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つむぎさんと山の上の景色

 夏休み三日目。


 午前七時。


 相馬奏士はリュックの中身を確認していた。


 水。


 タオル。


 栄養補給ゼリー。


 携帯充電器。


 応急セット。


 虫除け。


「よし」


『完璧だね』


「近所の低山とはいえ、準備は重要だ」


『ところで』


「なんだ」


『なんで山登り?』


「知らん」


『知らん?』


「つむぎが行くと言った」


『珍しい』


「海よりマシだ」


『それはそうだけど』


 ピンポーン。


「あ、オジィ!」


「おう」


 帽子を被ったつむぎが元気よく手を振る。


 足元には例の茶トラ。


「猫ちゃんは留守番!」


「猫を山に連れて行くつもりだったのか」


「うん!」


「やめろ」



 電車で二駅。


 近所の小さな山。


 標高三百メートルほど。


 登山道の入り口で、奏士は空を見上げた。


「なあ」


「ん?」


「山登りって非効率だと思わないか?」


「そう?」


「疲れる」


「うん」


「暑い」


「うん」


「景色なら写真で見られる」


「うん」


「だったら」


「でも」


 つむぎはにこっと笑った。


「そこに山があるから!」


「雑!」


「だめ?」


「いや」


「登ろ!」


「まあいい」


『奏士、楽しそうだね』


「暑い」


『否定になってない』



 登り始めて三十分。


「ふぅ……」


「オジィ、大丈夫?」


「誰がオジィだ」


「休む?」


「不要だ」


 五分後。


「……休憩する」


「無理しちゃだめだよ」


「暑いだけだ」


『負けず嫌い』


 木漏れ日の中。


 二人はベンチに座った。


 つむぎは水筒を差し出す。


「飲む?」


「ある」


「じゃあ乾杯!」


「水で?」


「水で!」


 ごくごく。


 蝉の声。


 風の音。


 遠くで鳥の鳴く声。


 奏士は汗を拭いた。


「静かだな」


「うん」


「悪くない」


「うん!」


 また歩く。


 つむぎは道端の花を見つけては立ち止まり。


 蝶々を見つけては立ち止まり。


 猫みたいな雲を見つけては立ち止まる。


「遅い」


「楽しい!」


「寄り道ばっかりだ」


「オジィ、急いでる?」


「いや」


「じゃあいいじゃん」


『最近、その言葉に弱いよね』


「うるさい」



 一時間後。


「着いたー!」


 頂上だった。


 眼下に広がる街並み。


 遠くの川。


 青い空。


 白い雲。


 風が気持ちいい。


「……」


 奏士はしばらく言葉を失った。


「すごいでしょ?」


「ああ」


「ね?」


「写真で見ても、これは分からんな」


「うん!」


 つむぎはベンチに座り、足をぶらぶらさせる。


「オジィ」


「なんだ」


「山って好き?」


「別に」


「ふーん」


「ただ」


「ただ?」


「こういう景色は嫌いじゃない」


「えへへ」


『奏士』


「なんだ」


『笑ってるよ』


「暑いからだ」


『便利な言葉だね』


 持ってきたおにぎりを食べる。


 風が吹く。


 遠くで子供たちの声。


 のんびりした時間。


「なあ」


「ん?」


「君、なんで山に登りたかったんだ?」


「んー」


 つむぎは空を見上げた。


「なんかね」


「うん」


「高いところから見ると、小さいことどうでもよくなるから」


「小さいこと?」


「うん」


「悩みとか?」


「うん!」


「あるのか」


「あるよ?」


「そうか」


「オジィは?」


「ない」


「嘘」


「ない」


「嘘」


『嘘だね』


「うるさい」


 つむぎは笑った。


「でも今日は楽しかった」


「そうだな」


「また登ろうね!」


「たまにな」


「今度はもっと高い山!」


「勘弁しろ」


「えー」


 風が吹く。


 空が広い。


 遠くにいつもの街が見える。


 何も変わっていない。


 でも。


 少しだけ違って見えた。


『どうだった?』


「非効率だ」


『うん』


「疲れる」


『うん』


「暑い」


『うん』


「でも」


『うん』


「頂上の景色は、いいものだな」


『知ってた』


 最適化の鬼・相馬奏士。


 今日もまた。


 予定表には書いていなかった寄り道の先で。


 思ったより悪くない景色に出会っていた。

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