表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

第3話 正しさの代償

玄関のドアが閉まる音がした。


低く、重い音だった。


少し遅れて、足音が戻ってくる。


規則的じゃない。


さっきまでとは違う。


俺は顔を上げた。


父の顔が変わっていた。


追い詰められた顔じゃない。


もっと単純なものだ。


怯え。


「……どうした」


俺は言った。


父は視線を合わせない。


机を見るでもなく。


床を見るでもなく。


どこも見ていない。


「……訴えるそうだ」


短い。


だが、十分だ。


「誰が」


「相手の夫だ」


「内容は」


「名誉毀損と……業務妨害」


そこで、空気が止まる。


ほんの一瞬。


だが、確実に。


俺は机のスマホに視線を落とした。


「理由は」


「記事だ」


父が画面を見せる。


ローカルのニュースサイト。


さっきの続き。


追記がされている。


“関係者によると、内部資料が外部に流出した可能性がある”


曖昧な書き方。


だが意味は明確だ。


内側の情報が出ている。


「……早いな」


想定より早い。


だが、まだ処理できる。


そう判断した瞬間。


「違います」


声が入った。


全員の視線が動く。


真白だった。


立ったまま。


動かない。


「それ、私です」


静かな声。


だが、逃げない。


父の口が開いたまま止まる。


叔父も動かない。


俺は少しだけ目を細めた。


「どういう意味だ」


「送ったんです」


真白は言う。


「証拠を」


沈黙。


重い。


逃げ場がない沈黙だ。


「どこに」


「記者に」


言い切る。


間がない。


迷いがない。


「なぜだ」


「必要だったからです」


真白は答える。


「隠しても意味がありません。事実は出るべきです」


父の手が机に落ちる。


強い音。


「何をしてるかわかってるのか!」


「わかっています」


即答。


だが違う。


理解じゃない。


確信だ。


「結果を見ろ」


俺は言った。


「訴訟だ」


「それでもです」


「会社はどうなる」


「関係ありません」


父の顔が歪む。


初めて、感情が崩れる。


「関係ある!」


声が出る。


抑えきれていない。


「俺の仕事だぞ!」


「ですが」


「ですがじゃない!」


もう一度、机を叩く。


紙がずれる。


通帳が少しずれる。


一直線だったものが、崩れる。


それだけで十分だ。


俺はそれを見てから言った。


「順番が違う」


真白が顔を上げる。


視線がぶつかる。


「違いません」


はっきり言う。


揺れているのに、言い切る。


「隠す方が間違っています」


「そうかもな」


否定しない。


意味がないからだ。


「だが壊れた」


静かに言う。


断定する。


真白の呼吸が止まる。


「……私は」


声が小さくなる。


「正しいことをしただけです」


「知ってる」


俺は言う。


「だから壊れた」


沈黙。


言葉が、入っている。


理解じゃない。


届いている。


真白の視線が落ちる。


机。


通帳。


印鑑。


領収書。


自分が並べたもの。


さっきまで“証明”だったもの。


今は“原因”だ。


同じ事実なのに。


意味が変わっている。


父のスマホが震える。


着信。


表示を見る。


顔が固まる。


「……弁護士だ」


出ない。


だが、切らない。


震え続ける。


鳴り続ける。


逃げ場を潰す音だ。


「出ろ」


俺は言った。


父は迷う。


一瞬だけ。


その一瞬で、人間は壊れるか残るかが決まる。


通話ボタンを押す。


「……はい」


相手の声は聞こえない。


だが、顔は変わる。


一段階。


さらに一段階。


「……いえ」


「……それは」


「……今は」


言葉が繋がらない。


通話が切れる。


父はそのまま、ゆっくり座る。


力が抜ける。


「……正式に来るそうだ」


確定。


戻らない。


真白は動かない。


立ったまま。


何もしていない。


ただ見ている。


父を。


机を。


自分の手を。


「戻せ」


俺は言った。


真白が顔を上げる。


「……何を」


「順番だ」


「どうやって」


俺はスマホを指す。


「同じことをやる」


沈黙。


理解している。


だから動けない。


「……同じこと」


「そうだ」


俺は言う。


「出したなら、出し返す」


「……嘘を?」


少しだけ間を置く。


ここは間違えると壊れる。


「事実の並べ方だ」


それだけ。


だが、それが全部だ。


真白は動かない。


視線も、手も。


止まっている。


選んでいる。


ここで決まる。


壊れるか。


使うか。


父のスマホがもう一度鳴る。


今度は通知音。


短い。


冷たい音だ。


メール。


父が開く。


顔が変わる。


今度ははっきりと。


「……来た」


「何が」


叔父が言う。


「会社からだ」


父は言う。


「……謹慎だ」


静かになる。


音が消える。


一つ、失った。


確定した。


戻らない。


真白は動かない。


だが、目が違う。


さっきまでまっすぐだった。


今は、揺れている。


いい。


やっとだ。


俺は何も言わない。


もう十分だ。


ここからは、選ぶ時間だ。


真白はゆっくりとスマホを取り出した。


画面を見る。


指が止まる。


ほんの一瞬。


それから、動く。


何かを打ち始める。


誰にも見せない角度で。


いい。


それでいい。


俺はそれを見ていた。


選んだ。


何を選んだかは、まだわからない。


だが、それでいい。


外はもう動いている。


中も動いた。


止まらない。


一度並べ替えた真実は。


元には戻らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ