第29話 décousure
本能が警告を発し、アランの足が止まる。
──これ以上は危険だ
見てはならない。視てはならない。
その罠に、身を委ねてはならない。
「こんなところにいらしたのですか! アランさま!」
背後からの声に、ハッと振り返る。
同胞の姿を捉え、張り詰めた緊張の糸が僅かに緩む。
「突然姿を消されたので、何事かと思いました。……お加減でも悪いのですか? 私も医師の端くれです。相談してくださればよかったものを」
女の長髪が、松明の灯りを照らし、煌めく。
「白」い輝きが、誰かを思い出させる。
……さて、誰だったか。
「どうされました? アランさま」
……なにか、違和感がある。引っかかる。
そうだ。
そもそもなぜ、「見えている」?
「……オーギュスタ……?」
「……よくもまぁ……その体たらくで大口を叩けたもんだ」
オーギュスタ・ブランの瞳は紅く輝いている。
アランの足元を見て、 彼女はじゅるりと舌なめずりをした。
「変だと思ったんだよ。トチ狂ってたあんたが、昨日の今日で正気になんて戻れるはずがない」
大上邸の門前に、血に染まった亡骸が積み上がっている。
光なき瞳が一斉にアランを見つめる。そのひとつに、見覚えがある。……その見開かれた紅は、目の前の女と似て──
「……ッ、は……っ、随分と趣味の悪ぃモンを見せやがるなぁ……!!!」
ぐらりと視界が闇の中に戻っていく。アランを弄んでいた呪いも、軽くうなり声を上げて持ち主の元へと帰っていく。
研ぎ澄まされた聴覚が、足音を捉える。
「単なる八つ当たりちゃ。恨むなら好きにせえ」
聞き覚えのある声音が響く。
「精神が強くて、崇高な奴ほど……気に食わん」
飄々とした仮面は剥がれ落ち、伝七は不機嫌さを隠しもせず歩み寄ってくる。
「もっと……もっと俺を恨め、憎め。……あんなもんじゃ足りん……」
ぶつぶつと呟き、迫ってくる。
「……何しちゅうが。帰れ」
昏い瞳に見つめられていると、アランには分からない。
屋内から漏れるざわめきは一向に止むことはなく、アランの意識は自然とそちらに向かってゆく。
「帰れち言うたぜよ」
チッと舌打ちし、伝七は目の前の男を睨む。
……と、どさりと音を立て、その足元に塊が落下した。
「そこまで脆くなっちょったか……」
「……あ?」
何が起こっているのか分からない、というように、塊は呆然と声を上げる。
「…………。俺は、そんなになってまで生きたくねぇでさ」
張り詰めた空気が、わずかに弛緩する。
見下ろす相手の表情すら、アランには分からない。
伝七は冷静さを取り戻したのか、小さく溜息をつき、転がった生首を抱える。
「そこまで保てないんならもう案内しますけど……何か聞いたとしても、内密でお願いしますぜ」
「へぇ、聞かれたら困んのか」
「……頭が俺の腕ん中にある意味、わかっちゅうがか?」
伝七はアランの頭を抱え、そのままずるずると頭をなくした胴体を引きずる。そのまま2人は屋敷の中へと消えていった。
2人の影を見送るよう、銀髪の女は物陰に隠れたまま様子を伺う。
……既に、伝七の方には勘づかれたと感覚で理解している。バレている以上、もう踏み込むことはできない。
「……焦るんじゃないよ、オーギュスタ。まだ、その時じゃないってだけだ……」
そう、影は自らに言い聞かせる。傍らで、連れ立った小さな影もつられるように息を飲んだ。
「そうさ……耐えるなんて造作もない。……いつだってしてきたことだ……」
オーギュスタは、この期に及んで献身を捧げられるほど愚かでもなく、かと言って頭に成り変わるほどの力も持たない。
ただ、踏みにじられてきた「何か」を、取り戻したかった。
……ヴァンパイアも、人間も、もはや彼女にはどうだっていい。
アランは情に流されず立ち向かう力を得た。
そして情を切り捨て、新たな敵を作った。……綻びは、繕えないほど大きくなっている。
***
「今日は帰るよ、はぐれないようついて来な」
踵を返し、オーギュスタは連れに語りかける。
唐突に問いかけられ、少年はびくりと肩を震わせた。身を隠すよう座り込んだまま、顔を膝に埋める。
「…………僕には、何がなにやらわかんないよ」
オーギュスタが歩き出せば、少年は俯いたまま、ゆっくりと立ち上がった。
先導する相手の後に続き、ぽつりぽつりと話し出す。
「クロードが殺されたとか、それが……父さんだと思ってた人のせいだとか……もう、わかんないよ……」
ぽろぽろと、少年……ロベールの瞳から涙が零れ落ちる。
幼い頃のクロードの姿が、オーギュスタの脳裏にちらと浮かぶ。……涙を拭って、頭を撫でて、抱き締めてやりたい感情はオーギュスタにもある。
だが、手駒に情をかける必要は無いし……
そもそも、そんな資格もない。
「……泣いたって、どうにもならないよ。あんたが生きてかなきゃ行けないのは、そういう世界なんだから」
それでも声をかけたのは、少年の向かう先を思っての同情だったのか……
……それとも、彼の未来に更なる波乱を呼ぶことへの、贖罪だったのかもしれない。





