# 第9話 においますにゃん
# 第9話 においますにゃん
霧の街は、朝から夜みたいだ。
「ご主人様ー、拾ってきましたにゃん!」
事務所の扉が、勢いよく開いた。
「……なんだ、それは」
「ボタンですにゃん!」
「聞いていない」
「あと、これと、これと、これですにゃん」
机の上に、並べた。
ボタン。マッチ。髪どめ。ちいさい鍵。あと、なぜか、栗。
「栗は」
「おいしそうでしたにゃん」
「捨てろ」
「やですにゃん」
ミミは、この探偵事務所の助手だ。
鼻がよくて、耳がよくて、現場でいろいろ拾ってくる。
ご主人様は、椅子から動かない。
ミミの報告だけで、事件を解いてしまう。
「依頼は、香水だ」
「こうすい」
「盗まれた。持ち主は、名を出したがらない」
「どんな香水ですにゃん」
「……『魅了』という」
「みりょう」
「嗅いだ者は、正気を失うそうだ」
「うそですにゃん」
「おれも、そう思う」
◇
三日で、見つかった。
ミミの鼻が、街のはしまで追いかけた。
「こっちですにゃん! こっちですにゃん!」
「走るな」
「においますにゃん! すごく、においますにゃん!」
「鼻を近づけるな」
「はいですにゃん」
近づけていた。
犯人は、質屋の裏にいた。
ミミが飛びかかって、押し倒して、上に座った。
「つかまえましたにゃん!」
「……重い」
「重くないですにゃん!」
「立て」
「もうちょっとですにゃん」
「なんのだ」
「……たのしいですにゃん」
「立て」
瓶は、無事だった。
事務所に戻って、机に置いた。
置いた、つもりだった。
尻尾が、当たった。
落ちた。
割れた。
「…………」
「…………」
「にゃ」
◇
匂いが、部屋に広がった。
甘い。重い。花じゃない。もっと、近い匂い。
「ご主人様、窓を」
「……ミミ」
「はいですにゃん」
「顔が、赤い」
「そんなこと、ないですにゃ……」
語尾が、伸びた。
ミミは、机に手をついた。
体が、熱い。
でも、苦しくはない。
むしろ、すごく、気持ちがいい。
「……ご主人様ぁ」
自分の声が低くなっているのが、わかった。
わかっているのに、止まらなかった。
「……離れろ」
「やですにゃん」
机を回って、椅子の横に立つ。
しゃがんで、肘掛けに、顎をのせた。
「ミミ、いま、なんでも言えますにゃん」
「言うな」
「言いますにゃん」
「ミミ」
「頭、撫でてほしいですにゃん」
「…………」
「名前、呼んでほしいですにゃん」
「…………」
「おひるね、いっしょにしてほしいですにゃん」
「…………」
「ごはん、ぜんぶ食べてほしいですにゃん」
「……全部、聞いている」
「ぜんぶ、言っちゃいますにゃん」
「ミミ」
「だって、いつもは、言えないんですにゃん」
「ご主人様」
「なんだ」
「……しっぽ」
ミミは、自分の尻尾を両手で持った。
持って、差しだした。
「さわって、ほしいですにゃん」
「…………」
「ずっと、言えなかったやつですにゃん」
ご主人様は、しばらく動かなかった。
それから、机の引き出しを開けた。
出てきたのは、ブラシだった。
「……いつから、持ってたんですにゃん」
「三年前からだ」
「にゃ」
「渡す機会が、なかった」
ミミは、床に座った。
ご主人様が、うしろに座った。
ブラシが、尻尾の先に触れる。
「にゃっ」
毛が、いっせいに逆立った。
「痛いか」
「……痛くないですにゃん」
ゆっくり、梳かれた。
先から、中ほどへ。
中ほどから、もっと上へ。
ミミの耳が、うしろに倒れた。
声が、出なかった。
「ミミ」
「……はい」
「毛が、絡んでいる」
「……三年、だれにも、さわらせてないですにゃん」
ブラシが、止まった。
それから、また動いた。
もっと、ゆっくり。
付け根に、近づいてくる。
ミミは、床に爪を立てた。
「……ご主人様」
「なんだ」
「そこ、だめですにゃん」
「やめるか」
「……やめないでほしいですにゃん」
自分の声じゃないみたいだった。
ブラシが、付け根に、触れた。
背中を、なにかが走った。
ミミは、床に突っ伏した。
「…………」
「ミミ?」
「……いま、しゃべれませんにゃん」
尻尾だけが、ゆっくり、揺れていた。
どのくらい、そうしていたのか、わからない。
「ご主人様」
「なんだ」
「……いま、しあわせですにゃん」
「そうか」
「……ずっと、こうしてたいですにゃん」
返事は、なかった。
でも、手は、止まらなかった。
時計の音が、遠かった。
永遠に、続けばいいと思った。
ブラシが、置かれた。
「終わりだ」
「やですにゃん」
「終わりだ」
ミミは、振り向いた。
ご主人様の顔が、近かった。
息が、あらい。
目が、いつもとちがった。
「……ご主人様も、においを、吸いましたにゃん?」
「……吸った」
「じゃあ」
その袖を、つかんだ。
「じゃあ、いいですにゃん」
「よくない」
「ミミ、いま、ぜんぶ言えますにゃん。だから」
喉が、動いた。
いちばん奥にある、いちばんこわいやつが、上がってきた。
「ミミ、ご主人様の──」
口を、ふさがれた。
手のひらだった。
「言うな」
「…………」
「それは、いま言う言葉じゃない」
ご主人様の手が、震えていた。
それから、その人は、自分の腕に、歯を立てた。
血が、にじむくらい、強く。
「にゃっ!?」
「……戻った」
「もどらなくていいですにゃん!」
「戻る」
抱きしめられた。
息ができないくらい、強く。
「寝ろ」
「やですにゃん」
「寝ろ」
「……はい」
ミミは、そのまま眠った。
◇
朝、窓を開けた。
霧は、晴れていた。
ご主人様は、いつもの椅子で新聞を読んでいる。
腕に、包帯が巻いてあった。
「……おはようございますにゃん」
「ああ」
「…………」
「…………」
ミミは、ぜんぶ覚えていた。
言ったことも、言われたことも、さわられたところも、ぜんぶ。
ご主人様も、たぶん、覚えている。
でも、どちらも、なにも言わなかった。
お茶を淹れて、机に置く。
置くとき、気づいた。
ブラシが、出しっぱなしになっていた。
しまわれて、いなかった。
「……ご主人様」
「なんだ」
「これ、また、してくれますかにゃん」
「……気が向いたらな」
ミミの尻尾が、ぱたん、と鳴った。
「ご主人様」
「なんだ」
「……その腕、いたいですかにゃん」
「いたくない」
「うそですにゃん」
「……うそだ」
その日の夕方、ミミは鏡を見ていた。
耳の先が、うすくなっている。
向こうが、すこし、透けていた。
手の甲の数字を、見る。
あと 一日
……一日。
昨日まで、四日だった。
昨夜、望みを、口にしただろうか。
……たくさん、した。
ミミは、鏡から目をそらした。
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本日の愛情ポイント(ミミ調べ)
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しっぽを、ブラッシングしてもらった … +150
ブラシ、三年前から持ってた ……… +100
抱きしめてもらった ……………… +80
おねだり、ぜんぶ言えた ………… +40
でも、ぜんぶ、聞き流された …… −60
口を、ふさがれた ………………… −70
ご主人様が、けがをした ………… −120
また してくれるか、わからない … −89
本日の合計 ……………………… +31
つうさん ……………………… 166 P
ランク ……… ★★★★☆「もう家族ですにゃん」
★が、よっつになりましたにゃん。
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……あの。
ミミ、あした、なにか、わすれちゃう気がしますにゃん。
だから、ここに、書いておきますにゃん。
きのうは、いちばん、しあわせでしたにゃん。
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つぎの、おはなし
あめですにゃん。
ずっと、あめの街ですにゃん。
ミミ、こわれてるみたいですにゃん。
ねじが、はずれてますにゃん。
……ご主人様が、なおしてくれてますにゃん。
第10話「おかえりなさいませ、にゃん」
……あと、いちにち、ですにゃん。
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