第四章 【隣人】 3.
『こちら側』への連絡方法は、繰り返しスピーカーを通して流されていた。付随する通信機は、直で首相専用回線に繋がる。
「ですが通信機越しでは、私には相手の意識に働き掛けることはできません」
そこで『隣人』は、通信機上で指を叩く音を聞かせ、その回数で『はい』、『いいえ』を伝える方法をとった。
「秘密裏に境界線上までいらしたのは当時の首相と、副首相だった貴方のお父上でした。その後、首相とは波長がよく合わなかったこともあり、私との連絡役はお父上になりました」
頭から聞える『隣人』の声からは、当時を懐かしむような響きを感じた。
「こちらの話を聞いたお父上は、『国を揺るがす問題なので公表はできないが、絶対に止めさせる』と言って下さったのですが……」
『隣人』は目を見開き、オレへ向き直った。
「茅野少佐、お父上は『隣人』にとても興味をお持ちでした」
知っている。今では、この興味が悲劇へつながったのだということも。
「この問題が解決した後も、話し合って行きたいと言われ、それは私にも利益のある提案に思えました。――重くは考えませんでした。理解し合えないようなら、そこまでだと考えました」
是非もない。何千年も存在してきて、たかだか百年も生きられない種族を対等に思えとは言えない。
『隣人』の眠りを妨げた時点で、滅ぼされなかっただけマシだ。
理性はそう告げている。だが、どこかで、感情が投げやりにぼやく。
『こいつのせいでオレの家族と、故郷は消えた』、のだと。
ネガティブな感傷を振り払うために、オレは軽く頭を振った。
『隣人』は少し首を反らし、目を細めて山の方角を見つめた。
「六年前のあの日も、ちょうどこんな景色を眺めながら話をしました。山のよく見えるこの土地のほうが、首府よりも私が存在するのは楽です。そう告げるとお父上は、引退したらここに住むので、いつでもいらしてくださいと言ってくれました」
自分が何度か訪れると、その場所には『境界線』内からの糸が結ばれるのだと、『隣人』は、ぽつっと言った。
「糸、ですか?」
「道というほどはっきりしたものではないのですか、時間や距離が縮まります。何か印のようなものができるのでしょう。そして、その糸の上には、仲間の死骸が集まりやすくなります」
守ろうとしてくれているのかもしれません。つぶやく『隣人』の顔から評定らしきものは一切消えていた。
「……私は、元々意識だけの存在です。爆弾が仕掛けられこの体に危険が迫っても、抜け出せばいいだけです。しかし、石や木に取り込まれた仲間の死骸は、そう簡単にはいきません。彼らは自然に消える――星と同化するのを無上の喜びとする、ことと同じ強さで、外からの圧力によりいきなり消滅することには、激しい抵抗を示します」
初めは、何が起こったのか分かりませんでした――『隣人』の声は、目の前でなく、頭の中でなく、どこか遠い場所から響いてくるようだった。
「ふわっと、身体が浮いたような感覚があって、次に大地を踏んだと思った時には、私の周囲からは全てが……人間も、建物も、消えていました」
だが、遠くにある山の位置に変化はなかったので、自分が元の場所を動いていないということが分かる。
「入っていた体は崩れるように消えていきました。私はふらふらと漂いながら、混沌とした意識を立て直し始め……その頃になってようやく、人や物だけでなく、仲間の気配も消えていることに気付きました」
少しの沈黙の後「核融合をご存じですか?」と『隣人』は訊いた。
「以前、この星にいた民族が使っていたエネルギー源ですが、これが一番近い言葉だと思います」
オレは、痛くもないこめかみを押さえながら訊いた。
「……この場所で起こった現象にですか?」
『隣人』は、ゆっくりと頷いた。
「私たちには実体がないと初めに言いました。ですが、木や石や人には入り込むことができます。つまり、それは可視レベルにないだけで、『核』となるものがどこかにあるということになるのでしょう」
空気も目には見えないが、幾つかの元素で構成されている。
「此処で爆発したものが、何であるかは知りません。ですが、私たちの意識を作っている何らかの原子と結びついて、反応するような何かが在ったのだと思います」
核融合とは、単純に言えば二つの異なった原子が融合することだ。この星系にある太陽も、内部で核融合を繰り返し、この星に熱を供給し続けている。
そんな事例からも分かるように、とてつもなく大きなエネルギーを生む原子核反応だ。
『隣人』が、どんな元素記号で構成されているのかは分からない。だが、核融合が起きたのなら、それと反応する物質が爆薬の中にあったか、あるいは爆発で化学変化を起こした何かであったということだ。
「……待って下さい」
ここで初めて、綾部が口を開いた。
「村四つが吹き飛んで、その跡地に何も残らない。それが核爆発なら、詳細は不明にしても、残された現象としては理解できます。ですが核爆発には、この地で観測された高温、爆風の他に、放射能や強力な電磁波が発生するはずです。それらはいったい……」
「爆発したのも仲間なら、この星への被害を最小限に食い止めたのも仲間でしょう」
元々我らは、この星を守るためにいるのです――『隣人』は、悲しげにほほ笑んだ。
「用意された爆薬が、どれくらいあったのかは分かりません。事前に『爆破する』という意思を、察知できなかった事実から考えて、もしかすると爆発は予定になかったのかもしれません」
だが、爆発した場所に運悪く、逃げられない『隣人』の残骸があった。
「私の作った線上にある、石や木に宿った仲間でしょう――私のせいですね」
付け加えられた自嘲的なつぶやきを、オレははっとして否定した。
「違います。貴方がそれを言われるなら、全ては貴方を此処へ招いた、オレの父親の責任になります」
すぐに、申し訳ありません、という謝罪の言葉があった。だが再びオレが口を開くより先に、綾部の声が割って入った。
「お二人とも止めてください。元はといえば、石背の人体実験の結果じゃありませんか。爆弾だってそうです。そんなものを勝手に持ち込まれた側が、何で謝らなきゃならないんですか?」
静かな、だが明らかな怒りの表明に、『石背も一応こちら側だから、オレたちに責任がないとは言えない……』などとは言えず、オレは素直に「すまん」と頭を下げ、『隣人』も同意を示すように、ゆっくりと深く頷いた。
「仲間は爆弾に反応というより、突然の消滅に抵抗して、大爆発を引き起こしました。ですが、それを感じ取った、周囲にいた他の仲間が、この星への被害を食い止めようと、囲いを作ったんです」
――ちょうど、『境界線』のように。
笑えばいいのか、感心すればいいのか分からず、軽い虚脱状態となったオレに代わって、綾部が念を押すように尋ねた。
「これからも、起こる可能性のあるお話ですね?」
原理が解明されるまで避けようもない。『境界線』付近では、馬鹿な真似がますます不可能になったなと、ぼんやり考えていると『隣人』は微かに首を振った。
「死骸……残留していた仲間の思念を、現在はほとんど感じません。この分だと、遠からず『境界線』も消滅するでしょう」
目を見張ったオレを見て、『隣人』は笑った。
「貴方がたのお仲間の偽装に便乗して、今日こうして此処へ来たのは、一つは六年前の謝罪のため。もう一つは、『境界線』が消えることを告げるためです」
「消える……?」
「森の中へ入れるようになりますよ。その向こうの山へも。また、その向こうへも」
どうしますか?――と、抑揚のない声で、聞かれた気がした。
入れるというなら、人は入るだろう。だが、その先は……
「どこまでが許容範囲なのか、限界のラインがあれば……必ずしも守れるという訳ではないが……いや駄目だ。オレじゃ、何の約束もできない」
政府が、喉から手が出る程に欲しがっているのは、宇宙船の部品を作るための鉱物資源だ。こちら側では発見できなかった資源が、森の奥に眠っていたとしたら、開発に制限を掛けるのは難しい。
たとえ、それが己の身を滅ぼすと知っていても、だ。
「そうですか」
『隣人』の口元は微笑んだままだった。
「消えるとは言いましたが、それまでに、最低でも十年は掛かるでしょう」
思わずほっとした。だが、生きるスパンの違う『隣人』にしてみれば、そう長いことではないだろう。
少しの間、オレを――というより、オレの後ろにいる誰かを見るような目で見て、『隣人』は心持ち頭を下げた。
「その時に、有意義な話し合いができるといいですね」
そのまま、あっさりと立ち去ってしまいそうな『隣人』の態度に、オレは慌てて立ちあがった。
「ちょっと待って下さい! 十年も放置しないで話し合いましょう。オレとだけでなく、ウチの政府とも話して下さい」
「貴方とでなく?」
面白がっているように聞き返されたが、オレは頷いた。
「政治家だった父ならともかく、軍人のオレには国の方針に口を出す資格はありません。……ですが、ただ話したいことなら、オレにもたくさんあります。だいいち、礼もまだ言ってません」
「礼?」
「六年前、貴方の仲間のおかげで被害が余所へ広がらなかったことに対してです。たった今、貴方が教えてくれたんです」
彼らの守りがなければ、此処ら一帯どころか何十キロ先までも、軽く百年は死の街だったはずだ。
なのに『隣人』は、仲間を、それが残留思念だけだったとしても、失おうとしている。感情は分からないが、喪失感がないとは思えない。
斜め後ろにいた綾部が、すっと前に出て、オレと並んだ。
「本来なら、地殻変動や放射能汚染で、今こうして此処にいることも、叶わなかったでしょう。国を代表する立場ではありませんが、自分にも礼を言わせて下さい」
深々と頭を下げた綾部に合わせて、オレも頭を下げる。
「オレ個人からは、もう一つ礼を言わせて下さい」
オレは再び顔を上げて、底の見えない『隣人』の目を見つめた。おそらく目の機能が使われている訳ではないだろうが、彼らの言う『意識』に通じている気がした。
「父に会ってくれたことに、言葉では言い表せないほど感謝しています。たとえ、それが命とりだったとしても、貴方がたの実在を知って逝った父は、本望だったと思います」
他に、たくさんの犠牲者がいたのに言っていいことじゃない。
だが、父親が夢を叶えていたと知って嬉しかった。それだけで、何度も見た悪夢が、溶かされていくような気分になれた。
「必要のない痛みなんてない――そうです」
『隣人』が、此処へ現れた時に言った言葉を、もう一度口に出した。
それは、怖々ながらも、過去を振り返られるようになったオレにとっての、懐かしい言葉でもあった。
「貴方のお父上が、言っていた言葉です。これを聞いた時は『痛み』が、何であるのか曖昧でしたが、今は少しだけ分かります」
「オレも長い間、忘れていました」
まだ、この村が世界のすべてだった頃、木から飛び降りて腕を折ったことがある。腕を吊り半べそをかいて、縁側から山を見ていたオレに、隣に座って頭を撫ぜた父親が言った言葉だ。
遠い昔のことだが、おそらくもう忘れないだろう。
いつの間にか目の前に立っていた『隣人』に驚きはしたものの、こちらに伸ばされた手をオレは避けなかった。
「頭の痛みは、治まりましたか?」
こめかみに添えられた右手は、ひんやりとした感触だった。冷たい金属を当てられているようで、無意識に想像していたような不快感はなかった。
「おかげさまで……昨日、お会いしましたよね?」
手を通して、笑いの波動が伝わってくる。
昨日、会場の一階で、煙の中に見た親父はこの人だろう。あの時も、オレに何かを伝えようとしていたのかもしれない。
手は触れた時と同じように、ゆっくりと離れていき、相手からの答はなかったが、オレは続けた。
「殴られたせいで、あの後は頭痛がひどかった。でも今日はちっとも痛まない。何を思い出しても……」
案外、殴られて治ったのかも知れません――と、軽口を叩いたが、『隣人』が『意識』を操るというなら、もしかしたら、とも思う。
だが『隣人』は、さらりと言った。
「貴方から、痛みが遠ざかったというなら、その痛みは、貴方にはもう必要ないということでしょう」
『隣人』は一度目を閉じ、再び開いた時には、口元に柔らかい笑みを浮かべていた。
「仲間も、貴方のお父上も失いましたが、この『痛み』が必要だったというなら、またお会いできるでしょう」
「是非。オレは親父ほど雄弁ではありませんが、話せることもあると思います」
今度は、オレから右手を差し出した。
合わせられた手は、やはり冷たかったが、どういう作用なのか柔らかい感触だった。
手が離れると、『隣人』はオレのほうを向いたまま、踵を返すことなしにその姿を消した。




