# 第1話 拾われた猫は、朝がすき
# 第1話 拾われた猫は、朝がすき
こんこん、と扉を叩く。
返事は、ない。
「ご主人様ー。朝ですにゃん」
もう一度、叩く。
やっぱり、返事はない。
「……しつれい、しますにゃん」
そっと扉を開けると、部屋はまだ夜のままだった。
厚いカーテンのすきまから、細い光が一本だけ、床に落ちている。
ミミはつま先立ちで歩いた。メイドの靴は、音が鳴らないようにできている。
カーテンを、両手で開ける。
朝の光が、いっぺんに部屋へ流れこんだ。
「──わ」
ベッドの上で、ご主人様が眠っていた。
いつも眉のあいだにある皺が、今日は、ない。
……。
ミミの尻尾が、ゆっくり、左右に揺れた。
「…………」
三十秒。
いや、たぶん、もうすこし。
「────っ、いけないにゃん!」
ぱっと顔を上げる。耳が、ぴんと立った。
「お仕事ですにゃん! ミミ、お仕事にきたんですにゃん!」
ベッドに駆けよって、肩をゆする。
「ご主人様。朝ですにゃん。あさ」
「……あと五分」
「五分前も、そうおっしゃいましたにゃん」
「……なら、あと十分だ」
「増えてますにゃん!?」
「……あと十五分」
「まだ増えますにゃん!? ご主人様、おふとん、はがしますにゃん」
「やめろ」
「はがします」
「……起きる」
「はいですにゃん!」
うっすらと、目が開いた。
琥珀色と、黒。目が合う。
「……ミミ」
名前を、呼ばれた。
それだけで、尻尾がぴんと立つのを、ミミは止められなかった。
「……なんだ、その顔は」
「なんでもないですにゃん」
「尻尾が動いている」
「動いてないですにゃん」
「動いている」
「うごいて、ないですにゃん……!」
ミミは、両手で尻尾を押さえた。
押さえても、ぱたぱた鳴っていた。
◇
「ご主人様、けさのパン、焼けてますにゃん」
「ああ」
「ジャム、いちごと、あんずと、どっちにしますかにゃん」
「どちらでも」
「どっちでも、はないですにゃん。えらんでほしいんですにゃん」
「……いちご」
「はいですにゃん! ……あんずは、いつ食べるんですにゃん」
「明日」
「じゃあ、明日も聞きますにゃん」
「……好きにしろ」
ミミの耳が、ぴょこんと動いた。
えらんでもらう、というだけで、朝ごはんの味は変わる。
午前中の廊下は、いちばん埃が光る時間だ。
「ご主人様ー。こっちの棚も、拭いていいですかにゃん」
「好きにしろ」
書斎の窓ぎわで、ご主人様は本を読んでいる。返事は、いつも短い。
ミミは脚立を運んできて、いちばん上の段にのぼった。
「んー……とどかないですにゃん……」
つま先立ちになる。指の先が、やっと棚のふちに届く。
「あとちょっと、ですにゃん。あとちょっと──」
窓が、開いていた。
風が、入ってきた。
「にゃっ」
ページをめくる音が、止まった。
それから、やけに勢いよく、ページがめくれた。
「ご主人様? どうかしましたかにゃん」
「……なんでもない」
ご主人様は、本から顔を上げない。
耳が、すこし赤かった。
「降りろ」
「えっ」
「危ない」
「危なくないですにゃん。ミミ、猫ですにゃん。高いところ、とくいですにゃん」
「猫は、降りるのが苦手なんだ」
「そんなことないですにゃん」
「本に書いてある」
「その本、まちがってますにゃん」
「……昨日、木から降りられなくなっていたのは誰だ」
「…………」
尻尾の先が、ゆっくり丸まった。
「……ミミ、ですにゃん」
「降りろ」
「はいですにゃん……」
脚立を降りる。
最後の一段で、足がすべった。
「にゃっ!?」
落ちる、と思ったときには、もう腕をつかまれていた。
顔が、近い。
本を持ったままの手が、ミミの腕をしっかり握っている。
「……ほら見ろ」
「…………」
「ミミ」
「……ありがとう、ございますにゃん」
心臓の音が、耳のうしろで鳴っていた。
「……ご主人様」
「なんだ」
「まだ、はなしてくれないんですにゃん」
「…………」
ぱっと、手が離れた。
「拭いてこい」
「はいですにゃん」
◇
紅茶を淹れて、書斎にもどる。
「ご主人様、お紅茶ですにゃん。今日は、すこし濃いめですにゃん」
「ああ」
カップを置いて、ミミは窓を拭きはじめた。
この屋敷で、いちばん好きな仕事だ。ガラスが、だんだん透きとおっていく。
丘の下に、いつもの景色が広がっている。
牧草地。細い道。遠くに、町の屋根。
──雨だった。
「え」
ネオンだった。
赤と青の光が、水たまりの上でにじんでいる。
ぐしゃぐしゃに濡れた路地。だれかが、傘を差しだしてくれている。
──星だった。
どこまでも続く黒のなかに、白い粒が散っている。ガラスの向こうは、宇宙だった。
──夕陽だった。
机がならんでいる。だれもいない教室。窓ぎわに、本を読んでいる人がいる。
「にゃ……」
布巾が、手から落ちた。
「ミミ?」
肩を、つかまれた。
景色が、もどっていた。
牧草地。細い道。遠くに、町の屋根。
いつもの、丘の下。
「どうした」
「……いま」
ミミは、窓を指さした。指の先が、震えている。
「いま、ここに、雨がふってましたにゃん」
「雨?」
「ネオンで、あと、星で、それから、学校で──」
言いながら、自分でも何を言っているのか、わからなくなった。
ご主人様が、窓の外を見る。
しばらく見て、それから、ミミを見た。
「……晴れているぞ」
「ちがうんですにゃん。ゆめじゃないんですにゃん」
「そうか」
「見たんですにゃん。ほんとうに、見たんですにゃん。あの雨、つめたかったんですにゃん。ほっぺたに、あたったんですにゃん」
「……そうか」
「しんじて、ないです」
「窓の外は、晴れている」
「……そう、ですにゃん」
肩の手は、離れなかった。
「疲れているんだろう。今日はもう休め」
「休みたくないですにゃん」
声が、思ったより大きく出た。
ご主人様が、すこし目を見ひらく。
ミミは、うつむいた。
「……ミミ、まだ、お仕事したいです」
にゃん、をつけるのを、忘れていた。
ご主人様は、なにも言わなかった。
ただ、しばらくしてから、こう言った。
「……なら、窓を拭け。まだ半分だ」
「──はいですにゃん!」
◇
夜。
自分の部屋で、ミミは日記をひらいた。
字はへたくそだけれど、拾われた日から、いちども休んでいない。
『きょう、ごしゅじんさまに、なまえをよばれましたにゃん。にかいも』
「えっと、それから……」
ペンを持ったまま、天井を見あげる。
「たすけて、もらいましたにゃん」
書く。
「あと、いちごって、えらんでくれましたにゃん」
書く。
「……あと」
ペンが、止まった。
「……あの雨のこと、書いたら、こわいから、やめておきますにゃん」
書いてから、ページのすみに目がとまった。
数字が、書いてある。
ミミの字だった。
でも、書いたおぼえが、なかった。
あと 三十七日
「……なんですにゃん、これ」
窓の外は、晴れていた。
星が、ちゃんと、星の数だけ出ていた。
尻尾の先が、ほんのすこしだけ──
透けていた。
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本日の愛情ポイント(ミミ調べ)
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ご主人様の寝顔、ひとりじめ ……… +8
名前を呼ばれた(2回)…………… +10
落ちそうなところを助けられた … +12
紅茶を、半分のこされた ………… −5
「もう休め」と言われた ………… −8
ミミのお話、信じてもらえなかった −7
本日の合計 ……………………… +10
つうさん ……………………………… 10 P
ランク ……… ★☆☆☆☆「使用人ですにゃん」
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……あの、ミミ、うそはついてないですにゃん。
寝顔、ほんとに、すごくよかったんですにゃん。
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つぎの、おはなし
あしたも、朝からお掃除ですにゃん。
……あれ。
ミミ、あしたの朝、どこにいるんですにゃん?
しらない台所に、立ってる気がしますにゃん。
第2話「ねこの手、貸します」
ミミ、まだ、包丁を握らせてもらえないんですにゃん。
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