第五話
日曜日の午前十一時。
秋晴れの空の下、待ち合わせ場所である駅前広場には、すでに心地よい休日の賑わいが満ちていた。
ロータリーの時計塔を見上げると、針はちょうど十時半を指したところだ。
(少し早く着きすぎたか......)
そう思いながら周囲を見回す。
今日はいつもの制服ではなく、白のパーカーに黒のジャケットという、動きやすさを重視しつつも少しだけ気を使った私服だった。
駅の改札から出てくる人波を眺めながら待っていると、ふと、少し離れた場所から視線を感じた気がした。
「――志雄?」
柔らかな声とともに、目の前にふわりと甘い香りが漂う。
顔を上げると、そこには見慣れない姿の明穂が立っていた。
いつもは学校の制服で隠れている雰囲気が、今日の私服によってまったく違って見えて、僕は思わず言葉を失う。
明るいキャメルカラーのロングコートに、上品なチェック柄のスカート。
首元には淡い色のマフラーがふんわりと巻かれていて、いつもの幼馴染というよりも、まるで雑誌から抜け出してきたモデルのような大人っぽさと可愛らしさが同居していた。
「......どうしたの? そんなにじっと見つめて。私、変かな......?」
僕が固まっているのを見て、明穂は少し不安そうに自分のコートの裾をキュッとつまんだ。
頬がうっすらとピンク色に染まっていて、その仕草はいつもの見慣れた明穂だった。
「いや、変じゃない......むしろ、その......似合ってるよ。すごく」
慌てて視線を逸らしながらそう答えると、明穂の顔が一気にパッと明るくなった。
「ほんと? よかったぁ。朝から、これで変だったらどうしようってずっとドキドキしてたんだから」
胸をなで下ろすように息をついた明穂は、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「私服で会うのも少し久しぶりだからな。びっくりしたんだよ。」
「ふふ、見惚れてたんだ。じゃあ、行こっか、志雄!」
自然に僕の腕に軽く触れるようにして並んで歩き出す明穂。
日曜日、二人きりの休日ショッピング。
いつもと違う服に身を包んだ明穂との時間は、こうして静かに幕を開けたのだった。
駅前の大通りを抜け、若者向けのショップが立ち並ぶエリアへと足を踏み入れる。
休日ということもあり、通りには家族連れやカップルの姿が目立った。
「ねえ、志雄。あそこのお店、最近新しくできたところなんだけど、可愛い服がたくさんあるって皋月ちゃんが言ってたの。ちょっと覗いてみてもいい?」
明穂が指差した先には、ガラス張りの明るいアパレルショップがあった。
「ああ、いいぞ。行こうか」
店内に足を踏み入れると、柔らかな照明の下に色とりどりの秋物や冬物の服が並んでいる。
明穂はハンガーに掛けられたニットやスカートを一枚一枚丁寧に手に取り、楽しそうに生地の感触を確かめていた。
「ねえ志雄、これとこれ、どっちが私に似合うと思う?」
明穂は淡いピンク色のセーターと、落ち着いたボルドー色のカーディガンを両手に持って僕に見せてきた。
「え......っと、どっちも似合いそうだけど......」
「もう、適当に答えてない? ちゃんと考えてよ」
「いや、本当にどっちも似合うだろ。明穂は顔立ちが華やかだから、こういう落ち着いた色も明るい色も映えるし」
思ったままをそのまま口にすると、明穂は驚いたように目をパチクリさせ、やがて顔を真っ赤にして俯いた。
「......っ、急にそんな真っ直ぐ褒めないでよ。びっくりするじゃない」
「な、なんだよ。事実を言っただけだろ」
「もう......。でも、志雄がそう言ってくれるなら、このボルドーの方にしようかな」
明穂は照れくさそうにはにかみながら、選んだ服を大切そうに抱え直した。
その横顔を見つめながら、僕は自分の心臓が少しだけ早鐘を打っているのを感じていた。
ただの幼馴染との買い物なのに、どうしてこうも一挙一動に心がざわつくのか。
頭の中の「家族のような存在」という定義が、目の前の明穂の輝きによって少しずつ音を立てて崩れていくのを感じる。
試着を終えた明穂が、レジでの会計を済ませてふんわりとした笑顔で戻ってくる。
「お待たせ! 志雄、付き合ってくれてありがとうね」
「いや、いいさ。荷物、持つよ」
「ううん、これくらい軽いから大丈夫! ......それよりもさ、せっかくここまで来たんだし、もう少しだけ別のフロアも見ていってもいい?」
「ああ、時間ならいくらでもあるし、付き合うよ」
そう答えると、明穂はパッと花が咲いたような笑顔を見せた。
ショッピングモールのエスカレーターに乗り、上の階へと上がっていく。
休日の午後の館内は人で賑わい、すれ違う人々の話し声や軽快なBGMが流れている。
少し前を歩く明穂のロングコートの裾がひらりと揺れ、その度にシャンプーの甘い香りがほのかに鼻腔をくすぐった。
(......こうして見ると、やっぱり大人っぽくなったよな)
昔は、近所の公園で泥だらけになって走り回っていた記憶しかない。
背が伸び、髪が伸び、身につける洋服や持ち物もすっかり垢抜けて、今では周囲の目を惹くような女の子になっている。
それを「幼馴染だから」という言葉で片付けようとしても、目の前の現実は容赦なく「一人の異性」として僕の意識を揺さぶってくる。
「ねえ、志雄。ここ、雑貨屋さんだって。ちょっと入ってみよ?」
明穂に促されるまま、僕たちは可愛らしい小物が並ぶ雑貨店へと足を踏み入れた。
店内には、アロマキャンドルやおしゃれなマグカップ、これからの季節にぴったりの手袋やマフラーなどが所狭しと並んでいる。
「うわあ、このマグカップすごく可愛い......。ねえ、志雄、これ見てよ」
明穂が手に取ったのは、シンプルな北欧風の白いマグカップだった。
上品な木目の持ち手がついた、ペアでも使えそうなデザインだ。
「本当だな、おしゃれなデザインだ」
「うん。こういうの、お部屋に置いてあったらティータイムが楽しくなりそうじゃない?」
明穂は嬉しそうにカップを両手で包み込み、ふふっと楽しげに笑う。
その柔らかな横顔を見ていると、なぜか胸の奥がキュッと締め付けられるような、こそばゆい感覚が広がった。
「......明穂ってさ、昔からこういう雑貨好きだよな。小学生の頃の工作とかも、やけに凝ってたし」
「えっ、覚えてるのそんなこと? でもそうかも。小学校の時の家庭科の授業で作った小物入れとか、今でも大切に部屋の机の引き出しに入れてるよ」
「まじか。」
「まじかって何よ! 私が一生懸命作ったんだよ? 志雄だって、あの時一緒に作った木彫りの謎の動物、まだ持ってたでしょ?この前部屋行った時見たもん!」
「うっ......それは、その......」
図星を突かれた僕は、思わず目を泳がせてしまった。
明穂はクスクスと楽しそうに笑いながら、少しだけ距離を詰めて僕の腕に自分の袖を軽く引っ掛けた。
「ふふっ、昔から変わらないよね、私たちって」
「そうだな......」
変わらない、はずなのに。
言葉ではそう肯定しながらも、今こうして肌が触れ合うほどの距離にいる明穂の体温や、向けられる視線の熱さに、僕の心臓はさっきからずっと落ち着きを失っていた。
雑貨店をあとにした僕たちは、少し歩き疲れたこともあり、モール内にあるオープンカフェのテラス席へと腰を下ろした。
秋の心地よい風が吹き抜けるオープンスペースで、僕はアイスコーヒーを、明穂はあたたかいカフェラテを注文した。
「ふう、けっこう歩いたね。でも、すごく楽しかった!」
明穂はカップに両手を添え、満足そうに息をついた。
「お目当ての服も買えたしよかったな。荷物、重くないか?」
「うん、全然平気! それに、志雄と一緒にこうやってお出かけするの、何だか久しぶりだから嬉しいな」
「......そうか?」
「そうだよ。最近は志雄も剣道部で忙しかったし、私も家でゴロゴロしてたりしたから、こうやって休日を一緒に過ごすの、新鮮っていうか......やっぱり落ち着くっていうかさ」
照れくさそうに言葉を濁しながらも、まっすぐな瞳で僕を見つめてくる明穂。
その視線から逃げるように、僕はアイスコーヒーのストローに口をつけた。
冷たい液体が喉を通っていくが、高鳴った胸の鼓動は一向におさまらない。
「......あのさ、明穂」
「ん? なあに、志雄?」
「その......なんだ。こうやって出かけるの、別に嫌じゃないから。その、また付き合うし......」
言い淀みながらも精一杯の言葉を紡ぎ出すと、明穂は一瞬目を丸くし、次の瞬間、見たこともないほど満面の笑みを咲かせた。
「うん! 約束ね、志雄!」
その眩しすぎるほどの笑顔を目の当たりにして、僕はようやく自覚し始めていた。
これは、ただの幼馴染との日常の延長なんかじゃない。
僕の中で、明穂という存在の色合いが、音を立てて変わり始めているのだということを。
夕暮れ時が近づき、オレンジ色の光が街全体を優しく包み込む中、僕たちは並んで帰路についた。




