第七話
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翌日の放課後も、私立桜花学園の校内はいつものように賑やかな雰囲気に包まれていた。
窓の外には秋の夕暮れが広がりかけ、校舎の中には部活に向かう生徒たちの足音や話し声、そしてどこか遠くから聞こえてくる吹奏楽部の音色が響いている。
チャイムが鳴り終わり、放課後の解放感に浸りながら教室で自分の荷物を片付け、慌ただしく校舎の外へ出ると、昇降口の前に佇む明穂の姿が目に入った。
「志雄、お疲れ様」
「ああ、待たせたな」
相変わらず、こうして並んで一緒に帰るのが僕たちの日常であり、幼馴染としての変わらないルーティンだ。
だけど、休日にお出かけしたあの日から、隣を歩く明穂との距離がほんの少しだけ近く感じられるようになった。
気のせいかもしれないけれど、並んで歩く肩と肩が、時々ふわりと触れそうになる。
そのたびに、なんだか変に緊張してしまって、僕は余計に前を向いたまま無口になってしまうのだった。
「ねえ、志雄」
前を歩いていた明穂が、ふと足を止めてくるりと振り返った。
夕暮れ前のオレンジ色の光を浴びながら、彼女は少しだけ首をかしげて僕の顔を覗き込んでくる。
「ん、どうした?」
「週末さ、また図書館行かない? 一緒にテスト勉強しようって約束したの、覚えてる?」
「あ、テスト前か……。そういえば、もうすぐ中間テストだな」
すっかり忘れていたわけじゃないけれど、カレンダーの日付を脳内で確認して思わず現実逃避したくなる。
「そうだよ。志雄、最近は部活の遠征とかもあるし、あんまり家で勉強してないでしょ?」
明穂が呆れたような、でもどこか嬉しそうな、ちょっとからかうような顔をして僕に近づいてきた。
「うるさいな、ちゃんと家でも予習くらいはやってるっての」
「ほんとに? じゃあさ、今度の土曜日、私の家で一緒に勉強しようよ。お母さんも、志雄が来るなら美味しいお昼ご飯作るって言ってたし」
「おばさんが……? それはちょっと、かなり魅力的だな」
「でしょ? じゃあ、これで決まりね!」
明穂は満足そうにふっと微笑むと、またトコトコと楽しそうに歩き始めた。
その後ろ姿を見送りながら、僕は自分の胸の内で小さく息をつく。
明穂の家での勉強会。小さい頃から何度も行っている場所なのに、なぜか今回は少しだけ胸の奥がざわつくのだった。
思い返せば、これまでの僕たちはいつもこんなふうに当たり前のように時間を共有してきた。
どちらかの家で宿題をやり、どちらかの部屋でおやつを食べ、テスト前になればこうして分からないところを教え合ってきた。
なのに、どうして最近になって急に、彼女の存在がこんなにも大きく意識されてしまうのだろうか。
隣を歩く彼女の横顔を盗み見るたびに、胸の奥を締め付けられるような、甘くて苦い感覚がこみ上げてくる。
「どうかしたの、志雄?」
「いや、何でもない。……足元危ないから、ちゃん前見て歩けよ」
「もう、子供扱いしないでよね。私だって高校生なんだから」
そう言って少しだけ頬を膨らませる明穂の表情すら、今の僕には妙に眩しすぎて、直視していると変な動悸がしてくるのだった。
◇
そのまま迎えた次の日の昼休み。
教室の自分の席で購買のパンを食べていると、いつものメンバーがぞろぞろと集まってきて机の周りを囲んだ。
「へえ、今週末は明穂ちゃんの家で勉強会ねえ」
蓮斗がニヤニヤとした笑みを浮かべながら、面白そうにこっちを見る。
「勉強会だろ。別にそこに変な意味はないっての」
僕が即座に言い返すと、隣で皋月がフッと面白そうに鼻で笑った。
「あのさあ、志雄。女の子の家で二人きりで勉強って、それもう立派な一大イベントだからね?」
「イベントって……お互いの家は隣同士だし、小さい頃からしょっちゅう行き来してるだろ、普通に」
「昔は昔、今は高校生なんだよ! ちゃんと意識してるかしてないかの違いってあるでしょ!」
皋月がやけに熱を込めて力説してくる。
向かい側に座っている瑠偉も、腕を組んだままボソッと言った。
「志雄、そのうち足元ですくわれるぞ」
「お前ら、なんでそんなに僕のことをからかいたいんだよ……」
僕が頭を抱えていると、当の明穂は顔を真っ赤にしながら、お弁当の卵焼きをモグモグと食べていた。
「もう、みんな変なこと言わないの! ただのテスト勉強なんだから!」
明穂が慌てて否定するけれど、その耳まで真っ赤になっているのを見ると、余計に周りの冷やかしに拍車がかかるだけだった。
「はいはい、ただの勉強ねー」
蓮斗が面白そうに肩をすくめる。
本当に、このメンバーは油断も隙もない連中だ。
だけど、こうしてみんなにからかわれながらも、明穂と過ごすこの賑やかな空気は嫌いじゃなかった。
むしろ、こうやってみんなと一緒に笑い合える日常の中に、明穂という存在が今まで以上に特別に溶け込んでいるのを、最近の僕はひしひしと感じ始めていた。
「そういえばさ、今度の週末は買い出しとかも行くの?」
皋月が興味津々な様子で身を乗り出してきた。
「いや、買い出しは特に……あ、でもお昼の材料とか足りなかったら、一緒にスーパーくらいは行くかもな」
僕がそう答えると、蓮斗が「ほら、スーパーへの買い出しデート追加っと」などとノートに書き込むようなジェスチャーをする。
「書いてないだろ! デートじゃないっての!」
「本人たちがどう思っていようと、周りから見れば立派なデートイベントの王道ルートだからね!」
皋月が楽しそうに笑いながらツッコミを入れてくる。
そのやり取りを横目に、明穂は照れくさそうに俯きつつも、どこか嬉しそうな表情を隠しきれていない様子だった。
そんな彼女の姿を見ていると、僕の胸の中にも言いようのない気恥ずかしさと、どこか温かい期待感が入り混じっていくのを感じるのだった。
午後の授業が終わり、部活の時間になって剣道場へ向かう。
道場の中には竹刀がぶつかる乾いた音と、部員たちの気合の入った声が響き渡っている。
冷たい空気の中で竹刀を強く握りしめ、面を打つ瞬間に、ふと頭の中に明穂の笑顔がよぎった。
(いけない、しっかり集中しないと……)
雑念を振り払うように、僕は気合の声を上げて思い切り竹刀を振るった。
何度も素振りを繰り返し、汗だくになりながら稽古に打ち込む。
それでも、頭のどこかでは週末の勉強会のことがどうしても離れなかった。
こうして身体を動かしていれば余計な考えは消えると思っていたのに、最近の僕はすっかり調子が狂ってしまっているらしい。
顧問の先生からの厳しい指導を受けながらも、何とか今日のメニューをやり切り、僕は大きく息を吐き出しながら道場の床に座り込んだ。
そうして汗を流した部活が終わり、再び着替えて校舎を出ると、待っていたかのように明穂が昇降口の前に立っている。
「お疲れ様、志雄」
「おう、待たせたな」
帰り道の途中、夕暮れの空を見上げながら、明穂がふと言った。
「ねえ、志雄」
「ん?」
「今度の土曜日、分からないところはいっぱい教えてよね」
「ああ、任せとけ。数学でも英語でも付き合うからさ」
僕がそう答えると、明穂はパッと花が咲いたような笑顔を見せた。
週末の勉強会へ向けて、僕たちの胸の高鳴りは、少しずつ形を変え始めているのだった。




