持たれていることが、身体の内側から歓喜を呼び起こす。
「さすがに殺しゃあせん。ここでヴァンパイアまで敵に回すんはいくらなんでも悪手ぜよ。……クロードのことも俺の独断じゃき」
欲望をどうにか内に押し留め、伝七はへらりと笑う。……その脳裏に、眞子の言葉が蘇る。
──クロード・ブランを排除しておいたのは英断です。ですが……それが「大上の意思である」と思われてはなりません
──アラン・ルージュは我々に見限られれば自我すら保てぬ男。……そして、そのような頭でもヴァンパイアにはなくてはならぬ存在です
──けれど、同胞を手にかけるやり方を快く思わぬ者が多いは道理。その不信はやがてこちらにも牙を剥きましょう
──伝七。あれはお前が勝手に行ったこと。……その因果に引き裂かれたとして、我らが庇い立てすることはできませぬ
汚れ仕事は、いつだって犬上の仕事だ。
犬上家に産まれた人間はヒトから離れていく肉体を持つが、大神とは違い、神にもなれない。
眞子があえて釘を刺したのは、まだ誠実とも言えた。呪いを恐れ、大神の加護に縋った以上は当然の役割だと伝七も理解している。
「独断、ねぇ。大胆な手だが、恨みを買うことは屁でもねぇんだったな。……いや、むしろ好きなんだったか?」
「俺を変態みたいに……。仕事が上手くいくと、気持ち良すぎて辛抱たまらんだけやき」
「……変態じゃねぇか」
だが、伝七は気付いていない。アランの「親愛」が確実に己を侵食していることを。
「……けどよぉ、さすがに命は惜しいだろ?」
その言葉を即座に否定できず、伝七の返答に間が空いた。
「理不尽に怒らねぇわけでもねぇだろ?」
畳み掛けるよう、アランの言葉が続く。
「オレだって同情くらいはするぜ。溜め込んでるもんがあんなら、少しだけでも吐いとけ。聞いてやらぁ」
「……別に、そんなもんは……」
自分のことはいい。むしろ、今や天職だとすら考えている。
だが……
だが、死んでいった兄たちはどうだった?
「嫌な役回りだよなぁ。損ばっかり押し付けられてよぉ」
長男の与一郎も、三男の四礼も、四男の五厘も非業の死を遂げた。貧乏くじだと言われても、反論などできはしない。
「なんも、不満なんぞないがね」
それでも、伝七はそう答えた。
「ふーん……。まあいい。邪魔したな」
アランもそれ以上追求することなく、帰路につく。
目のない仮面の奥から、探るような圧が一瞬だけ伝七を睨めつけ、去っていった。
「……く、くくく……」
その背が消えた後、伝七の喉から乾いた笑いが漏れ出す。……奥底に触れられた感情がざわめく。
「俺は……どの兄上よりも劣りゆう……」
誰にも届けられない独り言が、夜闇に吸い込まれていく。
「けんど……俺はおまんらとは違う……! 俺は……! 今、楽しゅうて楽しゅうてしゃあないきにのう……!!」
伝七はどの兄弟姉妹より呪術の能力で劣っていた。……けれど、誰よりも呪術師として優れている自負がある。
苦痛は悦楽となり、悦楽は苦痛を呼ぶ。その生に後悔などはない。
ただ……
「俺は……俺はッ、あんな腑抜けどもとは違うがじゃ……!!」
アランの言葉に心を乱されなかったといえば、嘘になる。
***
暮越町のマンションにて、クロードは冷蔵庫にあった残りものを口に運んでいた。
自分の扱いがどうなっているのか気になるところではあるが、知ったところでこの身体ではまともな立ち回りなどできないだろう。溜息をつきつつ、食欲の失せた胃袋に冷めたチャーハンを詰め込んでいく。
片腕を失った身体は想像以上にバランスを取りにくく、テーブルには米粒や具材が飛び散っている。都度拭き取っていたが、キリがないとスプーンを置いた。
「……今日は帰ってこねぇんだったか」
血はまだ飲まなくても持つだろう
部屋の主……次郎は何やら急いで出かけて行ったが、クロードが詮索することでもない。
「……ってぇな……」
まだ、身体のあちらこちらがズキズキと痛む。命があるだけ御の字と言えるかもしれないが、アランの体たらくを思うに、これで良かったのかはまだわからない。
死にかけた吸血鬼は、普段よりもさらに多くの血を欲する。……今は落ち着いている衝動も、次郎に与えられた養分がなくなればどうなるか分からない。
痛みを噛み殺していると、呼び鈴の音がリビングに響きわたる。
「……出なくていいよな」
自らに言い聞かせ、居留守を使う。
……と、今度はノックの音が響いた。
「……出なくていいんだよな。ジロウ」
当然、返事をする相手はいない。
そして、ノックの音は止まらない。
「あーーーー畜生、どうしろってんだ」
控えめなノックの音はやがて間隔をあけるようになり、ついには消え入るように止んだ。
ほっとしたのも束の間、今度は罪悪感が胸の内から押し寄せてくる。
何度もノックをしたことは大切な用事だったのだろう。……しかし、呼び鈴は一度だけで、ノックすらも控えめな音だ。女性だろうか。いや性別は関係ない。だが、正直なところ、女性だった場合クロードは嬉しい。
「……どちら様ですかーっと……」
小声で呟き、覗き窓から外を見る。
そこにいたのは、クロードの期待通り女性だった。……が、その人物は期待通りとはいかなかった。
「マジかよ……」
視界に、見覚えのある栗色の巻き毛が映る。
シャルロットが今にも泣き出しそうな表情で、部屋の前に立っていた。
「大上先生、いませんか。……晃一さんが帰ってこないんです」
不安に押し潰されそうな声で、少女は救いを求めていた。
あの野郎、次会ったらぶちのめす。内心で毒づきながら、クロードは扉を開いた。





