# 第2話 ねこの手、貸します
# 第2話 ねこの手、貸します
まな板の前で、ミミは息を止めた。
手を、そっと伸ばす。
指の先が、包丁の柄に触れた。
「まだ早い」
「にゃっ!?」
背中を、見られていた。
「三年早い」
「一年でいいですにゃん」
「五年だ」
「増えてますにゃん!?」
ミミは、あわてて手を引っこめた。
尻尾が、しゅん、と下がる。
「見習い」
「……はいですにゃん」
「ホールを開けろ。十一時だ」
「はいですにゃん、シェフ」
この店で、ミミは「見習い」だ。
ご主人様は「シェフ」で、ミミは「見習い」。
三ヶ月前に、そう決められた。
◇
「いらっしゃいませにゃん!」
入口の鈴が鳴るたび、ミミは全力で頭を下げる。
商店街のはずれの、小さな洋食屋。
看板には、下手な字で『ねこの手』と書いてある。
「ミミちゃん、今日も元気だねえ」
「元気ですにゃん! 本日のおすすめは、ハンバーグですにゃん!」
「じゃあ、それ」
「ハンバーグ、ひとつですにゃーん!」
「にゃーん、って伸びたね」
「のびてないですにゃん」
「のびてたよ」
「……のびてましたにゃん」
厨房から、声がした。
「見習い。オーダーは正確に通せ」
「はいですにゃん! ハンバーグいっちょ、ですにゃん!」
「いっちょ、とは言うな」
「はいですにゃん! ハンバーグ、いち、ですにゃん!」
「……もういい」
常連さんが、笑った。
この店でミミの名前を呼ぶのは、お客さんだけだ。
厨房からは、呼ばれない。
「見習い。皿」
「はいですにゃん」
カウンターに、湯気の立つ皿が出てくる。
ミミは両手で受けとって、ホールへ運んだ。
三ヶ月で、皿は一枚も割っていない。
そこだけは、ちょっと、じまんだ。
「見習い」
「はいですにゃん、シェフ」
「これ、味を見ろ」
スプーンが、差しだされた。
ミミは、それを口に入れた。
「…………」
「どうだ」
「……あついですにゃん」
「猫舌の感想は聞いていない」
「あついですにゃん……」
スプーンが、引っこめられた。
ミミの舌は、人のものと、すこしちがう。
甘いも、しょっぱいも、わかる。
でも、「もうすこし」が、わからない。
三ヶ月、ずっとそこで止まっている。
「見習い」
「はいですにゃん」
「砂糖の壺は、そっちじゃない」
「にゃっ」
手が、塩の壺に入っていた。
「あぶなかったですにゃん……」
「……お前が味を見られない理由が、いまわかった」
「ひどいですにゃん!」
「シェフ」
「なんだ」
「ミミ、いつになったら、包丁、もてますかにゃん」
「味が見られるようになったらだ」
「……それ、いつですにゃん」
「知るか」
ミミは、ふきんを、ぎゅっと握った。
◇
のれんを下ろすと、店は急に広くなる。
椅子が、ぜんぶ空いている。
ご主人様は、いちばん奥の席に座って、動かなくなっていた。
「シェフ、ごはんですにゃん」
「あとで」
「のびますにゃん」
「あとで」
目を、閉じている。
ミミは、その前の椅子に座った。
それから、立った。
それから、ご主人様のとなりに座りなおした。
「シェフ。ここ、どうぞですにゃん」
「……なんだ、それは」
「ひざですにゃん」
「見ればわかる」
「かしますにゃん」
「いらん」
「かしますにゃん」
「…………」
「かしますにゃん」
三十秒後。
ご主人様の頭は、ミミの膝の上にあった。
「……ねこの手も借りたい、っていうやつですにゃん」
「借りているのは膝だ」
「おんなじですにゃん」
「ちがう」
ミミは、耳かきを持ってきた。
「うごかないでくださいにゃん」
「……お前が動いている」
「うごいてないですにゃん」
しっぽが、椅子の脚に、ぱたぱた当たっていた。
耳かきを、そっと入れる。
「シェフの耳、ちいさいですにゃん」
「……」
「ミミの耳は、おおきいですにゃん。だから、よく聞こえるんですにゃん」
「……」
「きょう、三番テーブルのお客さんが、ハンバーグおいしいって、小さい声で言ってましたにゃん」
「……そうか」
「ミミ、聞こえましたにゃん」
返事は、なかった。
でも、閉じたまぶたの下で、なにかが動いた気がした。
「シェフ」
「……」
「ミミ、この店、すきですにゃん」
「……」
「せまいですにゃん。いすも、ふるいですにゃん。かんばんの字も、へたですにゃん」
「あれはお前が書いた」
「……そうでした」
尻尾が、ぱたん、と落ちた。
「でも、すきですにゃん」
ご主人様の眉が、すこしだけ動いた。
「……皿を割るなよ」
「割ってないですにゃん! 三ヶ月、いちまいも!」
「知っている」
「……知ってたんですにゃん」
耳かきの手が、止まった。
「シェフ」
「……」
「あの、ですにゃん」
「……」
「シェフは、ミミのこと、なんて呼んでますかにゃん」
「見習いだ」
「……はい」
「なんだ」
「なんでも、ないです」
耳かきを、置いた。
◇
鍋に、ソースがすこし残っていた。
ミミは、指の先ですくって、なめた。
「……あ」
わかった。
なんで、いままで、わからなかったんだろう。
あと、ひとつまみ。
塩を、ひとつまみ。
それだけだった。
「シェフ、わかりましたにゃん──」
言いかけて、ミミは、止まった。
どうして、わかったんだろう。
だれにも、教わっていないのに。
……いや。
教わった気が、する。
もっと、広い台所で。
白いエプロンで。
しらない、台所で。
銅の鍋が、ずらりと下がっている台所。
もっと明るくて、もっと広い。
そこで、ミミの手は、包丁を握っていた。
ちゃんと、握れていた。
「……ミミ、包丁、もてるんですにゃん」
だれにともなく、そう言った。
ご主人様は、眠っていた。
ミミの膝の上で。
「……シェフ」
返事はない。
ミミは、そっと、その髪に触れた。
「……ご主人様」
言ってしまってから、口を押さえた。
この店では、その呼びかたは、禁止されている。
三ヶ月前に、そう決められた。
「……いちどでいいから」
小さな声だった。
自分でも、聞こえないくらいの。
「……ミミ、って、呼んでほしいです」
そのとき。
「──ミミ」
呼ばれた。
耳が、ぴんと立った。
「シェフ!? いま、いま呼びましたかにゃん!?」
ご主人様は、眠ったままだった。
寝息は、みだれていない。
口も、動いていない。
……。
いまの声は。
いまの声は、ご主人様の声じゃ、なかった。
もっと若い、声だった。
どこかで、聞いたことのある──
「……だれ、ですか」
だれも、いなかった。
店には、眠っているご主人様と、ミミだけ。
窓の外で、街灯がひとつ、ちかちかしていた。
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本日の愛情ポイント(ミミ調べ)
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ひざを、かしてあげられた ……… +25
味見を、させてもらった ………… +8
「見習い」って呼ばれた(九回)… −9
包丁、まだ握らせてもらえない … −8
本日の合計 ……………………… +16
つうさん ……………………… 26 P
ランク ……… ★☆☆☆☆「使用人ですにゃん」
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……あの。
ミミ、ぜんぜん、気にしてないですにゃん。
「見習い」でも、ぜんぜん、平気ですにゃん。
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つぎの、おはなし
あさ、目がさめたら。
しらない、石のおへやでしたにゃん。
ゆかに、ひかる まるが かいてありますにゃん。
……あれ。
ミミ、なまえ、なんでしたっけにゃん。
第3話「なまえを、ください」
ここのミミは、まだ「ミミ」じゃないんですにゃん。
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