第四話
金曜日の放課後、校舎の道場から乾いた竹刀の交わる音が響いていた。
「面あり! 勝負あり」
顧問の先生の声が響き、稽古が一段落する。
僕は竹刀を収め、面を外して大きく息を吐き出した。
額から流れる汗をタオルで拭いながら道場の壁際に座り込むと、隣に腰かけた部員が「お疲れ、志雄」と声をかけてきた。
「お疲れ。今日の稽古、いつもより熱が入ってたな」
「志雄の打ち込みが厳しかったからだよ。……あ、そういえば今日も待たせてるんだろ?」
部員が道場の入り口付近を顎でしゃくった。
視線を向けると、道場の外にある見学用のベンチに明穂が座っていた。
膝の上にカバンを置き、静かに文庫本を読んでいる。
稽古の邪魔にならないよう少し離れた場所で待っている姿に、胸のあたりが少しだけ温かくなる。
「ああ、いつも通りな」
僕は立ち上がり、片付けを済ませて道場を出た。
「明穂、待たせたな」
声をかけると、明穂はパッと顔を上げて本を閉じた。
「ううん、全然。稽古、すごくかっこよかったよ」
「見てたのか?」
「うん、最後の面、すごく早くて見とれちゃった」
明穂はそう言って、立ち上がりながら僕の着替え袋を手にとろうとする。
「いいよ、汗かいてるし重いから自分で持つ」
「これくらい大丈夫なのに。じゃあ、道着畳むのだけ手伝わせて」
断るスキを与えず、明穂は僕の道着を手際よく畳み始めた。
手慣れた動作に、なんだか気恥ずかしさを覚えながら、僕は汗を拭った。
二人で校門を出ると、すでに秋の日は沈みかけており、街灯が少しずつ灯り始めていた。
「志雄、明日の土曜日、何か予定あるの?」
並んで歩きながら、明穂がふと尋ねてきた。
「明日は午前中に遠征の稽古があるけど、午後は空いてるよ。しかも、日曜日は休みなんだよな。」
「ほんと? じゃあさ、日曜日……買い物付き合ってくれないかな」
明穂は少しだけ歩幅を狭め、チラリと僕の顔を伺うように見てきた。
「買い物? 何か買うものあるのか」
「うん、秋物の服が見たくて。皋月ちゃんにも相談したんだけど、『志雄に見てもらった方が絶対いいよ』って言われて」
「皋月が……? 僕に服のセンスなんて期待しても意味ないと思うけどな」
「そんなことないよ。志雄が『似合ってる』って言ってくれた服、私すごく好きなんだから」
まっすぐな瞳でそう言われ、言葉に詰まる。
明穂は気づいていないのかもしれないが、そういう言葉を当たり前のように口にされると、最近はどうにも調子が狂う。
「……まあ、いいけど。日曜日なら付き合えるよ」
「やった! じゃあ、日曜の11時に駅前集合ね。約束だよ」
嬉しそうに笑う明穂の表情を見て、断らなくてよかったと思う自分もいた。
◆
翌日の土曜日。
午前中の遠征稽古を終え、家に帰ってシャワーを浴びた僕は、部屋のベッドに寝転がっていた。
稽古の疲れで少し体が重いが、頭の中は明日の予定のことでいっぱいだった。
ただの買い物だ。小さい頃から何度も二人で出かけたことがある。
なのに、どこか落ち着かない。
スマホを取り出すと、タイミングよくグループLINEに通知が入った。
蓮斗:『志雄、今日の稽古お疲れ。明日の予定、明穂ちゃんから聞いたぞ』
皋月:『私も聞いたー!デートでしょ!楽しみだね!』
瑠偉:『皋月、落ち着け。志雄がビビる』
僕:『デートじゃない。ただの買い物だ』
明穂:『そーだよ!また志雄のこといじめてるし!』
蓮斗:『二人きりで休日に出かけるのを世間ではデートと言うんだよ。いい加減自覚しなさい』
皋月:『明穂ちゃん、すごく気合入れて服選ぶと思うよ!ちゃんと褒めてあげなきゃダメだよ!』
画面を見つめながら、僕は小さく溜め息をついた。
あいつらはいつもそうだ。僕と明穂の関係をすぐにそっちの方向に持っていこうとする。
『明穂はただの幼馴染だから』
そう打ち込もうとして、指が止まった。
昨日、道場で僕を待っていた明穂の姿や、カフェで嬉しそうにパンケーキを食べていた笑顔が頭をよぎる。
(ただの幼馴染……か)
自分自身に問いかけるように呟いてみるが、以前のようにすっきりと納得がいかない。
妹のような存在。家族と同じ。
そう思おうとすればするほど、胸の奥で小さな抵抗が生まれるのを感じていた。
スマホを置き、天井を見上げる。
明日の11時。
どんな顔をして明穂に会えばいいのか、急に分からなくなったような気がした。




