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つむぎさんと休日

 午前五時三十分。


 アラームが鳴る一秒前に、相馬奏士は目を覚ました。


「よし、勝った」


『誰に?』


「アラームに」


『毎回思うけど、その勝負に意味ある?』


「ある」


『ないと思うなぁ』


 AIナビィに突っ込まれる。


 奏士の朝は早い。


 ランニング五キロ。


 シャワー七分。


 朝食四分。


 読書三十分。


 無駄のない一日のスタート。


 肩には相変わらず、下手な猫のステッカー。


 もはやスーツの一部みたいになっていた。


 近所の川沿いを走りながら、奏士は腕時計を確認する。


「一キロ四分五十二秒。悪くない」


『いいペースだね』


「呼吸も安定している」


『猫も安定してるよ』


「猫?」


 視線を落とすと。


「あ、オジィー!」


「うわっ!」


 ベンチの上からつむぎがひょこっと顔を出した。


 その隣には例の茶トラ。


「何してんだ!」


「猫ちゃんと朝のお散歩!」


「猫は散歩するのか?」


「気分で」


「適当だな!」


「オジィ、走るの速いねー」


「トレーニングだからな」


「じゃあ、猫ちゃんも応援する?」


「いや、別に」


 茶トラが「にゃー」と鳴いた。


「ほら、頑張れって」


「翻訳するな!」


『応援団増えたね』


「増えてない!」


 結局、猫に見送られながらランニングを終えた。



 午後。


 奏士は市立図書館に来ていた。


 経営戦略、認知科学、材料工学。


 三冊を机に積み上げる。


「今日は二時間でインプットを終える」


『休憩は?』


「不要」


『集中力の低下を考慮すると効率悪いよ?』


「……三分休憩を挟む」


『素直でよろしい』


 ページをめくる音だけが静かに響く。


 そのとき。


「オジィ!」


「ぶっ!」


 思わず声が漏れた。


 目の前につむぎが立っていた。


「しーっ!」


 慌てて口を押さえる奏士。


「図書館だぞ!」


「ごめん」


 つむぎは小声になった。


「偶然だね」


「偶然すぎるだろ」


「わたし、本読みに来たの」


「……本?」


「うん」


「何を?」


 つむぎは一冊の絵本を見せた。


「『ねこのおひるね』」


「子供か」


「オジィは?」


「認知科学」


「にんち?」


「脳の仕組みだ」


「脳って疲れる?」


「疲れる」


「じゃあ、お昼寝の本読んだ方がいいよ」


「そんな単純じゃない」


 つむぎは隣の席にちょこんと座った。


 ぱらぱらと絵本をめくる。


 静かだ。


 不思議なくらい静か。


 奏士も再び本を開く。


 十五分後。


 ふと横を見ると。


「すぅ……」


「寝てる!」


 つむぎは机に突っ伏して眠っていた。


 腕の横には開きっぱなしの絵本。


「なんで寝るんだよ……」


『お昼寝の本、効果抜群だね』


「笑うな」


 奏士はため息をつき、自分の上着をそっとつむぎの肩に掛けた。


『優しいじゃん』


「冷房が強いからだ」


『うんうん』


「本当にそれだけだ」


『知ってる知ってる』


 一時間後。


「ん……」


 つむぎが目を覚ました。


「あれ?」


「起きたか」


「オジィの匂いする」


「人聞きの悪いこと言うな!」


「上着だ」


「気付け!」


 つむぎは上着をぎゅっと抱きしめて笑った。


「ありがと」


「風邪ひかれると面倒だからな」


「オジィって優しいね」


「違う」


「照れてる?」


「違う」


「赤い」


「暑いんだ!」


 つむぎはくすくす笑った。


「オジィ、いつも勉強してるよね」


「当たり前だ。知識は資産だからな」


「ふーん」


「なんだ」


「えらいなーって」


 ぽんぽん。


 また頭を撫でられた。


「だから子供扱いするな!」


「頑張ってる人は褒めないと」


「君、時々立場逆転するよな!」


 つむぎは楽しそうに笑う。


「じゃあ、わたしも頑張る」


「何を?」


「お昼寝」


「それ頑張ることか!?」


 静かな図書館で、奏士は慌てて声を潜めた。


「小声でツッコませるな!」


『奏士、図書館で一番騒がしい人になってるよ』


「誰のせいだ!」


『つむぎさんかな』


「断定するな!」


 帰り道。


 夕暮れの空を見上げながら、つむぎがぽつりと言った。


「オジィって、いつも先ばっかり見てるよね」


「未来のために今を使うのは当然だ」


「ふーん」


 つむぎは隣を歩きながら笑った。


「たまには今も見ないと、空きれいなの見逃しちゃうよ?」


「……」


 言い返そうとした。


 でも。


 夕焼けに染まった雲が、思ったより綺麗で。


 隣では、つむぎがのんびり歩いている。


 奏士は少しだけ歩く速度を落とした。


『珍しいね』


「なんだよ」


『今日は一分くらい、最適化をサボってる』


「……誤差だ」


『うん』


「誤差だ」


『その一分、悪くないと思うよ』


 最適化の鬼・相馬奏士。


 その完璧な一日のスケジュールには、最近、予定外の少女が自然と組み込まれるようになっていた。


 本人だけは、まだ気付いていなかった。

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