# 第8話 ゆき、ふってますにゃん
# 第8話 ゆき、ふってますにゃん
雪が、降っていた。
朝から、ずっと。
「ミミどん。廊下」
「はいですにゃん」
雑巾を絞る。水が、切れるように冷たい。
この屋敷で、ミミは女中だ。
ご主人様は「若様」で、ミミは「ミミどん」。
……ほんとうは、ちがう呼びかたをしたい。
でも、それは、禁じられている。
「ミミどん、また廊下を走って」
「走ってないですにゃん」
「走っておりました」
「……走ってましたにゃん」
「なぜ走るのです」
「はやいほうが、いいですにゃん」
「女中は、しずかに歩くものです」
「はいですにゃん」
次の角で、また走った。
女中頭の目は、ごまかせない。
帯の下で、尻尾が、窮屈そうにしている。
三年、ずっとそうしている。
この屋敷で、それを知っている人は、いない。
若様は、離れで絵を描いていた。
家を継ぐか、絵を描くか。
旦那様と、三月ずっと、その話をしている。
「若様、お茶にございますにゃん」
「……ああ」
「絵、すすんでますかにゃん」
「すすまん」
「見ていいですかにゃん」
「だめだ」
「はいですにゃん」
ミミは、そのまま座った。
「見ないから、いていいですかにゃん」
「……好きにしろ」
ミミは、火鉢に炭を足した。
若様は、絵を描いている。
紙をこする音だけが、聞こえていた。
「若様」
「なんだ」
「ミミ、この音、すきですにゃん」
「……そうか」
「ずっと、聞いていたいですにゃん」
「…………」
◇
夜、湯をつかった。
女中は、いちばん最後だ。
浴衣に着替えて、縁側に出た。
雪が、まだ降っている。
……あつい。
襟を、すこしだけ、ゆるめた。
「風邪を引くぞ」
「にゃっ」
振り向くと、若様が立っていた。
団扇を持っている。冬なのに。
「……なんで団扇ですかにゃん」
「絵の道具だ」
若様は、縁側に腰を下ろした。
それきり、動かなくなった。
団扇を持った手が、止まっている。
濡れた髪から、雫が、ひとつ落ちた。
首すじを、つたっていく。
襟の、内がわへ。
その先は、見えなかった。
「若様?」
「……」
「若様」
「……なんだ」
「見てますにゃん」
「……見ていない」
ミミは、襟を直そうとして、手を止めた。
……直さなかった。
「……見ても、いいですにゃん」
言ってしまってから、耳まで熱くなった。
自分でも、なんで言ったのか、わからない。
雪の、音がした。
音のしない音が。
「若様」
「……なんだ」
「団扇、あおいでくださいにゃん」
「冬だぞ」
「あついんですにゃん」
若様は、一回だけ、あおいだ。
雪が、すこし舞った。
立ちあがろうとして、浴衣の裾が、ひらいた。
帯が、ゆるんでいた。
出た。
ふさふさの、長いものが。
「──あ」
ミミは、固まった。
三年、隠してきたものが、雪あかりの下に、出ていた。
「若様、これは、あの、これは」
「…………」
「……ミミ、化け物ですにゃん」
若様は、動かなかった。
それから、こう言った。
「知っていた」
「……え」
「三年前から、知っていた」
◇
蔵の、いちばん奥の箱に、それは入っていた。
巻物。何十本も。
いちばん古いものは、紙がぼろぼろだった。
「……なんですにゃん、これ」
「うちの家に、代々伝わっているものだ」
若様が、巻物をひらいた。
絵が、描いてあった。
背の高い人と、耳のある小さい人。
小さいほうが、大きいほうの手を、引いている。
「……これ」
どこかで、見た。
湯気の、なかで。
「千年前だ」
「…………」
「その次は、八百年前。その次は、五百年前」
巻物が、次々にひらかれていった。
どれも、同じ絵だった。
服がちがう。髪がちがう。名前も、ちがう。
でも、いつも二人で、いつも耳のあるほうが、手を引いている。
「世は、並んでいるのではない、と書いてある」
「……ならんでない?」
「輪になっている。しかも、閉じていない」
若様は、指で、空に円を描いた。
描きながら、すこしずつ、ずらしていく。
「こうだ。ずれながら、巻いている」
「うずまき、ですにゃん」
「螺旋だ。それが、自分自身に戻ってきて、環になる」
「わっか」
「内も外もない環だ。だから、始まりも、終わりもない」
「…………」
「同じ出会いが、ずっと、繰り返されている」
「……ずっと」
「千年、繰り返して、まだ一周していない」
「……ミミ、ずっと、おなじことしてたんですにゃん」
「そうなるな」
「ずっと、おなじ人を、すきだったんですにゃん」
若様の手が、止まった。
「……そうなるな」
ミミは、巻物を、両手で持った。
紙が、かさかさ鳴った。
「若様」
「なんだ」
「ミミ、ときどき、へんなものが見えますにゃん」
「……ほう」
「雨とか、星とか、しらない台所とか」
若様の目が、動いた。
「いつだ」
「え」
「見えるのは、いつだ」
「……えっと」
ミミは、思い出そうとした。
「窓を拭いてるときとか」
「うん」
「お鍋のソースを、なめたときとか」
「うん」
「氷水を、かぶったときとか」
「……水か」
若様は、巻物のいちばん端を指した。
そこに、小さく、こう書いてあった。
『水在るところ、界の皮うすし』
「世と世のあいだは、薄い皮が一枚あるだけだ。水のあるところで、それが、いっそう薄くなる」
「……きょうは」
「雪だ」
ミミは、外を見た。
白いものが、しずかに落ちていた。
「若様のおうちは、なにをするおうちなんですにゃん」
「役目は、ひとつだけだ」
「なんですにゃん」
「観ること」
「みる」
「まだ決まっていないものを、観て、決めることだ」
「……なんですにゃん、それ」
「雲を観る、と書いてある。──読めるか」
巻物の隅に、字があった。
ミミには、読めなかった。
でも、なぜか、意味だけ、わかった。
「……まだ、なんにも、決まってないってことですにゃん」
「そうだ」
「…………」
「だから、決めるんだ。観て」
◇
「若様」
「なんだ」
「ミミ、ずっと、ここにいていいですかにゃん」
若様の手が、巻物の上で、止まった。
長い、沈黙だった。
蔵は、寒かった。
「……おれは、この家を出るかもしれん」
「…………」
「絵を描くために」
「…………」
「そうしたら、ここには、いられない」
「……はい」
にゃん、が、出なかった。
「ミミどん」
「はい」
「……すまん」
巻物が、しずかに巻かれていった。
千年ぶんの絵が、また、箱のなかに戻された。
蔵の外で、雪が降っていた。
音のしない音が、ずっと、していた。
──その頃。
べつの世界線で、ひとりのミミが、指先から消えかけていた。
だれも、見ていなかった。
だれも、観ていなかった。
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本日の愛情ポイント(ミミ調べ)
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「知っていた」って言われた …… +70
しっぽを、見られた ……………… +40
(もう、かくさなくていいですにゃん)
浴衣、見られた ………………… +30
「見ていない」って言われた …… +25
(ぜったい、見てましたにゃん)
ずっといていいって、言ってもらえなかった … −90
「すまん」って言われた ……… −62
本日の合計 ……………………… +13
つうさん ……………………… 135 P
ランク ……… ★★★☆☆「両想い(自称)」
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……あの。
ミミ、聞かなきゃよかったですにゃん。
聞かなかったら、まだ、いていいことになってましたにゃん。
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つぎの、おはなし
きりの、街ですにゃん。
ミミ、たんていさんの助手ですにゃん。
きょう、へんな香水が、とどきましたにゃん。
……あたま、ふわふわしますにゃん。
第9話「においますにゃん」
ミミ、なんだか、ミミじゃないみたいですにゃん。
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