つむぎさんと夏休みの予定表
八月中旬。
会社の夏季休暇初日。
午前六時。
相馬奏士は机に向かっていた。
「よし」
『気合い入ってるね』
「九連休だ」
『世間では『やったー!』って言うところだよ』
「貴重な自己投資期間だ」
ノートには綿密な予定が並んでいる。
一日目、読書。
二日目、ランニング強化。
三日目、資格勉強。
四日目、部屋の整理。
五日目……
『なんか仕事してる時と変わらないね』
「休暇とは自由に最適化することだ」
『つまんなそう』
「楽しいぞ」
ピンポーン。
『来た』
「あ、オジィ!」
つむぎだった。
「夏休みー!」
「僕もだ」
「やったね!」
「別にやったではない」
『顔はちょっと嬉しそう』
「うるさい」
◇
夕方。
廊下で茶トラを挟んで座る二人。
「そういえば」
「ん?」
「君、夏休みなのか?」
「うん?」
「大学生なら夏休みだろ」
「ふふ」
「何だ」
「どうだろ」
「どうだろって」
「オジィは?」
「会社員だ。九連休」
「いいねぇ」
「君は?」
「夏休み!」
「だから学生か?」
「さぁ?」
「仕事は?」
「内緒」
「……」
『また始まった』
「年齢は?」
「内緒」
「大学は?」
「秘密」
「友達は?」
「いっぱいいる」
「それは知ってる」
「猫ちゃんも」
「それも知ってる」
『進展ゼロ』
「なあ、本当に何者なんだ」
「つむぎ!」
「答えになってない!」
つむぎは笑うだけだった。
◇
「オジィ、どっか行く?」
「行く?」
「うん!」
「考えてはいる」
「どこ?」
「山」
「いいね!」
「図書館」
「うん!」
「美術館」
「うん!」
「海」
「やだ」
「ん?」
「海はやだ」
即答だった。
「嫌いなのか?」
「うん」
「泳げない?」
「ううん」
「じゃあ日焼け?」
「ううん」
「人混み?」
「ううん」
「なんで」
「やだ」
「理由は?」
「やだ」
つむぎは珍しく視線を逸らした。
「そうか」
「ごめんね」
「謝ることじゃない」
茶トラを撫でる手も少しゆっくりになっている。
『珍しいね』
「……ああ」
『聞かないの?』
「嫌ならいい」
『優しいじゃん』
「そういうものだろ」
『ふーん』
しばらくして。
つむぎはいつもの調子に戻った。
「山行こう!」
「いきなりだな」
「猫ちゃんも!」
「猫は連れていかん」
「川!」
「ありだな」
「かき氷!」
「まあ」
「スイカ!」
「まあ」
「海!」
「嫌なんだろ」
「うん!」
「なんなんだ!」
つむぎは楽しそうに笑った。
でも。
海という言葉が出た時だけ。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
笑顔の奥が遠くなった気がした。
「オジィ」
「なんだ」
「夏休み、楽しもうね」
「計画通りにな」
「計画通りじゃなくても!」
「それが怖いんだ」
「えへへ」
つむぎは立ち上がった。
「また明日!」
「おう」
『奏士』
「なんだ」
『気付いた?』
「ああ」
『海』
「嫌いなんだろ」
『理由、気にならない?』
「気になる」
『聞かないの?』
「……今はな」
『そう』
「話したくなったら話すだろ」
『うん』
最適化の鬼・相馬奏士。
つむぎのことは相変わらずよく分からない。
大学生なのか。
社会人なのか。
夏休みなのか。
そもそも何者なのか。
分からないことばかりだ。
ただ一つ分かったのは。
「海に行こう」
その一言だけは。
つむぎが珍しく、頑なに笑って断ることだった。




