↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】―火を斬る少女―  作者: 甕星 慶(ミカボシケイ)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
25/40

第二十五話 知っていた者

 穴を這い上がるのに、下りるときの倍かかった。森に出ると、薄暗がりは、夜の暗さに変わっていた。木々のあいだで、白い茸(きのこ)だけが、ぼんやりと光っていた。


 洞(うろ)に戻ると、子どもは、まだ苔(こけ)を噛んでいた。


 スズが穴から這い出してくるのを見て、口を止めた。苔の緑で汚れた唇が、何か聞きたそうに、開いたまま止まった。


「いた」


 スズは言った。膝が、土で黒くなっていた。


「母さん、いた。下に。ずっと、下に」


 子どもの目が、大きくなった。


「……いた?」


「音が、聞こえた。とくん、って。あなたの紐の先で」


 子どもは、自分の腹から垂れる紐を、両手で握った。


「母さん、いきてる?」


「生きてる」


 スズが言うと、子どもは、紐を握ったまま、洞の底に額をつけた。肩が、震えていた。泣いているのか、笑っているのか、わからなかった。


 背中の鞘(さや)の中で、子どもたちの声が重なった。


「いきてるって!」


「……いきてる」


「いきてた」


 マチと、アユと、ホリ。ニギの声は、しなかった。握っている手に、力をこめたのだろう。



    ◇



 スズは、洞の前の苔の上に、腰を下ろした。


 山の底に、母がいる。生きて、心の臓(しんのぞう)を打っている。子どもたちに、温かいものを送っている。


 なら、なぜ、誰もそれを知らなかったのか。


 知らなかったのではない。


 スズは、背中の剣の重さを感じながら、それを考えた。


 帰れ。


 戸の前で、老人は、何度もそう言った。この先には、何もない。火の子は母を殺した。殺したものが、この山にいる。それだけの山だ。帰れ。


 戸が開いた朝、山が息をしていた。老人は、封ではない、と言った。眠りだ。起こすな。


 岩の斜面で、背中の鞘の中から言った。まだ間に合う。帰れ。この上には、何もない。


 棚田で、火守(ひもり)がなぜ火を守るのをやめたのかと聞いたとき、老人は言った。火を、怖がるようになったからだ。


 そして、嘘を言い広めたのは、わしだ、と。


 老人は、知っていた。


 母が、死んでいないことを。山の底で、眠っていることを。眠りだ、起こすな。あの言葉は、母のことだったのだ。


 知っていて、誰も近づけないように、帰れと言い続けた。何代も。里を回って、あの山に近づくなと、子どもたちに唱えさせた。


 なぜ。


 わからなかった。


 わかる者は、もう、いなかった。


 スズは、腰の草鞋(わらじ)に手を当てた。縄をからめたまま。重さは、ほとんどなかった。


「……わたしが、消した」


 声に出すと、苔に吸われて、ほとんど聞こえなかった。


「知ってた人を。わたしが」


 答えを持っていた者を、スズは、嘘つきとして消した。訳を言わないから、斬った。言わない訳を、確かめもしないで。


 聞くには、聞いた。なんで、と。一度だけ。


 聞いて、待たなかった。


 戸の前で、一晩、叩いて待った。叩いて、待って、夜明けに戸が開いた。あの老人の前で、スズは、それを覚えたはずだった。棚田では、火が来ていた。待てなかった。待たなかった。


 姉には、聞かなかった。老人には、聞いて、待たなかった。


 スズは、剣を背から下ろした。わずかに抜いた。


 刀身の奥の、老人のいたところを見た。何もなかった。マチが、叩いていたところ。ただの鋼だった。


 最後に、老人は、スズを見ていた。刃の向こうから。怯(おび)えてもいなかった。怒ってもいなかった。何かを、待っている顔だった。


 何を待っていたのか。


 スズが、もう一度、なぜと聞くのを。それとも、斬られるのを。それとも、訳を言わなくても、いつかスズが自分で見つけるのを。


 わからなかった。どれも、もう、確かめようがなかった。


「姉さんは」


 スズは、刀身の奥の、背中に向かって言った。


「知ってたの。母さんが、生きてること」


 姉の背中は、動かなかった。


 答えは、なかった。



    ◇



「じいちゃん、しってたの?」


 マチが、刀身の中で、スズを見上げていた。


「母さん、いきてるって、しってたの?」


「……たぶん」


「でも、じいちゃん、ぼくに、いった」


 マチの声が、小さくなった。


「おまえの母は、しんだ。おまえが、ころしたって。なんども、いった」


 スズは、息を止めた。


 戸の前で、老人は子どもの背中に言った。来ん。何度言えばわかる。おまえの母は、死んだ。おまえが殺した。スズに言ったときより、少しだけ低い声で。


 子どもにまで。


 知っていて、あの子にまで、そう言い続けた。叩くのをやめさせるためなのか。待つのをやめさせるためなのか。


 それなのに、夜の火に焼かれるこの子を、額を石につけて、頼むと言った。


「なんで、じいちゃん、うそ、いったの」


 マチが聞いた。


 スズは、答えられなかった。


 答えを知っている者は、スズが、無かったことにした。


「あなたは、知ってたの」


 スズは、ナルカに聞いた。


「母が、生きてること。天つ座(あまつくら)は」


「知らん」


 ナルカは、少しも迷わずに言った。


「天つ座では、火の子は斬るものだ。母は、死んだものだ。それで足りた。誰も、それ以上は問わなかった」


 ナルカは、苔の上の、洞の子どもを見た。


「おれも、問わなかった」


 その声が、ほんのわずかに、低かった。


「消えた者の訳は、消えた者と一緒に消える」


 ナルカは、洞の横の木に背をあずけた。


「それが、作法だ」


 スズは、ナルカを見た。


「後悔するな」


 ナルカの声は、平らだった。


「後悔も、重さになる。おまえの剣は、それも量る」


 正しかった。スズは、それが正しいことを、もう知っていた。


 姉は、背を向けていた。


 けれど、背を向けたまま、耳を澄ませているのがわかった。刀身の奥で、姉の肩が、じっと動かなかった。



    ◇



 洞の子どもが、顔を上げた。


 額に、苔がついていた。腹の赤い光が、さっきより強くなっていた。強くなって、ぼろ布の結び目のあたりが、透けはじめていた。


「……おなか、あつい」


 子どもは言った。


「あったかいのが、きても、あつい。たりないのに、あつい」


 子どもの腹から、紐を伝って、赤が、上へ上へと、這い上がってきていた。胸へ。肩へ。


 漏れた火が、この子を焼いていた。


 洞の中の苔が、子どもの腹の熱で、ちりちりと縮れはじめていた。白い茸が一つ、赤い光に照らされて、しおれていった。


 スズは、立ち上がった。


 剣を、抜いた。すっと抜けた。鈴が鳴った。苔に吸われて、小さな音だった。


「宿すのか」


 ナルカが言った。


「宿す」


 スズは言った。


「母さんのところへ、連れていく。あなたも」


 子どもは、紐を握ったまま、スズを見上げた。


「……いたい?」


「いたくない」


 子どもは、うなずいた。


「母さん、あったかい?」


 子どもが聞いた。


「……たぶん」


 スズは言った。とくん、という音を思い出していた。温かい風を。


「うん。あったかいと思う」


 スズは、刃を、子どもの胸の前に当てた。なぞった。


 子どもの形が暗くなり、光が、刃を滑って上ってきた。


 洞の底の紐が、ふっと暗くなった。


 赤い光が消えて、白っぽい、ただの紐になった。紐は、しばらく、洞の底に横たわっていた。それから、ゆっくりと、土の中へ引いていった。根と根のあいだへ。下へ。やがて、見えなくなった。


 スズは、思わず手を伸ばした。指先に、紐の端がかすめた。冷たかった。つかむ前に、土の中へ消えた。



    ◇



 剣が、重くなった。


 腕が、下がった。膝が、少しだけ沈んだ。倒れはしなかった。


 岩の手を宿したときと、同じくらいの重さだった。


 刀身を見た。


 六つの顔。ふちが溶けて、混じっていた。姉の目が、ホリの額の上にあった。アユの声で、誰かが笑った。口を動かしているのは、ニギだった。


 新しい子が、刀身の中で、自分の腹を押さえていた。


「……すいてない」


 新しい子は、不思議そうに言った。


「おなか、すいてない。あったかい」


「なまえ」


 マチが、姉の袖を引いた。


「このこの、なまえ」


 姉は、背を向けたまま、少しだけ振り向いた。スズのほうではなく、新しい子のほうへ。


 唇が、声を出さずに、二つの音の形に動いた。


「……クウ?」


 マチが読んだ。


「たべてばっかり、だったから?」


 姉は、小さくうなずいた。それから、また、背を向けた。


「クウ。ぼく、マチ」


 新しい子は、マチの顔を見て、それから、自分の腹を、もう一度押さえた。


「六人目だ」


 ナルカが言った。


「頂(いただき)までに、門はあと三つ。あと三人、宿すつもりか」


 スズは、答えなかった。


 スズは、剣を納めた。重かった。


 腰で、草鞋が揺れた。


 知っていた者は、もう、どこにもいなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。