↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】―火を斬る少女―  作者: 甕星 慶(ミカボシケイ)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/40

第二十二話 勘定

 火が退いたあとの棚田は、焦げた匂いがした。


 上の三段が、黒くなっていた。株が燃えて、灰になって、夜風に少しずつ舞い上がっていた。灰だ、とスズは思った。野では、どれだけ掘っても出てこなかった灰が、いま、足もとに積もっている。


 焼ければ、一晩で、これだけの灰が残る。七日七晩焼けた野に、灰の筋が一本もないはずがなかった。


 子どもが、袖を握っていた。


 額まで、赤かった。赤いところは、ほとんど透けていた。子どもの顔の向こうに、焦げた石垣が見えた。目を閉じて、唇を結んで、子どもは袖を握っていた。握る力だけが、まだ残っていた。


 スズは、剣を見た。


 四人ぶん。軽かった。まだ、軽かった。


 老人ひとりぶんが、空いていた。


 その空いたところに、この子が入る。


 スズは、そう勘定した。


 勘定してから、自分の胸の中で、何かがぞっと冷えた。一人を消して、空けたところに、もう一人を入れる。桶(おけ)の水を替えるように。米櫃(こめびつ)に米を足すように。


 それでも、勘定は合っていた。


「空いたところに、入れろ」


 ナルカが言った。焦げた石垣の上に、腰を下ろしていた。


「勘定は合う。いちばん重いのが抜けた。そのかわりに、軽いのを一人入れる。それでも、おまえは今朝より軽い」


 ナルカの声は、畑の広さを測る男の声のようだった。


「それで頂(いただき)まで持つかもしれん。持たないかもしれん。だが、少なくとも、ここで座りこんで焼けることはない」


 正しかった。スズは、それが正しいことを知っていた。


 この子を宿しても、立てる。宿さなければ、この子は今夜のうちに燃えつきる。


「……ごめん」


 スズは、子どもに言った。誰に何を謝っているのか、自分でもわからなかった。


 剣を、抜いた。すっと抜けた。渋らなかった。鈴が鳴った。


 子どもの胸の前に、刃を当てた。


「……はなさない」


 子どもが、目を閉じたまま言った。


「うん」


 スズは言った。


「離さなくていい」


 なぞった。


 子どもの形が暗くなり、光が、刃を滑って上ってきた。


 袖が、軽くなった。


 焦げて穴のあいた藍(あい)の布が、スズの腕に垂れ下がった。握っていた指の形に、黒く抜けていた。



    ◇



 剣が、重くなった。


 抜けていた重さが、半分戻ってきた。腕が、わずかに下がった。膝は、折れなかった。スズは、立っていた。


 刀身を見た。


 五つの顔。姉、マチ、アユ、ホリ、そして新しい子。


 さっきまで澄んでいた刀身が、また曇っていた。ふちが溶けて、隣へ滲(にじ)んでいた。澄んだぶんだけ、また曇った。


 新しい子は、刀身の中で、姉の手を握っていた。刃の中に入ると、その手の赤は消えていた。透けてもいなかった。小さな、ふつうの子どもの手だった。


 スズは、それを見て、少しだけ息ができた。


 その子は、姉の指を一本、小さな手で、しっかりと握りしめていた。


 姉は、その手を払わなかった。膝の上で泣き続けるマチを抱えたまま、新しい子に指を握らせていた。


「……なまえ」


 マチが、しゃくりあげながら言った。


「その子の、なまえ」


 姉を見上げていた。


 姉は、答えなかった。


 唇が、動いた。声は、出なかった。二つの音の形に、唇が動いて、閉じた。


「……ニギ?」


 マチが、姉の唇を読んだ。


 姉は、小さくうなずいた。


「ニギ。にぎってるから」


 マチは、涙を手の甲で拭いながら、新しい子に言った。


「ニギ。ぼく、マチ」


 新しい子は、姉の指を握ったまま、マチを見た。何も言わなかった。握る指に、少し力をこめた。


 スズは、刀身の中の姉を見ていた。


「姉さん」


 姉は、スズを見なかった。


 顔を、刀身の奥へ向けていた。スズのいる、刃の外とは反対のほうへ。


「姉さん」


 答えは、なかった。


「何か言って」


 スズは、刀身に顔を寄せた。


「怒ってもいい。何を言ってもいい。黙らないで」


 姉の肩が、刃の奥で、わずかに動いた。振り向くかと思った。


 振り向かなかった。


 あの日の里と、同じことをした。


 姉の最後の言葉が、スズの耳の中に残っていた。拝殿(はいでん)で、姉を見ずに、サヤは火に呑まれたと言った長の顔が、浮かんだ。訳を聞かなかった顔。聞かずに、裁いた顔。


 スズは、老人に訳を聞いた。老人は、言わなかった。言わないから、斬った。


 聞いたのと、聞かなかったのと、何が違ったのか。スズには、もう、わからなかった。



    ◇



 夜のうちに、スズは棚田を上がった。


 石垣を、越えた。片足を上げると、上がった。四段目。五段目。昨日から膝ひとつ上がらなかった石垣が、いまは、息を止めずに越えられた。


 一つ越えるたびに、胸の底が冷えた。


 足が、この軽さを覚えてしまったのがわかった。次に重くなったとき、足は、いまの軽さを思い出す。思い出して、また欲しがる。スズには、それがわかった。


 楽だった。


 その楽さが、どこから来たのか、スズは知っていた。


 上の段の、焦げた火床(ひどこ)の石の箱のそばを通った。縁に、火守(ひもり)の印が刻んであった。丸の中に、三本の線。スズは、目をそらした。


「……じいちゃん」


 背中の鞘(さや)の中から、マチの声がした。


 泣きやんでいなかった。泣き声は小さくなっていたが、やまなかった。


「じいちゃん。じいちゃん」


 とん、とん。


 刀身の奥の、何もないところを、叩いているのだとわかった。


 とん、とん。


 叩いて、待っていた。戸の前で、母を待っていたのと同じように。叩いては、首をかしげて、耳を澄ませているのがわかった。


「マチ」


 スズは、背中に向かって言った。


「……もう、いないの」


「いるもん」


 マチは言った。


「叩いたら、来るもん。母さんも、叩いたら、来てくれた。じいちゃんも」


 とん、とん。


 スズは、何も言えなかった。


 腰で、大人の草鞋(わらじ)が揺れていた。縄をからめたまま。歩くたびに、スズの腿(もも)に当たった。重さは、ほとんどなかった。当たるたびに、そこにあることがわかった。


 外そうかと思った。


 石垣の上で、立ち止まった。腰の縄に、指をかけた。


「……じいちゃんの、わらじ」


 鞘の中から、マチの声がした。刃の中から、見えているのだった。


「それ、じいちゃんが、ぼくに、はかせてくれた」


 スズの指が、縄の上で止まった。


「すてないで」


 マチの声は、泣いていなかった。泣き疲れた声だった。


「すてない」


 スズは、縄から指を離した。結び目を、固く結び直した。


 外せなかった。



    ◇



 夜明け前に、棚田のいちばん上に着いた。


 上には、また斜面が続いていた。暗い森だった。黒々とした木々が、山の肩を覆(おお)っていた。


 森の入口から、冷たい風が吹いてきた。棚田の冷たさとは違った。湿って、重くて、苔(こけ)と土の匂いがした。木々の奥は、夜明け前の空よりも暗かった。山の息が、森の奥から、ゆっくりと吐き出されていた。


 スズは、最後の石垣の上で、振り返った。


 棚田が、下へ広がっていた。焦げた上の三段と、冷えた下の段。石の箱が、段ごとに並んでいた。その下に、岩の斜面。草の海。杉の森。


 里は、見えなかった。夜明け前の霧が、麓(ふもと)を覆っていた。霧の上に、火封山(かふうざん)の肩だけが、黒く浮いていた。東の空の端が、灰を溶かしたような色に変わりはじめていた。


「楽になったろう」


 ナルカが、隣に立っていた。


 スズは、答えなかった。


「一度やれば、二度目は迷わん」


 ナルカは、暗い森のほうを見ていた。


「弟も、妹も、一度目は泣いた。二度目は、泣かなかった。三度目には、斬る前から勘定をしていた」


 ナルカは、少し黙った。


「それで長く持った者もいる。持たなかった者もいる。どちらにしても、楽にはなった」


「次は、楽になる」


 責める声ではなかった。慰める声でもなかった。弟や妹にも、同じ声で言ったのだろうと、スズは思った。


 ナルカは、それだけ言うと、暗い森の中へ先に入っていった。白い衣が、木々のあいだに、すぐ見えなくなった。雷の匂いだけが、しばらく残っていた。


 スズは、剣を背から下ろした。わずかに抜いた。


 五つの顔が、曇った刀身の中に並んでいた。マチは、刀身の奥を叩いていた。ニギは、姉の指を握っていた。アユとホリは、身を寄せて、眠ったふりをしていた。


「じいちゃん、ぼくの手、なでてくれた」


 ホリが、目を閉じたまま、アユにささやいた。


「われた爪のとこ。いたくないか、って」


 アユは、うん、とだけ言った。


 姉は、顔を背けていた。


 スズは、刀身に、指を当てた。冷たい鋼だった。姉の頬(ほお)のあるところに、指先が触れた。


 姉は、振り向かなかった。


 とん、とん。


 マチが、何もないところを、叩き続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。