第92話
「ま、大事なことを忘れてたのは僕もだから偉そうなことは言えないんだけど」
彼───世良町君はそう言って笑うと軽くあたりを見渡す。そして卓上に置いてあったお菓子の缶に手を伸ばした。蓋つきの直方体のそれは、見た目も豪華で捨てるのも忍びなく、今はハサミやらスティックのりやらの小物入れと化しており、この部屋の景色にも随分と溶け込んだものだ。
これは実行委員が夜遅くまで仕事をしている中、とある子が差し入れにと持ってきてくれたもの。ちょっとお高めのデパ地下で購入されたものなのか、中に入っていたラングドシャはあっという間になくなりかけて、その日来ていない子の分も残しておかないと、と慌てて止めた記憶が懐かしい。その記憶は、いろいろと張りつめた私の表情を一瞬だけ綻ばせた。
「これ、中身出してもいいか?」
「良いけど、何か使うの?」
「探偵ごっこってところかな」
私の質問に小さく笑いながら答え、中の文房具やらを取り出して机の上に並べる世良町君。缶を上下ひっくり返せば早いのに、そうしないところに彼の性格を垣間見ることができる。今日までの仕事ぶりを見ていて思うが、彼は存外几帳面だ。
「えー、ご覧の通り。ここにありますお菓子の缶。種も仕掛けもありません」
世良町君はわざとらしくそう言うと缶の内部が見えるようにこちらに見せてくる。お菓子の缶特有の、金というか茶色というか、静かな色合い。そこには確かに何もないようだ。
「すみません。その口調、腹が立つのでやめてもらっていいですか」
「……はい」
三橋さんから心底嫌そうな顔と声音でそう言われた世良町君はしゅんと肩をすくめる。まあ、状況が状況なのに手品師のまねごとを始めようとした彼が悪いのというのはそうだろう。三橋さんに至っては今日はもともと非番だったのに、こうして事務処理を手伝ってもらってるし、あまり苛立たせないであげてほしい。
「で、だな。これを今から投票箱に見立てて、ここにいるみんなで投票をしよう。椛。そこの裏紙、四等分してもらって良いか?」
「え?う、うん」
突然の彼の申し出。困惑しながらも、椛ちゃんは手早く紙をハサミで四等分して配布してくれた。私と三橋さん、世良町君と椛ちゃん自身、この場にいる全員に手のひらサイズの紙が行き渡る。
「さて、投票とは言ったけど要は現場再現だ。各自、適当に自分の名前とか書いて入れてくれ」
そう言うが早いが、彼は卓上で紙にペンを走らせて缶の中に入れる。その後、机の上で缶をこちらへと押しやって来た。
彼以外の三人が缶の内部を覗き込む。
「なんですかコレ」
「わ、私は可愛いと思うよ!」
缶の内部には先ほど彼が記入に使用したペンが一本、そして……何やら不気味な絵。困惑した三橋さんと、精一杯のフォローをする椛ちゃん。思わず閉口する私。反応は三者三様だ。
「えっと、特徴的な絵だね?ネコ?」
「は?どっからどう見てもメジェドだろ」
「……」
私に対し、「お前の目は節穴か」というトーンで真顔で告げる世良町君。その様子は冗談を言っている様にも見えない。……今度から彼のことは画伯と呼ぼう。かの名前の長い有名な画家のように、見る人が見ればこの絵を評価するのかもしれないし。私には分からないけど。それと、確かメジェドって伊集院さんの格好のやつだよね?少なくとも耳とか髭はなかったし、手足が全部同じ方向から出てもなかったと思うんだけどなあ。というか、自分は名前書けって言ったのに絵を描くんだ……
私は己の中で彼の再評価を行いながら、缶の中にあったペンを手に取って自分の紙に名前を書く。他の2人も同じように近場にあったペンで簡単に記入を終えて、缶の中に紙を入れた。
缶の中には4枚の紙。「いのり」「三橋」と名前の書かれた紙が一枚ずつ。ちゃんと可愛らしい猫のイラストと、画伯の作品が1枚ずつ。とりあえず全員がどれを書いたのかは判別できる。
「じゃ、缶をいったん閉じるぞ」
世良町君はそう言って外していた缶の蓋を被せた。これで確かに疑似的に投票箱と同じ条件。鍵こそないけれど、4人全員の視線が注がれ、監視下に置かれたこの缶に細工はできない。
「匠君、この後はどうするの?」
「ショートカットのない料理番組のように数十分待つ」
椛ちゃんの問いに胸を張ってそう答える彼に、三橋さんから鋭い声が飛ぶ。
「冗談ですよね?」
「はいすみません冗談です。十数秒経過したものがこちらですぅ」
彼は少し怯えたようにして缶の蓋を開けた。世良町君、三橋さんにめっぽう弱いんだね。……というか、料理番組みたいに別のが出てくるわけじゃないんだ。いや、出てこられても困るんだけど。
ともかく、卓上の開かれた缶の内部を私たちはゆっくりと覗き込んだ。
「え!?」
「これは、いったい」
驚きと困惑を隠しきれない椛ちゃんと三橋さん。かく言う私も驚愕していた。だって、そこに……缶の内部にあったのは「三橋」と書かれた紙と、椛ちゃんの猫が描かれた紙だけ。他の2枚は、白紙だったのだから。
「どうして……」
すり替えた?だとしたらいつ?
私は慌てて白紙に手を伸ばす。
───違和感に気が付いたのは、その時だった。
「気づいたか?」
顔に出ていたようで、世良町君が尋ねてくる。私はそれに首肯した。
「微かにだけど、あったかい」
「そう。それが今回の肝だ」
彼はそう言って手にしていた缶の蓋を皆に見せる。そこには、缶の色とは明らかに違う白色が一つ。その白に見覚えがあったのか、いち早く声をあげたのは椛ちゃん。
「それって、さっきのカイロ?」
「ああ。さっき3人が紙に記入してる間に、こっそりここにくっつけといたんだ。蓋したとき丁度、紙に触れる様にな」
彼はそう言って蓋裏のカイロに軽く触れる。するとカイロはドアのようにぺらっと捲れた。カイロの片面だけがテープで固定されている。これなら確かに、缶のサイズからして蓋をしたときに底に触れる。
「じゃ、改めて。今度は視界を遮らずにやろう」
世良町君はそう言うと一旦中にあった4枚の紙を取り出し、その代わりに蓋裏に貼ってあったカイロを缶の底に敷いた。続けて、新たな紙にイラスト(また意味不明な生物)を描く。
「よく見ててくれ」
彼はそう言って用紙をカイロの上に置いた。すると、スゥ……と彼の描いたイラストがゆっくりと姿を消したではないか。絵の独特さも相まって、さながらRPGのスライムが溶けるかの様にも見える。
「えぇ!?どういうこと!?」
今度は気づいたら白票だった画を見せられたのではなく、明確に「白票に変わる様」を見せられたんだ。当然、椛ちゃんは率直な驚きを見せるし、私と三橋さんも目を見開いていた。
「これと、さっきの僕と相生の紙には共通点があってな。それがこれだ」
「ペンですか?」
「知らないか?これ『消せるタイプのボールペン』ってやつだ」
「───!」
さっき、私は世良町君と同じ缶の中にあったペンを使ったけど、椛ちゃんと三橋さんは適当に他のペンを使ってた。私と世良町君の用紙のみ、「消せるタイプのボールペン」で記入されたんだ。
「このボールペンが消える原理は熱だ。普通のボールペンとは違う特殊なインクが使われていて、一定の温度まで上昇すると透明になる。普段使いでは、擦って摩擦熱を生じさせることでその条件をクリアしてるわけだ」
「今回はそれをカイロで代用したということですか」
「そっか。環境次第で簡単に消えちゃうから、重要な書類とかでは記入に使うなって言われてるんだ」
冷静に分析する三橋さんと、感心したような声を漏らす椛ちゃん。2人の反応から数秒遅れて、私の中で一つの記憶が呼び起こされる。
「まさか……あなたがさっき言った『言い忘れてること』というのは!」
「ああ、これのことだ。さっき偶々、椛と回収作業を見てな。その時、投票箱の中からごみが出てきたって話を聞いた。実際、その中に含まれてたものの1つが、このカイロだ」
私は頭を抱えた。
「気づかな、かった」




